パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

飯田鉄写真展について

2011-05-28 15:19:25 | Weblog
 ブログのデザインを少し変えたのだが、ついでにプロフィールを載せないように設定した。

 出身地とか、年齢とか、性別の欄に「表示/非表示」とあったので、「非表示」を選択したのだが、画面に「非表示」と出てしまった。

 改めて説明文を見ると、プロフィール写真を載せる場合は、性別とか出身地等のデータを表示しなければならないと説明されていたので、決して嘘をついているわけではないが、「非表示」をクリックすれば、実体も「非表示」になると思うのが普通だろう。

 官僚的な対応だなあ。

 画面に反映するまで、丸一日以上かかる場合があるようなので、もしかしたら、いずれ消えてくれるかもしれないのでこのままにしておくが、感じ悪い!

 昨日、東京四谷の「トーテムポールフォトギャラリー」で明日まで開かれている飯田鉄氏の写真展、ならびに大日方欣一氏を対手とするトークショーを拝聴した。

 飯田氏の写真は随分以前から見ているのだが、私が抱いていた「写真家・飯田鉄」のイメージとだいぶ違っているように思えた。

 飯田鉄の写真は、これから滅びていくであろう都会のモダニズムを、特に建築に見いだし、それを収集するように撮ってきたというイメージなのだが、今回展示されていた写真は、建築物ではなく(それもあったが)、本人は「庭」と言っていたが、ちょっとした茂み(植物)に囲まれた空間が主役になっていた。

 住宅街の路地なんかも、「庭」とは別のモチーフとして撮られたのではないかと思えるほど、質が高く、また数も多かったのだが、それは、「今、考えると」であって、トークショーで何か発言することはなかった。

 大日方氏の発言で、面白いと思ったのは、飯田鉄がフェミニンな資質を持っているのではないかという指摘で、何故か、私も「そうにちがいない」と思った。

 私は、飯田鉄と撮影対象(具体的に言えば「場所」)が重なる場合、が多く、それが写真家・飯田鉄への共感のひとつの理由だったのだが、それだけではなかったかもしれないと、大日方氏が、「フェミニン」という言葉を発した瞬間、大日方氏がどういう理由でそう言ったのかわからなかったにも関わらず、思ったのだった。

 その後、行われた食事会で大日方氏にそういうと、大日方氏は、「そうでしょう!」と言ってくれたが、理由については、聞かなかった。

 私が、私の「共感」を説明できないように、大日方氏から明快な説明が得られるとは思わなかったからだ。

 まあ、飯田鉄氏が、照れずに平気で「おねえポーズ」なんかを披露するという側面がこちらの視線に反映しているという、簡単なことなのかもしれないが。

 いや、そんなことではないな。

 それはともかく、その食事会で私の横に座った、武蔵野美術大学の写真科の学生で、飯田鉄の教え子だという女性に、偶々――本当は「偶々」ではない――もっていた「風に吹かれて」を見せると、「あ、この本知っている」という。

 「え?」

 と聞くと「山崎博先生の机の上にいつも置いてあるので、知っている」という。

 机の上の私物が暴露される、なんて、いかにも「今風」だが、山崎博氏は、日本の実験映画の草分けの一人である。(「実験映画」は、モダニズムを思想としての背景にもつ「前衛映画」とはちょっとちがう……と私は解釈しているのだが) 

 しかし、食事会のメンバーのほとんどは山崎博の名前を知らなかったので、飯田氏、大日方氏らがひとしきり説明した。

 私も、「山崎博」のことは知らないわけではなく、山崎氏の方でも私を知らないわけではない。

 その山崎氏が「風に吹かれて」をどう見ているのか、私としては、大いに興味があったが、彼女たち(武蔵野美術大学の生徒は二人だった)は、「先生の机の上にあった」ことを知っているだけだったので、ともかく、「風を吹かれて」を見てくださいと言うと、熱心に見てくれた。(そのことは、端で見ていてもわかる)

 しかし、残念ながら、「買います!」というところまではいかなかった。

 チッ。