今回、新しく「風に吹かれて」のブログをつくったのだが、サーバーにlivedoorを選んだ。
ライブドアを選んだのは、無料ブログをグーグルで検索した際、一番上に出たFC2の使い方がのっけからわからず、3番目のniftyのブログ――いわゆるココログというやつだが――はあまりに芸能人を重視しているようで敬遠し、2番目に出ていたライブドアにしただけなのだが(ホリエモンが、ベーシックインカムを主張しているのには、共感しているが、ホリエモンは今はライブドアと関係ないんだろうし)、選んで以来、メールニュースが届く。
「ドアスポ」というのだが、これが、けっこう、タイトルがうまい。
たとえば、「バカでもできる阪神の犯人探し」。
なんだろうと思って、メールを開いてみたら、マートンがアウトカウントを間違えて、捕ったボールを客席に投げ込み、類に出ていた走者がホームインしてしまった一件だった。
「ドアスポ」曰く、どう見てもこれは弁解の余地のない、マートンの凡ミスにはちがいないが、マートンは、大リーグ経験もあり、プレイに関しては大変に真面目に取り組む選手であることは、みんなわかっているし、本人自身が一番反省し、恥ずかしく思っているので、「責任追及」なんてことをやってはならない。
ところが、阪神のフロントはそれをしようとしている。
これが、「バカでもできる阪神の犯人探し」というタイトルの意味だった。
「なるほどね」と思ったのだったが、「ドアスポ」は、さらに、「このようなフロントの体質は、阪神の伝統的な鎖国体質からくるもので、もっと開放的にならなければならない」と主張していた。
マートンの一件はその後、どうなったのか知らないが、この主張を読んで、ホリエモンが今も関与しているのではないかと思ったのだった。
それにしても「タイトル=名前」というのは、とても大事なもので、それですべてが決まる、といってもいいくらいだ。
私が「やられた!」と思ったのは、私がかつて在職していたことのある辰巳出版の雑誌、「SHIBA」だ。
なんの雑誌かというと、柴犬の専門誌。
意表をつかれたというだけで、ネーミングとしては大したことはないかもしれないが、見たときは驚いた。
あと、飯島愛の「どうせバカだと思ってんでしょ」だ。
見たのはつい最近、前、少し書いた保坂和志の「書きあぐねている人のための小説入門」の横に50円で売られていた。
彼女の名前を見て、懐かしいと思う以前に、「飯島愛の死」が「予言的」だと思ってしまった。
それは、飯島愛という女性の名前と、「どうせバカだと思ってんでしょ」というタイトル(名前)の相乗効果だと思うが、「どうせバカだと思ってんでしょ」は、つい数日前、見たら、なかった。
売れたわけだ。
しかし、「飯島愛の死」は、どこがどう、予言的だったのだろう? あるいは、そう感じたのだろう?
今気がついたが、「どうせバカだと思ってんでしょ」と、「バカでもできる阪神の犯人探し」は、「バカ」が共通していたのだった。(そういえば、「風に吹かれて」のブログ記事も「バカです」だった)
ライブドアを選んだのは、無料ブログをグーグルで検索した際、一番上に出たFC2の使い方がのっけからわからず、3番目のniftyのブログ――いわゆるココログというやつだが――はあまりに芸能人を重視しているようで敬遠し、2番目に出ていたライブドアにしただけなのだが(ホリエモンが、ベーシックインカムを主張しているのには、共感しているが、ホリエモンは今はライブドアと関係ないんだろうし)、選んで以来、メールニュースが届く。
「ドアスポ」というのだが、これが、けっこう、タイトルがうまい。
たとえば、「バカでもできる阪神の犯人探し」。
なんだろうと思って、メールを開いてみたら、マートンがアウトカウントを間違えて、捕ったボールを客席に投げ込み、類に出ていた走者がホームインしてしまった一件だった。
「ドアスポ」曰く、どう見てもこれは弁解の余地のない、マートンの凡ミスにはちがいないが、マートンは、大リーグ経験もあり、プレイに関しては大変に真面目に取り組む選手であることは、みんなわかっているし、本人自身が一番反省し、恥ずかしく思っているので、「責任追及」なんてことをやってはならない。
ところが、阪神のフロントはそれをしようとしている。
これが、「バカでもできる阪神の犯人探し」というタイトルの意味だった。
「なるほどね」と思ったのだったが、「ドアスポ」は、さらに、「このようなフロントの体質は、阪神の伝統的な鎖国体質からくるもので、もっと開放的にならなければならない」と主張していた。
マートンの一件はその後、どうなったのか知らないが、この主張を読んで、ホリエモンが今も関与しているのではないかと思ったのだった。
それにしても「タイトル=名前」というのは、とても大事なもので、それですべてが決まる、といってもいいくらいだ。
私が「やられた!」と思ったのは、私がかつて在職していたことのある辰巳出版の雑誌、「SHIBA」だ。
なんの雑誌かというと、柴犬の専門誌。
意表をつかれたというだけで、ネーミングとしては大したことはないかもしれないが、見たときは驚いた。
あと、飯島愛の「どうせバカだと思ってんでしょ」だ。
見たのはつい最近、前、少し書いた保坂和志の「書きあぐねている人のための小説入門」の横に50円で売られていた。
彼女の名前を見て、懐かしいと思う以前に、「飯島愛の死」が「予言的」だと思ってしまった。
それは、飯島愛という女性の名前と、「どうせバカだと思ってんでしょ」というタイトル(名前)の相乗効果だと思うが、「どうせバカだと思ってんでしょ」は、つい数日前、見たら、なかった。
売れたわけだ。
しかし、「飯島愛の死」は、どこがどう、予言的だったのだろう? あるいは、そう感じたのだろう?
今気がついたが、「どうせバカだと思ってんでしょ」と、「バカでもできる阪神の犯人探し」は、「バカ」が共通していたのだった。(そういえば、「風に吹かれて」のブログ記事も「バカです」だった)