パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

写真の不思議

2011-05-01 03:46:21 | Weblog
 会場の写真を撮ってもらったので、私が写っちゃってるけど、アップしておきます。

 ところで、「緩い写真」とはどういう写真かというと、垣根が低い、他との閾があいまいということで、要するに「フラット」なんだと思うのだが、面白いのはこういう曖昧な言葉がちゃんと他人に伝わるということだ。

 今日、入り口から近所のおばさんがつれていたミニチュアダックスフントが、中を覗き込み、「あ~ら、あんたわかるの?」っていわれていた。

 ダックスフント君が、私の写真を見て,「フラットで、ステキだワン!」と思ってくれたかどうか、犬ならともかく、人間なら、写真を勉強した人でなくても、なんとなく伝わる。

 出力センターのビジネスマン,私に言わせれば、「灯台下暗し」で写真表現にもっとも遠い人でも、セピア調に仕上がったプリントを見て、「正直でないように見える」と言うと、はっきりその意味は通じたのだ。

 ニューギニアあたりの人食い人種君に、彼らが使っているであろう、「緩い」、もしくは「平ら」という言葉を使って、わたしの写真を説明したら、すぐは無理でも、たぶん、じきに理解してくれるだろうと思う。

 不思議だなあと思うが、これは、言葉の問題なのか、写真の問題なのか?

 多分,両方だ。

 たとえば、写真のパスタを見て、食欲をそそられる。

 不思議だなあと思うが,これは、私が思うに、写真に写されたパスタを思考に翻訳する際に、「美味しさ」という概念が「パスタの真実」として付け加わった結果なのだ。

 しかし、食欲をそそられても,人は、写真にかぶりついたりはしない。

 自分の見ているものが、パスタではなく、写真だと知っている人は,「パスタの真実=美味しい」を、「写真の真実」として受け取っているからだ。

 なんて、考えているのだが。