パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

知識人が「知的怠惰」では、どうしようもなかんべという話

2011-05-06 00:19:03 | Weblog
 こんなことを書いてしまっていいのだろうか、と思わないでもないが、でも書かないわけにはいかない。

 「がんばろう日本」、「一つになれ日本」というかけ声を聞くたび、「日米開戦時」というのは、こうだったんだろうなと思ってしまうのだ。

 「あの時」も、多くの人々、特に、先の見えない日中戦争にうんざりしていた「知識人」たちは、横光利一は言うに及ばず、太宰なんて人まで,「日米開戦」の報せに、それまで眼前を覆っていた暗雲が晴れた、行くべき道が見えた、と思ったのだった。

 この、よく知られた事実について、私は、「戦争が起きたら、自分の国が勝つことを願うのは当然だろう」と思っていたのだが,「3.11」以来、考えが変わった。

 「暗雲が晴れた」と思った知識人は、単に知的に怠惰だっただけだ、と。

 今も同じだ。

 長引くデフレから抜け出せないでいること、それが問題だったのだが、突如襲った大震災に、自分たちが苦しんでいる苦しみがなんであったかを忘れ、「頑張ればできる」の声、一色。

 原発を襲った「想定外」の事態について、原子力安全委員会の学者は、津波の予想を6メートルとし、海抜10メートルの福島原発の立地条件を是として建設を許可したという。

 これには驚いた。

 建築でも、それに使う一本の釘でもなんでもそうだと思うが、「安全率」というのは、普通、2倍以下ということはないだろう。

 ましてや、原発という重要施設だったら,もし、津波の予想高さが6メートルだったら、最低でも、3倍の18メートルは必要だ。

 まあ、切りのいいところで15メートルにケチったとしても(実際には、そんな「決め方」があるにちがいない)、あと5メートル高いところに建設していれば被害は随分違ったはずだ。

 福島を襲った津波が、その後の研究で15、6メートル級の津波がかつてあったことが判明したから、予想値の6メートルという数字が小さすぎたのだとニュースで言っていたが、予想値が6メートルでも、安全率を3倍にしておけば問題なかったのだ。

 ともかく、安全率が「2倍以下」ということは、信じられない。

 それが「工学部的知性」の普通のあり方なんだが、マスコミはそれに気づかない、というか知らないというか、はっきり言ってバカだから、海抜10メートルの地点に原発建設を許可した原子力委員会の「判断」に、かなり怪しいものがありそうだと突っ込むことができない。

 それを,私は「知的怠惰」と言いたいのだ。