今朝、といってもお昼過ぎだが、会場に着くと、ギャラリーの女主人が私を待ちかねていたような風情で、私にこう言った。
「まことにすみませんが、お願いがあるのです。実は,裏でネズミが一匹死んでいるんです。袋に放り込んでいただければ,私がゴミ捨て場に持ってゆきます」
うへっ,実は私もネズミは苦手。
でも、かく、女性に頼まれては、なんとか男らしいところを見せねばなるまいと、勇気を奮って、わり箸をもって裏に回ると、子ネズミとも思えるような小さなネズミが死んでいた。
私が嫌いなのはでかいドブネズミ。
これだけ小さければ、なんてことはないと、ハシでつまみ上げるとやたらに軽く、心理的な抵抗はほぼなしに等しかった。
昔、といっても20世紀の始め頃、なんとかいう、物理学者だか心理学者がいて、「重さ」が人に与える心理的影響を詳細に調べたことがあって、それをもとに、フロイトの無意識説が生まれたとか、読んだことがあるが、さもありなんと「実感」した。
ドブネズミは、その「重さ」が、なんらかの閾を超えることによって、どこか、人の無意識に働きかけるのだ。
と、ここまでは,比較的容易に理解可能なのだが、その後、話が、カントの純粋理性批判のような問題に絡んでくると,とたんに話が難しくなってくる。
要するに、物理的真理とみなされているものも、実は心理的なものだということになって、しかも、それが勢いを増している。
所謂,科学における人間原理主義の台頭だ。
宇宙の森羅万象、ことごとく、人間に理解可能なようにできているとか。
ところが、一方で、量子力学では、いい得るとしたら、理解できないと理解することだとか言ったりする。
でも、これも,一種の「人間原理」なのだろう。
こんな話が好きなんだよなあ。