日本代表の投手コーチは与田でした。
でも、交代を仕切っていたのは明らかに山田コーチだ。どんな肩書きだったのだろう。
山田コーチのことは別に嫌いでもないし、ピッチングコーチとしては有能だったのかもしれないが、それはあくまでも「技術的」な側面であって、総合的判断ということで言うと、ドラゴンズで実績を残せなかった(と思うのだが)ことからも、少々問題ありなんではないだろうか。
いずれにせよ、これからは心理カウンセラーの専門家なんかをベンチに入れるといいんじゃないかと思うなあ。
WBCはこれくらいにして、小沢問題。
テレ朝のニュースショーに民主党の原口が出てきて、今の検察のやり方を、「民主主義の危機をもたらす」と非難したところ、評論家の岩見隆夫が、「そりゃ、大袈裟でしょう」と笑っていた。
私は岩見隆夫は例外的に信用している人だったのでびっくりした。
問題認識自体がまったくちがっている。
原口が民主主義の問題を持ち出すのは、極めて真っ当な問題認識だと私は思うのだが、岩見氏はそうは思っていないみたいで、原口が何を言っても、「小沢代表では選挙に勝てないでしょう」と、それまでの論議を平気でひっくり返す。
堀田力という、まあ比較的リベラルな元検事も(別にリベラルだからいいなんて全然言うつもりもないが)、「検察は説明しないでよい」だ。
この堀田の場合は、多分「先輩」としての、ただそれだけの発言のような気もするが、他の見方をすれば、もしかしたら世代的な「ちがい」の現れなのかもしれない。
要するに彼らは60年安保世代。
団塊世代はほどひとまわり下の70年安保世代。というか、全共闘世代。
もう、五、六年前だと思うけれど、雑誌『諸君』で、安保世代と全共闘世代がそれぞれ別々に座談会を行い、それが並べて掲載されたことがあった。
読んでびっくりしたのは、対談の雰囲気がまったくちがう。
全共闘世代は連合赤軍事件を背負っているので、どうしても雰囲気が極めて暗い。
暗いが、その「悔恨」の中に、何か、「やりそこなったこと」を取りかえそうとする、闘志がみられないでもない。要するに、まだまだ現役という感じがした。
ところが、60年台安保世代の出席者の発言は、正直言って同窓会雑誌の雑談記事でしかない。発言の最後に、ことごとく(笑)がついているような、お気楽な思い出話で、カンラカラカラと大笑いして盛り上がっているばかり。
リタイア感がありありなのだ。
私はちょっと写真をやっているので、60年安保世代の写真家が多士済々であることを知っている。
もちろん、それは政治とは何の関係もなく、たまたま広告産業が急成長している最中だったとか、そういうことが関係しているのだろうが、世界的にも稀な程、優秀な写真家が揃っていた。
「世界」は、今、彼らを発見して驚いたりしている。
そんなこともあって、彼らには一目おいていたのだが、この座談会を読んでからちょっと見解を改めた。
彼らはただ「運」がよかっただけで、才能は特にどういうこともないのだ、とか……。
それはともかく、そんなわけで、団塊の世代は何かと評判が悪いし、私も嫌いなのだが、でも、本質的な問題に取り組もうと言う意欲は、本当はあると思っているのだ。
もちろん彼らもこれから続々リタイアするわけだが、リタイアしてもリタイアできぬ問題を、何かしらもっている連中が多いように感じるのだ。
鳩ぽっぽにしても、管直人にしても、自分の本当にやりたいことをまだちゃんと言っていないような気がする。(鳩ぽっぽは時々唐突に言い出すことがあるが)
そう言えば、前日本代表監督の星野も、山田コーチも、もろに「団塊世代」だったけど、彼らは、体育会だし、「先輩」の権力体質をそのまんま受け継いでいるような気が……。
何故って、私は元ボート部だったので雰囲気はわかるのだ。
……と話題代って、最終段階にある私の写真集の件なのだが、最後に来て、「古代ギリシャ哲学」が壁になって苦労している。
古代ギリシャ哲学といっても、いわゆるソクラテス以前の哲学者たちだ。
ヘラクレイトスとか、タレスとか、クセノファネスとか、アナクシマンドロスとか、アナクシメネスとか、パルメニデスとか、もう、カタカナを打ち込むのが大変……というのじゃなくてー。
でも、交代を仕切っていたのは明らかに山田コーチだ。どんな肩書きだったのだろう。
山田コーチのことは別に嫌いでもないし、ピッチングコーチとしては有能だったのかもしれないが、それはあくまでも「技術的」な側面であって、総合的判断ということで言うと、ドラゴンズで実績を残せなかった(と思うのだが)ことからも、少々問題ありなんではないだろうか。
いずれにせよ、これからは心理カウンセラーの専門家なんかをベンチに入れるといいんじゃないかと思うなあ。
WBCはこれくらいにして、小沢問題。
テレ朝のニュースショーに民主党の原口が出てきて、今の検察のやり方を、「民主主義の危機をもたらす」と非難したところ、評論家の岩見隆夫が、「そりゃ、大袈裟でしょう」と笑っていた。
私は岩見隆夫は例外的に信用している人だったのでびっくりした。
問題認識自体がまったくちがっている。
原口が民主主義の問題を持ち出すのは、極めて真っ当な問題認識だと私は思うのだが、岩見氏はそうは思っていないみたいで、原口が何を言っても、「小沢代表では選挙に勝てないでしょう」と、それまでの論議を平気でひっくり返す。
堀田力という、まあ比較的リベラルな元検事も(別にリベラルだからいいなんて全然言うつもりもないが)、「検察は説明しないでよい」だ。
この堀田の場合は、多分「先輩」としての、ただそれだけの発言のような気もするが、他の見方をすれば、もしかしたら世代的な「ちがい」の現れなのかもしれない。
要するに彼らは60年安保世代。
団塊世代はほどひとまわり下の70年安保世代。というか、全共闘世代。
もう、五、六年前だと思うけれど、雑誌『諸君』で、安保世代と全共闘世代がそれぞれ別々に座談会を行い、それが並べて掲載されたことがあった。
読んでびっくりしたのは、対談の雰囲気がまったくちがう。
全共闘世代は連合赤軍事件を背負っているので、どうしても雰囲気が極めて暗い。
暗いが、その「悔恨」の中に、何か、「やりそこなったこと」を取りかえそうとする、闘志がみられないでもない。要するに、まだまだ現役という感じがした。
ところが、60年台安保世代の出席者の発言は、正直言って同窓会雑誌の雑談記事でしかない。発言の最後に、ことごとく(笑)がついているような、お気楽な思い出話で、カンラカラカラと大笑いして盛り上がっているばかり。
リタイア感がありありなのだ。
私はちょっと写真をやっているので、60年安保世代の写真家が多士済々であることを知っている。
もちろん、それは政治とは何の関係もなく、たまたま広告産業が急成長している最中だったとか、そういうことが関係しているのだろうが、世界的にも稀な程、優秀な写真家が揃っていた。
「世界」は、今、彼らを発見して驚いたりしている。
そんなこともあって、彼らには一目おいていたのだが、この座談会を読んでからちょっと見解を改めた。
彼らはただ「運」がよかっただけで、才能は特にどういうこともないのだ、とか……。
それはともかく、そんなわけで、団塊の世代は何かと評判が悪いし、私も嫌いなのだが、でも、本質的な問題に取り組もうと言う意欲は、本当はあると思っているのだ。
もちろん彼らもこれから続々リタイアするわけだが、リタイアしてもリタイアできぬ問題を、何かしらもっている連中が多いように感じるのだ。
鳩ぽっぽにしても、管直人にしても、自分の本当にやりたいことをまだちゃんと言っていないような気がする。(鳩ぽっぽは時々唐突に言い出すことがあるが)
そう言えば、前日本代表監督の星野も、山田コーチも、もろに「団塊世代」だったけど、彼らは、体育会だし、「先輩」の権力体質をそのまんま受け継いでいるような気が……。
何故って、私は元ボート部だったので雰囲気はわかるのだ。
……と話題代って、最終段階にある私の写真集の件なのだが、最後に来て、「古代ギリシャ哲学」が壁になって苦労している。
古代ギリシャ哲学といっても、いわゆるソクラテス以前の哲学者たちだ。
ヘラクレイトスとか、タレスとか、クセノファネスとか、アナクシマンドロスとか、アナクシメネスとか、パルメニデスとか、もう、カタカナを打ち込むのが大変……というのじゃなくてー。