パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

ある夫の好きなこと

2009-03-15 17:59:43 | Weblog
 最近は、TVをひねれば必ず「老齢者」問題が取り上げられていて、しかもそれがみな惨めというか、要介護老人ばかりで、みていて嫌になる。

 今日も、田原のサンデープロジェクトで、若年性痴呆症になってしまった妻を抱える夫の話をやっていたが、その妻は、もうかなりひどい痴呆症で眼から完全に表情が失われているのだが、しかし、髪の毛は今も黒々としており、しわも少ない。痴呆症でなければ、「なんてお若くて、美しいんでしょう」と羨ましがられるであろう容貌で、実際、夫は、一目惚れで結婚、今もぞっこんで、毎朝、自分が出勤する前にお化粧を施してあげているのだが、その上手いこと! 

 普通の化粧道具なんかじゃない、プロの道具を使って口紅を引き、ほほ紅を指し、アイシャドーまでつけてあげている。

 よく見ると、ラメ入りだ。

 今すぐにでもプロになれるぞと思ったのだが、夫の本職は「葬儀屋さん」。

 死化粧係だったりして。

 というのは冗談だが、でも葬儀会社の営業だったというのは事実で、その後、奥さんの介護のために、営業ではない部署を望んだが、収入がかなり減ってしまった。

 はっきり言って、このケースは、この「夫の収入が少なくなってしまった」ということだけが問題で、あとはある意味、自分の大好きな、しかも決して文句を言ったりしない「生きた人形」を相手にしているつもりでいれば、「幸せ」と言ったっていいケースだ。

 そういう観点から番組を作ったっていいじゃないかと思った。たとえば、お化粧を施してあげるシーンに、「楽しそうな旦那さん」とかなんとかコメントを入れたりして。(実際、楽しそうだったぞ!)

 まあ、そんな番組にしたら視聴者から「不謹慎だ」とねじこまれるかもしれないが、『おくりびと』より面白いと思うぞ。(『おくりびと』、見てないけど。)

 夫が出勤した後は、部屋の中でまばたきもせず、椅子に座ってじーっとしている、お化粧を見事に施し、きれいに着飾った美人妻。

 シュールだ。(実際には夫の八十を過ぎたお母さん、つまり姑が面倒を見ているのだが。)

 話がそれたが、この手の番組を見るたび思うのが、日本の寝たきり老人率の高さだ。

 よく知られた話だが、日本の寝たきり老人の数はアメリカの10倍だ。

 10倍と言うのは実数で、人口比率で言うと5倍ということなのだが、ヨーロッパ、特に北欧の場合なんかは、「ゼロ」と言われたりする。

 というのは、自力で食物を飲み込めない老人は、そのままにしておくからだ。

 つまり、自然死を待つということだ。

 だから、当然、施設で死ぬ老人の数も日本より多い。年間300人も死ぬところが少なくないらしく、日本だったらスキャンダルになる。

 しかし、こういう統計数字をどう読むかは、なかなか難しいもので、日本で「寝たきり老人」が多いことは否定できない事実であるものの、日本では、「他人に依存して生きること」が肯定されているからであって、決して悪いことではないという意見もある。

 つまり、欧米で「寝たきり老人」が少ないのは、「他人に依存して生きる」ことは老人だろうが、誰だろうが忌避すべきことで、もしそういう状態になったら、断然、「依存」を拒否して、一人で死んでゆく。

 この二つの生き方のどちらがいいかは、文化の問題も絡むので一概には言い切れないというのだ。

 しかし、これはちょっとおかしい。

 というのは、「寝たきり老人」でググって調べたついでにわかったことなのだが、日本の老人の自殺率は、残念ながらかなり高いのだが、内容を調べると、独居老人ほど自殺率が低く、なんと、三世代同居家庭における老人自殺が一番高いのだそうだ。

 CM等では、「幸せな生活を保証されている」はずの「三世代同居」家庭の多くが、最後は「地獄」になっちゃうわけだ。

 日本には、「他人に依存することを是とする文化がある」なんて、それこそ幻想なのだ。

 これは、私だけの意見ではない。橋本治がどこかで言っていたことで、実際、「日本には他人に依存して生きることを是認する文化」がある、と言っていた先生は、日本だけでなく、一般に東洋はそうだみたいなことを言っていたが、こんないい加減なんでよくぞまあ大学の先生をやってられるもんだ。

 大家族制度の社会である中国でも、韓国でも、否、どの発展途上国も、裕福になるにつれ、一人で、もしくは二人で(つまり核家族で)暮らすことを選ぶ傾向がある。

 これは「文化」を越えて見られる現象で、人間は、多分、生物学的に、一人、もしくは二人(夫婦)で暮らすことができるなら、そうすることを選ぶ傾向がある……ということは否定し難い事実だと思うのだが、マスコミは、挙げて、「一人暮らしの老人」を異常視し、「孤独死を防ぐため」の監視体制を作れと熱心だが、自殺者の多くは実は子供、孫らと一緒に暮らしている老人が、人間関係に疲れて自殺する確率が高いという事実(1994年の統計で、十年以上前の数字だが、この手の数字はあまり変わるものではないだろう)をまず認めよ、と言いたい。

 日本人は、近年、とみに「事実」を見ようとしなくなった傾向がある。

 自分の「思い込み」を勝手に喋り散らかすだけだ。

 自分たちが首を縦に振らなければ何も決まらない、「だって、それが民主主義だも~ん」とタカをくくっているのは、特に、数の多い団塊の世代以上に多いように思うのは、自己嫌悪が過ぎるかな?