パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

何かの縁で「兎の眼」と

2006-11-23 20:07:00 | Weblog
 灰谷健次郎、死去。
 ほんとに、訃報ばかりという感じだが、この人については一冊も読んだことはないので、特に思い入れはないのだが、みのり書房時代、親会社の社長が、灰谷健次郎に入れこんで、「兎の眼」の漫画化権をとって、知り合いの漫画家に書かせ、それを軸にした漫画雑誌を出したことがあった。しかもその雑誌の名前が「BUN」。私の名前じゃないか。(もしかしたら、その漫画家が灰谷の知り合いで、その漫画家とどこかで知り合った社長が、「じゃあ、『兎の眼』で漫画雑誌を作れば売れるかも知れない」という話だたかも知れない。忘れた。)

 ともかく、『兎の眼』だったら絶対売ると自信満々で出したのだが、結果はとんでもない、「BUN」は返本率百%だった(ある意味、私も傷付いた。名前のせいじゃ……と)。これは、オーバーでなく、本当に百%だったのだ。つまり、万引きすらされなかったという……。「返本率百%は、決してあり得ないことではない」という編集者にとっては実に怖~い教訓なのだが(実際は百%以上もあり得る。返本をもう一度店頭に並べ、それがさらに戻ってくるケースだ。これも実例があるらしい。幸い、みのり書房ではなかったが……)、社長はめげず、この次は絶対売れるから、頑張れと、編集長も兼ねていた件の漫画家にはっぱをかけたのだが、そうこうしているうち、漫画家の家が火事で全焼してしまい、夫婦二人でみのり書房に転がり込み、ビルの屋上にプレハブを建てて、そこで寝泊まりを始めた。
 私が、みのり書房をやめる少し前のことだけれど、結局、その雑誌は三号くらいで廃刊となり、漫画家夫婦もどこかに消えた。その後に、いったん下宿に帰ると二日も三日も爆睡してしまうアウトの名物編集員R2氏に閉口した編集長T氏が、R2氏に、漫画家夫婦に代わってそのプレハブに住み込むことを命じた。

 と、そんなことを思い出したのだが、2chの書き込み等を読むと、「児童作家には、イメージと裏腹の人が多いが、灰谷氏は正真正銘の好人物」と筒井義隆が評したこと、作品自身は子供達にとても好まれていたこと、「子供は善、だから何があっても絶対擁護」の人で、酒鬼薔薇を擁護し、彼の本名、写真をフォーカスで暴露した新潮社に抗議して版権を引き上げたこと、酒鬼薔薇だけでなく、どうにも擁護できそうにないコンクリート詰め殺人の犯人の少年も、「子供は絶対に善、立ち直ることができる」という主義から擁護したことなどがわかった。

 私は、酒鬼薔薇の類い稀な「知性」に大いに興味があり、それが少年であるが故にまったく問題にされず、結果的に、いわば封殺されてしまったのが不満なのだが(「無知の涙」の永山規夫は、事件当時19歳で、少年と大人の狭間だったので、「作家活動」が認められた)、これは灰谷氏の考え方とはまったく相容れない。何故なら、灰谷氏としては、酒鬼薔薇を純真な存在(子供)として擁護しているのだろうから、「酒鬼薔薇の知性」なんかを認めたら、擁護できなくなってしまうはずだからだ。

 と、以上のようなことを書いているうちに、この際、灰谷童話も一冊くらいは読んでみようか思っていたが、その気持ちもちょっとなくなってきてしまった。でも、読むかも知れないけど。

 しかし、本当に、《純粋》な感動の涙を誘う童話といったら、オスカー・ワイルドにとどめをさすのではないだろうか。特に、『幸福の王子』とか。ワイルド自身は、「幸福ではない、快楽だ」と言ったのだけれど、実際、自分の眼から何から全部失いながら、みんなのためになれたと幸せの涙を流す「幸福の王子」の幸福は、善も悪も超越して、まさに「快楽」の次元で成立しているわけで、そもそも灰谷童話とは次元が違うのだが。