パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

「やらせ質問」で思い出したこと

2006-11-11 18:35:20 | Weblog
 教育基本法改正問題に関するタウンミーティングにおける「やらせ質問」報道をみて、あることを思い出した。

 今を遡ることン十年、小学校2年生の時だ。母親を通じて、中山という男性教師から呼び出され、放課後の学校に行った。
 中山という先生は、もちろん、小学校の教師なのだけれど、生物学のちょっとした研究家でもあって、たびたび専門誌に寄稿したりしていたことで、学校関係者、あるいは生徒の父兄の間では一目置かれていた存在で、机も職員室ではなく、生物教室の一角に鎮座ましましていたような気がする。
 その生物教室で私を待っていた中山先生は、私の名前を借りて、雑誌に「朝顔の観察日記」を掲載したので、お礼をしたいのだと言う。雑誌を見せてもらうと、科学雑誌なので横組だったが、「世田谷小学校 2年2組 潮田文(私の本名だ)」と印刷されていた。
 もちろん、たかが小学2年生の観察日記に、何か新発見があるわけはない。ただ、「やった」ことがえらいえらいと誉められるだけで、中山先生の意図も、「こんなに真面目ないい生徒がいるのは、ひとえに私の教え方がいいおかげですよ」と言いたかったのだろう。

 しかし、私は、寝坊助のぐうたらで、朝顔の観察日記なんかできるわけがない。よりによって何で私なんかを選んだのだろうと思いつつ、先生に促されて読みはじめたが、私の文章なんかではあり得ないその文章に違和感がいっぱいで、冒頭の2行以上には進めなかった。
 しかし、なんで中山先生は私を選んだのだろう。実は、中山先生は私の担任ではなく、授業を受けたことも一度もないのだ。もしかしたら、物事を忍耐強く最後までやり遂げる感心な子供、という評判が諸先生の間にあったのだろうか。まさかね、と思うけれど、いい方向での「勘違い」なら、本人にとっても励みになるだろうから、いいことではないか、などと思っていたとしたらそれこそ、とんでもない勘違いだろう。
 私の書いたものではないものを私の名前で発表することが、決して許されるべきものでないことくらい、小学校2年生だってわかる。それがすべてなのだ。
 しかし、だからといって、小学校2年生では先生に抗議するようなことはできず、ただ仏頂面でつっ立っているだけの私に、中山先生は、鉛筆を2本、お礼にくれた。

 ……と、まあ、そんな思い出で、今報道されている「やらせ質問」とは、その動機が異なるが、教育関係者の拭い難い偽善的体質を示しているという意味では同じだろうと思う。