Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

PEN LIFE585. 文化消費

2013年02月25日 | Kyoto city
 月曜日は、朝8時半から夜9時迄、入試業務があるので、まとめだしをしておこう。週末は東京で泊まり、翌日、帰り道の途上、熱海に立ち寄った。実は私は、これまで熱海で降りたことが一度もなかったからだ。
 海に向かう急傾斜な地形は、世界遺産イタリアのアマルフィーを思い起こさせる。しかしその上の現代の建物は、アマルフィーとは似ても似つかない、美意識を欠いた欲望の固まりのような景観である。現代の日本人は、本当に美意識がなくなったというほかない。それは、戦後日本の経済成長の縮図のようでもある。
 戦前の松の緑の中に隠れるように木造家屋が建ち並ぶ景観は、おそらく美しかっただろう。それを文人達が愛した理由もうなずける。戦後の経済成長とともに、熱海は変わりに変わり果て、団体客志向の巨大な旅館群が建ち並び、そうした志向が去ると、こんどはマンション群が建ち並ぶといった具合に、美意識ではなく欲望、正確に言えば経済合理主義あるいは拝金主義によって景観がつくられてきたといってよい。
 そんな欲望の街づくりの狭間に生まれるキッチュな退廃した風景は、森山大道さん流に反逆的な視点でみれば、面白かったのかもしれない。時代は平成になり、団体客も昔のようにはこない時代になってから、街づくりのかけ声で、街自体はこぎれいにはなったが、あわせてキッチュな風景も失われたように思われる。そうなると、私にはますますつまらない街になってきた。
 街の景観も文化表現である。そして文化はつくられてから、何百年も後世に伝えられるべきものである。そこに後世の人にとっての価値が生まれてくる。私たちは、後世に何を伝え残そうとしているのであろうか。そう考えると、私たちがしていることは、文化創造ではなく、後世の人々に何も残せないという文化消費だけではないだろうか。
 熱海の景観を見ていると、もう戻れないところ迄、現代という消費の時代は、非文化的な道に踏み込んで来てしまったと感じさせてくれる。

追伸
 今日は朝の8時から夜の20時迄、入試の試験監督&採点で、12時間労働だった。身体を動かさない仕事ばかりで、ストレスたまり疲れたと言うべきなんだろう。身体があーあっあ!という気分で固まり、なんのことやら。

熱海市,2013年2月24日
OLYMPUS OM-D E-M5, LEICA DG ELEMARIT45mmF2.8, ISO200,露出補正−1/3,f8,1/800
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