Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Landscape37. 山陽路・倉敷2

2008年03月05日 | field work
 倉敷河畔の美観地区の裏に回ると、古い民家が立ち並ぶ本町の街並みがある。今でも染物屋、畳屋、表具屋、酒屋などの店が並んでおり、生活感が漂う昔ながらの面影が濃厚な界隈である。こちらのほうが、個人的には、面白い。なんといっても、道幅と民家の高さとのプロポーションが調度いい。道路こそ舗装されているが、それを除けば、昔ながらのプロポーションであり、往事の通りの活気や風景を想像することができる。街路の正面に鶴形山がアイストップとなっている点も美しい。
 古来から道の正面に山が見えるように設える道路配置手法が、日本全国で用いられてきた。現在でもつくば市の東大通りなどがそうである。こうした手法を専門家の間では「あて山」と呼んでいる。山に向かって道を当てるように配置する手法である。道をあるく人々にとって、あて山が道しるべとなっている。それは、かっての人々の優れた感性であり技であったといえよう。
 翻って考えれば、目印のないただまっすぐで単調な道を歩かされるときほど、歩く距離が長く感じられ、退屈で、疲労感を感じるときがある。道の正面が抜けている風景は、絵にもならない。やはり適度な距離でアイストップが必要になる。この手法は、造園の世界でも用いられており、代表的なのは桂離宮のアプローチに設えられた「住吉の松」である。松の背後には回遊式庭園が見える筈だが、それを1本の形の良い松が、視界を遮り、見えるのではなく、感じさせる、設えとなっている。そして古書院に上がると回遊式庭園が一望できる。人間があるくことによって高まってくる期待感といった心理を巧みに読み込んだ手法である。
 昔から風景をつくることは、建築をつくること以上に、知恵と技が用いられてきた。そうしたスキルの集大成が日本最古の庭園書「作庭記」[注]である。そこには往事の人々の優れた感性を読み取ることができる。
 現代の建築家はどうかといえば、自分の建築のことしか頭にないのだから、風景をつくるなんてことを考えていない建築が多い。むしろ自分のデザインがアイストップとなることしか考えていない。だから街中がアイストップ建築で満ちあふれ、さながら万国博覧会の会場のようである。我が国では、風景という視点では、あまり期待できない建築家が多い。
 
注:平安時代に造園の意匠と施工に関してを、全て文章で書かれた技法書。作者や編纂時期には諸説ある。現在では作者は橘 俊綱(たちばなのとしつな)とする説が有力視されているようだ。
 
EOS3,EF F3.5-5.6/28-135mm
エクタクローム,CanoScan.
コメント
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