みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Medicine, #3

2017年04月04日 | 聖書研究・信仰
人間はその本性に依って、多くの不幸な状況を経験するまで信仰によって救われることを嫌う。

自分の行ないによって救われるように頑張るのがふつうだ。

体の癒しについても同様。

霊的癒しに対する抵抗は、罪の赦しに対する抵抗よりもはるかに強力だ。

救いに関して、主イエスを信じなければ天国に入ることができないと考えている信徒は多い。

一方で、彼らは次のように考えている。

他に多くの医学的手段があるのに、どうして主の癒しに頼る必要があるのか。

薬を使うかどうかに注目しているのではない。

薬を使うに際して、その者の行ないにより神の救いの御業が卑しめれていることに注目しているのだ。

この世は、罪からの救いに関する数多くの理論をひねり出してきた。

哲学、心理学、倫理学そして教育に関する多くの学校も供給している。

そればかりか、無数の儀式、善を為すための決まり事や習わしまで提供している。

主イエスの十字架の御業の完成の上に立つのか。

それとも、これら人の作った産物の上に立つのか。

問われているのはこの点だ。

同様に、この世は病いから解放してくれる多種に渡る薬剤を発明した。

しかし、等しく、主も体に関する救いの御業を十字架上で成し遂げた。

我々は人が生み出した方法で癒しを求めるのか。

それとも、主イエスに依り頼むのか。