みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#554 神の法第五戒

2020年05月23日 | 神の法
第5戒
権威主義

194~
The principle of Authority
The Fifth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

この手の人格障害の根はかなり深い。

John Lockeは、人間教(ヒューマニズム)的信仰という不安定な精神状態を明確な平板概念(tablet concept)によって公式化した。

彼は真の教育について次のように考えた。

あらかじめ与えられたあらゆる観念、両親による教育、宗教、社会などから、心を一掃するよう求めるのが真の教育であると。

Lockeの概念あるいは心理学に依れば、教育は革命的でなければならないとされる。

ルソーの自然の人に加えて、前もって考えられる観念のすべて、過去から踏襲された財産のすべては、切断すべき鎖であると。

Marx(マルクス)とFreud(フロイト)は、John Locke(ジョン・ロック)、Rousseau(ルソー)、Darwin(ダーウィン)の哲学から論理的結論を導き出した。

Darwinは、自らの進化論信仰によって、過去のすべてのものを、より下等なもの、より原始的なものと見下した。

そして、進化のために過去の一掃を強要するために、Darwinは正当な理由を追加した。

鍛錬と従順に対するこのような敵意は、20世紀におけるほとんどすべての良心的な努力を食いつぶしている。

芸術において、絵画や図法において駆使される技術の修得能力は無視され、理性や様式を欠く自発的かつ無意識の表現に取って代えられる。

宗教において、経験が優先され、教理に取って代わる。

政治において、権威は下層出身者やより低いレベルの人々出身に占められ、カリスマ的リーダ―が大衆を大いに満足させる扇動者となる。

音楽において、ろくに鍛えられていないような感情に走る者たちが賞賛を浴びる。

従順や修練に対する敵意が一般的となり、深く根付いていく。

訂正:宗教において、経験が優先され、教理に取って代えられる→宗教において、経験が優先され、教理に取って代わる。

コメント:

ピカソのような抽象画が進化論哲学の影響を強く受けているということを初めて知った。これはビックリ。

神学なんて学ぶ必要はないという教えにも進化論哲学が関与していると書いている。思想的に背後でつながっているのだ。

われわれが住んでいる現代社会は、知らず知らずのうちに、あらゆる領域において人間教と進化論哲学に侵食されているということ。

クリスチャンであれば、この由々しき事態をなんとかしたいと願うのは当然のことではないだろうか。



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