みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee Break, #297

2018年12月12日 | コーヒーブレイク
ローマ12章1節
そういうわけですから
兄弟たち
私は
神の憐れみのゆえに
あなたがたにお願いします
あなたがたの体を
神に受け入れられる
聖い
生きた供え物として献げるように
それこそ
あなたがたの合理的な礼拝です

*一部修正

体と訳された単語はσῶμαであり、生物学的な意味での体。

肉ではない。

霊と心はすでに新生した(いずれ考察)。

しかし、思考回路がいまだ古いために、新生後もいろいろと問題を抱える。

問題解決のための思いのリニューイングは、主イエスとの共同作業であると先に書いたが、実践するのは我々自身。

これをφρονέω(思いを訓練する)という(ピリピ2:5)。

上の聖句で、最初に問題となるのが「聖い」と訳されている箇所。原義は「世とは異なる」「世から分離された」という意味。世から分離されているから聖いのだ。

「生きた」とは、単純に「今」という意味であり、死んでしまってからではできないということ。

つい深読みしてしまいそうな聖句ではあるが、いつもの通り時間を割いて聖書と相対している状態と考えてよいと思う。

このような前提があって、2節が続く。

体(これは抵抗しない)を献げておけば、頑強に抵抗する思いが献げ易くなる。

だから、合理的なのだ。

リニューイングが進めば進むほど思いは先鋭化し、ますます御心を証明できるようになる。




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