☞ Prayer: Guaranteed to Succeed! - Charles Spurgeon Sermons
13分28秒から21分19秒まで。
*重要な個所はくり返し語られている。
◇◇
加えて、万物の支持者として、私たちは主を崇拝しています。
すべての自然法則は、主の御力によってのみ運用されていて、しかも主の力によってそれらの運動は維持されています。
つまり、主は世界中のすべての力の運動を知っておられます。
主が求めなさいと言う時、それは必ずや与えられます。
知らずに言っているのではなく、肯定したことを知っているのです。
主ご自身のことばを妨げる力は存在しません。
創造主から、そして維持者から出たことば「私はあなたに言います」は、すべての議論を永遠に終わらせます。
しかし、昔からある議論ですが、もうひとつ祈りに異議を唱える人たちがいます。
彼らは大変力強い議論をします。
それは、批評家によるのではなく、真理の一部を共有する人たちによるものです。
つまり、こうです。
祈りは、何らの効果も生み出すことはない。
何故なら神が万事を決定し、これらの神意は不変であると彼らは言う。
祈りは、何らの効果も生み出すことはない。
何故なら神が万事を決定し、これらの神意は不変であると彼らは言う。
神が万事を決定するという主張を否定するつもりはない。
神は、天においても地においても、起こることすべてをあらかじめ知っており、また予定しているというのが十分な信仰です。
川辺の葦の位置も神の御座と同様に、神はあらかじめ知っておられる。
地上の吹きあがる塵が進む進路を、神はあらかじめ知っておられる。
神命は、大きなものから小さなものまで包括し、そして万物に至る。
問題は、何故わたしたちは祈るのかということ。
何故私たちは呼吸するのか、食べるのか、動くのか、それをするのかということと同じ理屈です。
私たちはすでに十分満足する答えを持っています。
すなわち、わたしたちの祈りは神命の内にあるということ。
神はご自身の民の祈りを世のものとは何か別のものとして任命されました。
私たちが祈ると、神が定めた運命との連鎖反応を生み出すのです。
運命は、「私は祈らなければならない、私は祈る」と宣言します。
運命は、「私の祈りは聞かれるであろう」と法令を出します。
そして、(祈りに対する)答えが私の下へと届きます。
また、知られざる神の法令によって、自分の行動が規制されることはありません。
例えば、食べたり飲んだりすることに疑問を呈することはありません。
何故なら、食べたり飲んだりすることが神命かどうかは問題ではないからです。
仕事量が神命によるという理由で、働くかどうか決めるわけではありません。
普段の行動において、よく分からない神命を自分のガイドにすることは、常識とは相容れません。
祈りにおいても同じことが言えます。
(祈れば何がが起こるか分かる、つまりクリスチャンにとって常識であるから)
だから、祈るのです。
しかし、そのようなことよりも、はるかに良い答えを得ることがあります。
主イエスキリストが前面に現れて、今朝私たちにこう言います。
「わが愛する子らよ。神命は決してあなたを煩わせることはない。あなたの祈りと相容れない神命はない。私はあなたに言います。求めなさい。そうすればそれは必ず与えられるであろう。」
次のように言われたのは誰でしょうか。
何故、創造の始めから、彼は御父である神とともにおられのか。
主は御父のみ旨を知っておられ、神の御心が何であるかを知っておられる。
御父はあなたがたを愛していると主は言ってくださいました。
主は御父の命、御父の心を知っておられるので、永遠の目的において、この真理と相対するものは何もないという究極的証言を私たちに語ることができるのです。
それ故、求める者は受け、探す者は見出すのです。
初めから終わりに至るまで、主は神命を読んで知っておられます。
主は聖書を手に取り、7つのフィールドを開き、天の法令を宣言したのではなかったか。
涙の混じった強烈な祈りと相容れないものなど存在しない。
あなたが探し求める恵みの雨を、あなたに注ぎかけて下さる御父が開く天の窓と相容れないものなど存在しない。
さらに、キリストは神ご自身です。
天のみ旨はイエスご自身のみ旨です。
天のみ旨を定められたお方は、祈りにおいて障害となるものは何もないという保証を与えて下さいます。
私はあなたに言います。
イエスを信じる者たちよ。
あなたがたの疑いは風に散らされ、神はあなたの祈りを聞いて下さることを主はご存知です。
しかし、別の困難が心に浮かぶことがあります。
それは、自分に対する自己判断や自分勝手な神への評価と関係しています。
私たちは神は偉大であることを知っており、神の威厳に恐れおののきます。
私たちはあまりに小さきものであることを知っています。
加えて、卑しいものであることを知っています。
そして、そのような罪深くとるに足りない者たちが、神の御手を介して世界を動かす力を持っていることは、あまりに信じられないことのように思われます。
確かに、私たちは神は偉大であることを知っており、神の威厳に恐れおののきます。
私たちはあまりに小さきものであることを知っています。
加えて、卑しいものであることを知っています。
そして、そのような罪深いとるに足りない者たちが、神の御手を介して世界を動かす力を持っていることは、あまりに信じられないことのように思われます。
恐れは祈りの妨げになります。
しかし、主イエスは穏やかにこう答えて下さいます。
「わたしはあなたに言います。求めなさい。そうすれば、それは必ずや与えられます。」
も言う一度聞きます、「私はあなたに言います」と言ったのは誰でしょうか。
神の偉大と人の弱さを知っているのが主イエスです。
イエスは神であります。
主の卓越した威厳によって、主が「私はあなたに言います」と言うのをじっと聞く。
求めなさい。そうすれば、それは必ずや与えられるであろう。
しかし、主は私やあなたがたのようであります。
主は言います、「小さき者たちよ、恐れるな。試せ。あなたの骨の骨、あなたの肉の肉。」
間違いなく、神は人の祈りを聞いておられます。
主のことばは、ブレンドされた音のハーモニーとともに、私たちの下へとやってきます。
神なるイエス、人なるイエスがともに私たちに語りかけます。
「恐れるな、偉大なる汝らよ。あなたの祈りは聞かれている。汝の弱さを恐れるな。私は、人として、すでに神に聞かれている。」