再度はっきりさせておきたい。
霊の人になりたくて、自分の手や足を切り取る必要はない。
依然、自分の体で良い。
同様に、やはり自分の魂でよい。
その能力をフル活用すればよい。
しかし、今や魂は我々の命の源ではない。
その中には生きてはいない。
それによって生きてもいない。
それから何も引き出さない。
それをうまく使え。
体が我々の命なら、我々はただのけだものだ。
魂が我々の命なら、我々は神に反逆し、逃亡する。
どれだけ才能があろうが、教養があろうが、高等教育を受けていようが、関係がない。
神の命から離れてしまっている。
しかし、御霊の中で、御霊によって生きる時、体の機能と同様、いまだに魂の機能を使っていても、今や我々は御霊のしもべなのだ。
霊の人になりたくて、自分の手や足を切り取る必要はない。
依然、自分の体で良い。
同様に、やはり自分の魂でよい。
その能力をフル活用すればよい。
しかし、今や魂は我々の命の源ではない。
その中には生きてはいない。
それによって生きてもいない。
それから何も引き出さない。
それをうまく使え。
体が我々の命なら、我々はただのけだものだ。
魂が我々の命なら、我々は神に反逆し、逃亡する。
どれだけ才能があろうが、教養があろうが、高等教育を受けていようが、関係がない。
神の命から離れてしまっている。
しかし、御霊の中で、御霊によって生きる時、体の機能と同様、いまだに魂の機能を使っていても、今や我々は御霊のしもべなのだ。