みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Ministering To His Pleasure, #5

2016年10月28日 | 聖書研究・信仰
結局、このことから私は何を得ればよいのだろうか。

彼は楽しい時を過ごしている。

私には何も良いことがない。

彼はこんな歩みをしたことがない。

主にあるクリスチャンが霊的繁栄とみなしている多くを彼は得ている。

しかるに、私にはありとあらゆるトラブルが降り注いている。

これはいったいどういうことか。

人生を無駄にしているのか。

本当にもう十分にやり尽くしたのか。

これはクリスチャンなら皆が通る問題だ。

もしあの兄弟の歩みに従っていたらどうなっていただろうか。

言うならば

祝福のために十分自分を献げてはいるが、艱難を乗り越えて行ける程十分ではない。

主が用いて下さるほどに自分を献げてはいるが、何も語るなと主に言われる程十分ではない。

これで万事は完璧に大成功だ。

しかし、それで良いか。

そうではないことは十二分に承知をしているはずだ。