小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

天皇の戦争責任(今日は終戦の日)

2017-08-15 05:10:34 | 考察文
今日は終戦の日である。

昭和天皇、裕仁、とかいう、どこの馬の骨の末裔ともしれない、おっさん、には、当然、戦争責任がある。

日本人は、バカが多い。

彼らは、常識という雰囲気に流されるだけの人間でしかない。

冷静に考えてみたまえ。

日本人は、天皇の、いいところ、しか、見ていない。し、見れない。

(ちなみに、私は、左翼ではない)



戦争を終わらせたのは、確かに、昭和天皇である。

御前会議で、内閣は、降伏を訴え、陸軍は、本土決戦、最後の一人まで戦う、と、主張した。

そして、天皇の御聖断を求めた。、そして天皇の、

「私の身はどうなっても構わない。日本民族を絶やしてはならない。この戦争を終わらせるべきである」

という発言によって、ポツダム宣言を受け入れた。

そして、無条件降伏した。

つまり、内閣、や、陸軍、以上に、天皇には、戦争に関して、決定する、権力があったのである。

なにせ、神様だったのだから。



大日本帝国憲法。

「第3条。天皇ハ神聖ニシテ侵スべカラズ」

「第11条。天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」

「第13条。天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス」



だから、日本人は、天皇の御聖断のおかげで、第3の原爆がおとされずにすんだ、と、ありがたがっている。

それは認める。終戦に天皇の果たした役割は大きい。

それに、異論は唱えない。



しかし。

内閣、や、軍部、以上の、決議権をもっていた天皇である。

では、開戦は、どうなのか?

御前会議で、天皇は、

「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらん」

(世界の国を兄弟と思うのなら、どうして、争いがおこるのだろう?)

と、明治天皇の和歌を謳っただけである。

遠まわしに、戦争すべきでない、と言ったのである。

しかし、結局、開戦に決まってしまった。

総理大臣で、陸軍大臣の、東条英機は、この日、「私は陛下のお心に逆らってしまった」、と言って、泣いた。

それほとの、権力が天皇には、あったのである。

ならば。天皇は。

和歌を謳うだけでなく、はっきりと、「戦争はすべきでない」、と言えば、戦争は、食いとめられたのである。

このことは、誰も言わない。し、非難しない。

タブーにしている。

広島に原爆が落とされた時に、天皇が、終戦を決断していれば、長崎には、原爆は落とされずにすんだのだ。

沖縄戦もしかり。

神風特攻隊もしかり。

そうすれば、日本人、約310万人は、死ななくてすんだのだ。



およそ、太平洋戦争に関しては、天皇の、良い所だけが、後々、もてはやされ、悪い所は、無いことになっている。

というか、言っては、いけないことになっている。というか、隠そうとしている。(特に子供に)

そもそも、極東軍事裁判で、A級戦犯は、死刑である。

極東軍事裁判は、間違った裁判だが、A級戦犯が、死刑ならば、天皇は、死刑で当然のはずだ。

それが、死刑にならなかったのは、天皇に罪がないからではなく、天皇を死刑にすると、占領政策に、良くない、という、GHQ、マッカーサー、の政治的判断からである。

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