小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

完全な遊戯

2013-02-17 22:02:28 | Weblog
石原慎太郎の「完全な遊戯」精神障害の女を男達が犯し、売春宿に売り飛ばすが女が逃げるので、崖から突き落として殺す、というストーリーである。まず感じたことは。氏が非常に誠実な勇気ある作家だな、ということである。(別におもねっているわけではない)そんな小説を書いて発表すれば、文壇から、激しく非難されるに決まっていることは、わかりきっているじゃないか。実際、文壇から激しく非難された。しかし、それを覚悟の上で、自分の表現したいものを書いて、発表したのだから実に勇気がある。自分の本心でないのに、人道的なきれいごとの小説を書いて文壇うけを狙おうとしている人より、ずっと誠実である。しかし、氏がそれを書いた意図はわからない。人間というものは、ここまでキタないことが出来るんだぞ、という、人間性を直視して、それを表現してみようとした実験小説、なのではないかと思う。新潮社の「太陽の季節」に収められている作品では、氏の「処刑の教室」が印象的だった。特にラストが。ラストはリンチの場面である。リンチされて殺されていく人間の視点で、ストーリーを書いている。そもそも、人間をリンチする小説というのは、発表した当時では、極めて少なかっただろうと思う。今では、ハードボイルド小説では、リンチのシーンはめずらしくない。しかし、勝目梓氏のハードボイルドにせよ、小説の視点は、リンチする方の人間である。リンチされる側の視点で、リンチのシーンを書いてみた、というのも、非常に実験的な意図を感じる。三島由紀夫の「サーカス」は、サーカス小屋を逃げ出した少年と少女が、非情なサーカスの団長によって、可哀想に死んでいく話だが、あれは、三島由紀夫のサディズムの愛が見え見えなところが、おかしくて笑ってしまう。しかし、石原氏は「完全な遊戯」をサディズムから書いたのでは、まずない。
手塚治虫は、生命の尊さ、をテーマにした漫画がほとんどだが。「悪」を描いた作品もある。氏の「バンパイア」は、狼に変身するトッペイより、悪のかぎりを尽くすロックの方が主人公で、「悪」を描きたかったように見受ける。
梶原一騎の劇画も、そのテーマは、絶対くじけない強さ、根性、友情、愛、などと人間の、良い徳性を描いた作品がほとんどだが。「人間凶器」や「斬殺者」では、人間の「悪」がテーマである。石原氏は、暴言ばかり吐く、などとも言われているが、氏の言葉づかいを荒くしているのは、ウソの記事ばかり書く某新聞社に対する正当な怒りからである。氏は、気性が激しく、度胸があり、前回の選挙では、「みんな腰抜けばかり」と言ったが、そう言われても事実だから仕方がない。ともかく氏は言動一致の作家である。

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医師国家試験

2013-02-17 22:00:43 | 医学・病気
医師国家試験は、2001年から三日の試験になった。医師国試験の各問題は、日本の選挙の小選挙区制的なのである。小選挙区とは、一つの選挙区から当選者を一人しか出せないから、死票が多くなるのである。投票の結果、A氏59票、B氏58票となったら、A氏だけが国会議員になれて、B氏は落選となるのである。実力的には、ほとんど互角なのに、結果は、A氏100点、B氏0点と採点されるようなものである。つまり、臨床問題では、問題文から、病名も診断でき、その病気に関する知識も、非常にたくさん知ってても、一つの、ひっかけ設問で間違えて、0点になってしまうことが非常に多い試験問題なのである。私の時は、二日の試験だった。受けた時は、もっと問題を増やしてほしいなあ、と思っていた。三日にして欲しいというより、二日目のD問題、E問題、が終わった後、一般問題を、もっとやって欲しいと思っていた。医学生は、全ての科目を勉強してきているから、運とか悪問題とかに左右されて落とされたくないから、多くの医学生は、問題は多い方がいいと思っていると思う。極端な話、医師国家試験が、たった一問だけの試験だったら、たまったものじゃない。(野口英世の頃の昔の、医師開業試験はそうだった)しかし、それは受ける本番の試験だけの話である。問題を増やし、試験を三日にすると、色々と面倒なことが起こっていると察する。一つには、模擬試験は、各医学部でどうやっているのであろうか?二日なら、ちょうど土日で試験ができる。三日にすると、金曜か月曜、学校の授業を休みにしなくてはならないではないか。それに問題が多すぎると、その復習が大変である。それが第一点。もう一つは。医師国家試験の勉強は、イヤーノートを教科書として、10年分くらいの過去問題を解くものであるから、一回の試験問題の量が多すぎると、過去10年分の問題量が多くなりすぎてしまう。つまり、医学生の、医師国家試験の勉強が、やりにくくなっているのではないか、と察する。二日間の試験の方が、量として勉強しやすいのである。簡単すぎる問題とか、重複する問題とか悪問とかを捨てて、適度な量にして、勉強すればいいじゃないか、と思うかもしれないが、医学生の感覚として、極めて、そうは出来にくいのである。国家試験は、五者択一の試験だが、五者択二の試験も出来て、二つとも正解でなければ、×とかいうのも、厳しすぎる、というか、変な問題だと思う。落ちた受験生は、鉄は熱いうちに鍛えよ、で、試験の翌日から、イヤーノートを教科書として勉強し、テコムの予備校に、全科目か、ある科目か、とにかく予備校と関わりを持つべきだ。これはホームページでも書いたが、予備校の教師には、医学の生き字引のような人がいるのである。テレビのクイズ番組の、頭脳王とかに出るような恐るべき記憶力を持っている人だろう。予備校の授業は、目から鱗が落ちる。私のように、生物や化学が苦手な者でも医師国家試験は通る。落ちる人は、勉強法を間違っているか、試験をナメている人か、自分のプライドに変にとらわれている人か、無気力症におちいっている人、のどれかだと思う。

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