活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

法としての根元(本)1

2016年03月27日 | 法理

すべてのものは、どうしたものでも、どう思ったのでもないのにみな 「ある」 のです。

「六根(機能)」 は、「縁」 に従ってどんなにでもなるのです。

このことは、「考え方」 ではありません。

「考え方」 でない作用を 「永遠」 といいます。

 

ですから、人間(にんげん)は 「一番初めに、知らずに出来た」 のです。

人は知らずに生まれて来たのです。

それは 「法」 です。

それが 「法としての根元(本)」 なのです。 それが、「永遠」 にあるのです。

 

例えばここに 「机」 があります。

「机」 はあなたが考えたから自分の前にあるのでしょうか?

あなたがいらないと思ってもあるのではないでしょうか。

 

人間的な手段や方法も何も必要とせず、見えては消え、思えても消えて、

そしてそれが限りないのです。

そういうように私たち衆生は生活をしているのではないでしょうか。

 

外へ出てみて下さい。

「環境」 に接した時分に、接しようと思ったのではないのです。

知らないのです。けれども 「環境」 というものが 「ある」 のではないでしょうか。

 

「環境」 といいますが、みんな 「此の物(身体の機能)」 の様子なのです。

ですから、本当は 「環境」 ということもないのです。

 

そういうことがどうしてこんなに 「区分」 がついたかというと、

「物心ついた時点」 でそうなったのです。

「此の物(身体の機能)」 を考え方にしたからです。

「考え方」として、ものを捉えたからです。


そして、今の様な「問題」が起きるのです。