活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

根元(本)3

2016年03月24日 | 法理

「今の事実」 の真相を目当てにして、どこかへ追っかけて行ってもしょうがないのです。

一々、何もかも、手当たり次第、即処即処に 「今の事実」 はあるのです。

 

私たち衆生は、「今の事実」 をどうしてもそのまんまに出来ず、手を付けたがるのです。

他に尋ねたがるのです。

ですから、ちらっとでも是非の観念が起きて、その観念に基づいてどうかしようとすると

「根本的」 に、すべてを失ってしまうのです。

 

念がちょっとでも起きると 「法」 を失うのです。

みんな 「自分の真相」、「今の事実」 を立証するものばかりなのです。

 

ですから、「此の物」 は今の瞬間、その事がある以外に何にもあるわけではないのです。

それの 「連続」 なのです。

 

どこをどういう風にして守ろうといっても、守る必要がないのです。

ただ、一々が本当に 「念」 さえ起きなければ、即処、即処にみんなそのものの

「立証」、「証明体」なのです。

 

「此の物」は、守るの、捨てるのというような事の要のないように出来上がっているのです。