活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

根元(本)2

2016年03月23日 | 坐禅

「カス」 を追いかけることを止めて、「今の事実(自分の今の様子)」 に

ちょっとでも翻って、考え方ではなしに聞いてみる必要があるのです。

 

別の言い方をすれば、「此の物」 の活動体としての 「事実」 に 眼を向けてご覧なさい、ということです。

 

そうすると、今まで 「空(くう)」 であるとか、「無」 であるとか、

「真実」 であるとかないとか言っていろんなことを考えていた、

そうした考えの結論が自分の手許に 「あった」 ことがはっきりするのです。

 

求めているものが 「手許」 にあったのです。

他へ頼っていく必要が全く無い様に 「出来上がっていた」 ということなのです。

 

今まで 「空(くう)」 であるとか、「無」 であるとか、いろんな事を言って取り扱っていたけれども、

それは皆 「妄想」 であったということです。

 

その証拠は 「今の事実」 です。

「今の事実」は、どうしたものでもないのに「あり」、

どうしたものでもないのに すぐ「無く」なってしまいます。

どうするのこうするの、といった 「要点」 がないのです。

 

三祖大師 信心銘(しんじん めい) に、 「真を求むることを用いざれ、唯須(すべから)く 見(けん)を 息(や)むべし」とあります。

「真を求ることを用いざれ」 とは、

真実を求めたかったら、真実らしいものをどこかへ求めようといった

考えを起こして追いかけることを止めなさい、ということです。

 

「唯須らく見(けん)を息(や)むべし」 とは、

自分がそういう真実を求めたりという欲求を起こして、

向こうへ尋ねていこうとする見解(けんげ)を止めれば、直に真実なのだ、

ということです。

 

他に真実があるのではないのです。

それが、どうしても理想らしいものをたてる為に、向こうへ向こうへと

求めていくようなことになりやすいのです。