本覚法門の教えに、
「本来本法性 天然自性身(ほんらい ほんぽっしょう てんねん じしょうしん)」
というお示しがあります。
誰でも 「本来成仏」 しているという意味です。
それを知られた道元禅師は、疑問を持たれました。
「本来成仏しているのなら、このままで私たちはよさそうなものなのに、
なんでこのままで良くないんだ」
(なんで歴代の覚者といわれる方々は修行をされたのだろうか)
「なんで、これで成仏しないのか」
という事が問題になられたのです。
現代風に解釈すれば、
「今の事実しかないのに、なんでこれで満足が出来ないのだろうか」
ということです。
「どういうふうにしたら、結論にある通りに、本来成仏しているという事が
自分ではっきりするのか。
また、どこへ手を付けたらそれが出来るのか」
と、こういう事が問題になられたのです。
日本中のあちこちの覚者に尋ねてお歩きになられました。
しかし、日本ではどうすることも出来なかったので中国に行かれたのです。
中国へ行ってみても、やはり同じでした。
それで、ほとんどあきらめて帰ろうと思っていた時に
「如浄(にょじょう)禅師」 に相見(しょうけん) されたのです。