「波そのもの」 に成れば、波それ自体は自分が動いているということには、
自分自身は気が付きません。
難しいことではありますが、自分が波に成ってみる必要があるのです。
波に成れば、彼岸(彼の岸)というようなものはありません。
ですから、彼岸ということを取り違えると大変な間違いになるのです。
「波」 に成って下さい。
不安のままの状態に。 焦りのままの状態に。
落ち着きのないままの状態に。
自分がいかにそういうものに成り切れるか、ということです。
それが、「そのものの事実」 ということです。
決して、自分自身の心を費やして、「波」 を抑えようと思ってはいけません。
そこに多少の時間というようなものが必要ではありますが、
そうでなければ、「絶対の安心(あんじん)」 というものは、ありません。
私たち衆生の「今の状態」 というのは、みんな 「自分の事実の上」 に
立っているではありませんか。
その事実を、事実のままに、静かに自分のものにする、という
そういう修行が 「禅の修行」 なのです。