おシャカ様が、「物心付く以前の事実」 に徹せられたからこそ
「直道 (じきどう)」 の法則が出来たのです。
それまでは、人間(にんげん) の救いというものはどこに手を付けたら良いのか
わからなかったのです。
そこで、これから修行する私たち衆生は、本当にこの 「六根 (眼・耳・鼻・舌・身・意)」
としての道具立てのままに徹しなければならないのです。
自分の 「都合(観念)」 で自分達の一切の在り方を使ってはだめなのです。
それを使うと 「私(わたくし)」 に成るのです。
一方、「六根自体の作用」 は 「公(おおやけ)」 なのです。
「物心付く」 ということは、こういう 「今の事実 (今の自己の様子)」 を
「私(わたくし)」 したのです。
そういうことにおいて 「迷悟」 というようなことが起きてくるのです。
「迷い」 ということは、これから始まったのです。
ですから、それを本当に止めて、
この 「六根 (眼・耳・鼻・舌・身・意)」 としての道具立てに
自分の実態そのまんまの生活に徹した時が 「迷い」 から離れた時なのです。
いわゆる 「悟りの世界」 が出現するのです。
ですから、自分の 「本性」 を見つけようと思ったら、
現在の人間(にんげん)の考え方は使ってはだめなのです。