活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

基本(目と物の関係)3

2016年03月14日 | 法理

私たち衆生は、苦しんでいる時に、解決方法はどこか別の所にあると

思っています。

解決方法は別な所にはないのです。 考え方を止めたら楽になるのです。

 

現実の日常生活の中には、時には考えなければならないこともあると思います。

しかし、それも、こういう風に考えたらこうなる、そういう風に考えたらそうなる

と、きちんとしているものです。

どんな風に考えてもそのまんまで何ともないものです。

 

考えているだけだったら、本当は人を苦しめないのです。

でも、考え方は整理するのが難しいのです。

 

例えば 「果物」 を見た時、考えが一緒について出てきます。

何色だろう、甘いか酸っぱいかとか、どちらが大きいとか、高いか安いか、

産地はどこだろうかと、色々出てきます。

 

自分で考えようと思ったわけではないのに出て来るのです。

それが、ものすごく速いから思いを相手にしていると分かりにくいのです。

ですから、「純粋な働きだけの所」 で見ていく必要があるのです。

 

「この果物」 だって本当は不味いものでも、美味しいものでもないのです。

実際食べてみた、そのものの味がするだけです。

他にもう一つ別の味がある訳ではないのに、人間(にんげん)は、

美味しいとか、不味いと判断するのです。

 

一体何を基準に判断しているかというと、今までの経験をもとにしているのです。

それでは 「美味い、不味い」 は有るのかというと無いのです。

そのくらい一つの事を 「縁」 にして色々な思いが出て来るのです。