入院生活について

2009年08月15日 | フランス妊娠生活
ご無沙汰です。赤ちゃんとの新しい生活にヘロヘロで、ブログを書くのが億劫になっていました。
最近は夜良く眠ってくれるので少し楽です。

さて、フランスでは大体4日前後の入院で出産するのですが、私は出血騒ぎで出産の前に2日、出産後も赤ちゃんの体重が増えなかったり、口から血が出ていたりと心配事があり小児科医の承諾がでなかったので入院が伸び、結局10日入院するはめになりました。

でも入院生活で得たものもあります。
それは友達。

産科の入院病棟は小さなホールを挟んで左側が出産した人と赤ちゃんの病室(個室)、右側が何らかの問題があって入院している人の相部屋になっていました。

最初の2日は私はこの相部屋で切迫流産で絶対安静中のフランス人女性と一緒でした。
日本と違ってカーテンとかのしきりが無いので、最初は居心地が悪かったのですが、幸い彼女がいい人でだんだんと話をするようになり、最後はすっかり仲良くなっていました。

私が出産した後も、毎日彼女の病室へ行っておしゃべりしたり、今はSMSで連絡をとり合っています。


この相部屋は救急の入り口のそばにあったので、夜中よく救急に来る人の声が聞こえて来ました。
私が居たのは土曜と日曜の救急が込む日だったからか、何度も目が覚めました。
週末の救急患者は酔っぱらいとかタチが悪いのが多いらしく、叫び声も『くそ売女めー』とかいけない言葉のオンパレード。
おかげでイケナイ言葉のバリエーションが増えました。

同室の彼女の話だと、殴り合いの喧嘩の叫び声や音が聞こえて来たり、豚が首を絞められたような(!)女性の絶叫が聞こえて来たり、週末はゆっくり寝るひまがないそう。
彼女はこの時点でもう4週間も入院していました。(まだ入院中です。)


先日見たニュースによると救急の待ち時間は平均4時間だそうです。

なるほど、

『これのどこが救急なんだー、くそ売女めー』と叫んでいた人の気持ちがちょっぴりわかりました。


出産後は個室で救急からは離れた位置にだったので喧嘩の声は聞こえて来ませんでしたが、今度は新生児の泣き声がいっぱい。
うちのもおとなしかったのは初日だけで、2日目からは毎晩そっちゅうなかれて大変でした。
私のいた病院は母子同室で、赤ちゃんを預けるシステムはなかったので、もうくたくた。

助産婦さんの話だと1日目はおとなしく、2日目は大泣きで『恐怖の2日目』と呼ばれているのだそう。
2日目の夜は徹夜する母親が多いって言われましたが、その通りで私も一睡もできませんでした。

病院での生活は、朝7時に朝ご飯。
いったいどこで買ったの?と聞きたくなるような固ーいフランスパン(日曜日だけ特別にブリオッシュ)と暖かい飲み物。それだけ。

私は朝食後にシャワーを浴びました。
心配していたお湯はちゃんと出ましたが、一度朝食前に浴びようとしたら水しか出ませんでした。
どうもお湯をタンクでためておくタイプのシャワーらしく、皆が一斉に浴びるとお湯が無くなるみたい。

そのあとアシスタントさんが迎えにくるので、入浴室で赤ちゃんのお風呂。
最初の1回はアシスタントさんが説明しながら入れてくれます。2回目からは自分でチャレンジ。必ずアシスタントさんが見ていてくれるので安心です。

お風呂の入れ方は日本とちがって、まず濡らした手袋に石けんをつけてビニールクッションの上で赤ちゃんを洗います。
そのあと湯船に入れて石けんを流して終わり。
でもこれだと寒いので赤ちゃんは大泣き。

家では日本式に湯船で暖めてから洗う様にしています。


病室に戻るとアシスタントさんが赤ちゃんと私の体温と赤ちゃんだけ黄疸のチェックをします。
それが終わると助産婦さんが来て私のお腹のチェック(子宮が縮んでいるかとか)をして必要な薬をくれます。
鉗子分娩だったので傷が痛くて毎日痛み止めを処方されていました。

その後は、よっぽどの事が無いと誰も来ないので旦那とのんびり過ごしました。
ちなみにお見舞いは午後からですが、父親は暗黙の了解で(?)午前中でも入れてもらえました。
正直、夜は一人で不安だったので朝から旦那に来てもらえたのは精神的に助かりました。(おにぎりも持って来てくれるし)


午後は検温くらいでゆっくり過ごせました。


食事は不味かったです。病院とは思えない塩辛い料理でびっくり。


先日、私が産まれた病院のホームページをみたら、改装されていてホテルみたいになっていました。
シャンプー室があったり、マッサージルームがあったり、食事も和食、中華、フレンチのシェフがいて、料理もおいしそう。

これで無痛分娩なら言う事なし!


でも私の病院はスタッフは本当に良かったです。
皆笑顔で夜中に呼び出してもちゃんと話を聞いてくれるし『いつでも呼んでね』なんて言ってくれたり。


安心して入院生活を送る事ができたのは彼女たちのおかげです。


なんか取り留めなく書いちゃいましたが、長くなったのでこの辺で。