▼1966年といえば、私が18歳の時だ。静岡県で一家4人が殺された事件で、その職場に勤めていた袴田さんが逮捕され、死刑を宣告された。
▼無罪を主張し続けた袴田さん。昨日(20日)東京高検が最高裁への「特別抗告」を断念し、57年間も死刑囚のレッテルを張られた、袴田さんの無罪は確定的になった。
▼自分事として考えれば、冤罪で自分の一生を否定されたことに言葉はない。私なら“発狂”していたに違いないからだ。
▼元プロボクサーだった袴田さん。冤罪を押し付けたすべての者に対し、ファイテイング・ポーズを崩さなかったのだろう。
▼そこには名セコンドの存在がある。姉のひで子さんだ。結婚もせず、弟の無実をサポートし続けた。「巌、よくぞ頑張った」との言葉に、胸が張り裂けそうになった。
▼ひで子さんの言葉で思い出したのが、戦後29年目にフィリッピンから生還した、元大日本帝国陸軍少尉・小野田寛郎さんを飛行場に迎えた、母親の言葉だ。「寛郎お役目ご苦労様でした」。確かそのように発したのを記憶している。そこでも私しは胸が熱くなったのだ。
▼検察側の一方的な取り調べ。軍隊組織の有無を言わさずの命令。権力の横暴さに『理不尽』という言葉がダブル。
▼それにしても姉と母親の、人を信じ続けることの一途さに、心を打たれる。「耐えて久しい【大和撫子】をみた」といえば、今では女性蔑視?発言の部類に入ると、非難されるのだろうか。
▼袴田事件の検察の対応で思いだしたのが、役所の対応だ。市町村合併は『無条件降伏』と考えている私が感じることだ。
▼単独自治体の時は、役所は住民の声をストレートに受け止めてくれた。なるべく住民の声に沿って仕事を進めるという、気概も感じた。
▼だが合併ともなれば、合併された自治体は、支所扱いになる。こうなれば住民の要望も、本所の意向に沿うスタイルになる。つまり末端の声は届かなくなるというのが実情だ。
▼これが私の市町村合併における、不公平さの実体験だ。総括すれば吸収合併とは【無条件降伏】だ。後は併合した自治体の占領下におかれる運命だからだ。
▼さらに私は、住民の声を引き延ばしにする行政を【袴田方式】と名付けた。長引かせ『被疑者死亡』?にまで、持ち込む算段に思えるからだ。
▼袴田裁判は、戦前から戦後を通し、日本という国に生存する、国家権力の理不尽な在り様が、如実に表れた問題ではないか。
▼「特別抗告」などという制度も、国民主権を愚弄する制度のように思う。国家主権に回帰するために残している制度にも思える。
▼袴田事件。私は小野田寛郎生還、そして市町村合併について考えさせられた。それぞれが自分の考えで、我が国における【理不尽】を追求する事件に思える。