函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

袴田巌と小野田寛郎

2023年03月21日 20時18分10秒 | えいこう語る

▼1966年といえば、私が18歳の時だ。静岡県で一家4人が殺された事件で、その職場に勤めていた袴田さんが逮捕され、死刑を宣告された。

▼無罪を主張し続けた袴田さん。昨日(20日)東京高検が最高裁への「特別抗告」を断念し、57年間も死刑囚のレッテルを張られた、袴田さんの無罪は確定的になった。

▼自分事として考えれば、冤罪で自分の一生を否定されたことに言葉はない。私なら“発狂”していたに違いないからだ。

▼元プロボクサーだった袴田さん。冤罪を押し付けたすべての者に対し、ファイテイング・ポーズを崩さなかったのだろう。

▼そこには名セコンドの存在がある。姉のひで子さんだ。結婚もせず、弟の無実をサポートし続けた。「巌、よくぞ頑張った」との言葉に、胸が張り裂けそうになった。

▼ひで子さんの言葉で思い出したのが、戦後29年目にフィリッピンから生還した、元大日本帝国陸軍少尉・小野田寛郎さんを飛行場に迎えた、母親の言葉だ。「寛郎お役目ご苦労様でした」。確かそのように発したのを記憶している。そこでも私しは胸が熱くなったのだ。

▼検察側の一方的な取り調べ。軍隊組織の有無を言わさずの命令。権力の横暴さに『理不尽』という言葉がダブル。

▼それにしても姉と母親の、人を信じ続けることの一途さに、心を打たれる。「耐えて久しい【大和撫子】をみた」といえば、今では女性蔑視?発言の部類に入ると、非難されるのだろうか。

▼袴田事件の検察の対応で思いだしたのが、役所の対応だ。市町村合併は『無条件降伏』と考えている私が感じることだ。

▼単独自治体の時は、役所は住民の声をストレートに受け止めてくれた。なるべく住民の声に沿って仕事を進めるという、気概も感じた。

▼だが合併ともなれば、合併された自治体は、支所扱いになる。こうなれば住民の要望も、本所の意向に沿うスタイルになる。つまり末端の声は届かなくなるというのが実情だ。

▼これが私の市町村合併における、不公平さの実体験だ。総括すれば吸収合併とは【無条件降伏】だ。後は併合した自治体の占領下におかれる運命だからだ。

▼さらに私は、住民の声を引き延ばしにする行政を【袴田方式】と名付けた。長引かせ『被疑者死亡』?にまで、持ち込む算段に思えるからだ。

▼袴田裁判は、戦前から戦後を通し、日本という国に生存する、国家権力の理不尽な在り様が、如実に表れた問題ではないか。

▼「特別抗告」などという制度も、国民主権を愚弄する制度のように思う。国家主権に回帰するために残している制度にも思える。

▼袴田事件。私は小野田寛郎生還、そして市町村合併について考えさせられた。それぞれが自分の考えで、我が国における【理不尽】を追求する事件に思える。

春が来たというのに

2023年03月19日 16時35分39秒 | えいこう語る

▼私にとって、75回目の春を迎えることができた。春の強い日差しで雪がすっかり融け、庭には百個を超える、黄金色に輝く福寿草が満開だ。

▼それだけでも、今年も元気で生きようという覚悟を、自然が後押ししてくれる。昨年庭に積もった落ち葉を取り除くと、地面から5センチ程に伸びた“行者ニンニク”を発見した。

▼ここ数年、落ち葉は取り除かないことにしている。春になったら始末する。落ち葉は花や虫たちの、あったかな布団に思えるようになったからだ。

▼その布団で雪が無くなるまで、ゆっくり眠っていたようだ。大地に春が来た。まもなく辛夷の花が咲き、裏山が山桜でピンク色の春の装いをし、大地や山々が一斉に♪「春が来た」を歌い始める。

▼3月の海も春の日差しで輝き、沖ではコンブ養殖の“間引き作業”が行われている。雪解け水で海中は少し濁りを見せているが、山の養分で昆布は栄養を蓄え、日毎成長していく様は、自然の偉大さを改めて認識させられ、生きることの意義を実感させられる。

▼この時期の漁村は、干した昆布の塩っぱい香りに包まれる。4月に製品となったこの昆布は「おとひめ昆布」として市場に出回る。

▼名づけの親は漁師のお父さんだが、デザインの原型は私だ。もうそのことを知っている漁師も少なくなっている。

▼だが毎年この季節になると、漁業の手伝いができたことの喜びを思い出す。そんな私をほめてくれるのが、漁村に漂う昆布の匂いであったり、庭に咲く福寿草だ。

▼4月には知事・市長・各議員の選挙がある。2023年は、やはり『憲法改正選挙』となりそうだ。私は「9条」改正か否かで、選挙に臨もうと思う。

▼「ウクライナに“ひまわり”を、北海道には“福寿草”を」。戦争のない平和な国が、いいに決まっている。

▼今日はいい天気だ。庭には福寿草が咲き乱れ、鹿の“ふん”も多すぎる。鹿のふんはまん丸く、まるで弾丸のようだ。

▼午後には庭の掃除を始めようと思う。ウクライナ戦争の悲劇を思い出しながら。

憲法を無視する政権

2023年03月18日 08時23分51秒 | えいこう語る
▼「放送法」を巡る礒崎陽輔元首相補佐官や、元総務相高市早苗の発言は「思想及び表現の自由」を無視した、完全に「憲法違反」の内容だ。

▼とはいうが、この二人は「表現の自由」に則り、発言していると言い張るだろう。憲法解釈は「たとえ嘘でも表現の自由」だとしているからだ。

▼歴史学者・加藤陽子東大教授は「今や私たちは、国家と国民の関係が大きく変化する時代の真っ只中に生きているようだ」と、すでに6年前(安倍晋三総理の時代)に警鐘を鳴らしている。

▼今朝(17日)の北海道新聞に、ジャーナリスト金平茂紀は、この「放送法」に関する問題について「時代は明らかに『新たな戦前』に向かっている」と指摘する。

▼元NHK記者で、森友事件をスクープした相澤冬樹著「安倍官邸vsNHK」文芸春秋を読み終えた。相澤は東大法学部卒で、56歳でNHKを退社している。というより退職せざるを得ない状況に、追い込まれたようだ。

▼森友問題は、様々な組織で「忖度」がはびこり、忖度そのものが事件の原因ではないかと思うほどの内容だ。

▼この森友事件が「放送法」への国家介入を解くうえで、何らかのヒントを与えてくれるのではないかと、本を読み始めた。

▼「森友問題」も「桜見る会」も、晋三が射殺されたことで、人間死ねば仏になり、死人に口無しで、ほとんど問題にされないのが我が国だ。

▼戦後のラジオ・ドラマに「君の名は」という、国民的人気をさらったのがあった。放送が始まると銭湯ががら空きになったという、エピソードが残っている。

▼私が子供の頃なので記憶にはないが、この番組で「忘却とは忘れ去ることなり」という言葉が、巷で流行したという。

▼今の時代で考えれば、敗戦後の暗い時代に「戦争のことを忘れよう」という、スローガンにも思える。

▼これは私の妄想だが、さらに侵略戦争という、日本にとって都合の悪い事実を、忘れてしまおうという政府の思惑に、NHKも共感?(忖度)した放送にもみえる。

▼森友事件だが、小学校建設を要望していた幼稚園経営の籠池理事長に対し、近畿財務局が国有地を「8億円」も値引きして、払い下げた。

▼国有地の格安売却は「背任行為」ではないかとの疑いがある。しかもその幼稚園の名誉校長が、当時の総理安倍晋三の妻「昭惠」だった。

▼そうであれば、世の中がひっくり返るような事件だ。当時の近畿財務局長佐川宣寿は、売却金額は「正当」だと繰り返す。

▼晋三も国会で「私と昭惠が関与していたというなら、総理も議員も辞職する」と大見得を切った。その言葉で、下部組織は政権がぶっ潰れることを想定?する。

▼天守閣の総理を守らなければならないという、行政組織倫理?が最優先される。忖度は下部組織に責任を押し付ける。

▼問題が発覚した1年後の2018年3月、朝日新聞が【財務省が森友の国有地取引関連の文書を、改竄した疑いがある】という、大特ダネを発表した。

▼当時の財務相は麻生太郎だ。「佐川が、佐川が」という、麻生のダミ声を思い出す。文書の改竄を疑われたのは、佐川の部下だった上席国有財産管理官の赤木俊夫だ。

▼特ダネが出た時赤城は「心身耗弱」で、半年前から休職していた。特ダネ4日後、休職中の赤木が、近畿財務局に呼び出される。

▼翌日の3月7日、赤木は自らの命を絶った。まるで戦前の“特高警察”のように、罪を押し付けたのではないかと、推察される出来事だ。

▼ 私が想像するに、安倍晋三が「自分や妻が関与していたら、総理も議員もやめる」といった時点で。赤木は人身御供にされる運命だったような気がする。

▼詳しいことは長くなるので省くが、NHKの相澤も、東大法学部卒という優秀な頭脳を持っていても、組織の中で、自分の意志を通そうとすれば、後輩に出世を許してしまう。

▼特ダネを書いても本社サイドで、記事の微妙な書き換えが行われ、充分な内容が伝えれなかったとも書いてある。

▼森友問題は結局国側をすべて“不起訴”とした。牢にぶち込まれたのは籠池夫妻だ。詐欺罪という、公平性に欠けた判決だ。国民対国家であれば、裁判所に正義など期待してはならないようだ。

▼組織内部で、生きのびるためには「忖度」を他人のせいにする、特技がなければならない。役人の特技は「忖度」というマジックだ。

▼そして立法府トップの安倍晋三の得意技も、すべてをあやふやにする『アベノ・ミックス』というマジックだったような気がする。

▼安倍晋三を射殺した山上徹也は、このような国家による大犯罪を見逃さないために実行したのだろうか。密室による尋問では、実態は解明されることはないに違いない。

▼山上は長い間の拘束と尋問で、赤木のような状態に追い込まれないよう、メディアの監視が必要だ。袴田事件も無罪を主張し続けた袴田は、言葉を失ってしまったからだ。

▼そういうことに関心を向けるメディアを、規制しようとするのが、今回の放送規制問題ではないか。元総務相高市早苗も、晋三と同様「私が関与したなら、議員辞職する」と言い切った。

▼それはさすがに撤回したようだけど、総務省の行政文書は“捏造”とまで言い切った。捏造したと名指しされる部下は、また闇に葬られる運命なのだろうか。

▼田中角栄の首は取ったが、安倍晋三の首は取れなかった。さて高市早苗の首を、メディアは取れるだろうか。

▼繰り返すが、金平茂紀は『時代は明らかに「新たな戦前」に向かっている。テレビ報道の現場はそれに抗ってきたか』と、鋭く問いかける。

※この本は300ページにも及んだので、私の記憶も確かではないのもあるかもしれない。また書き忘れたものもある。だが国家レベルの「忖度」は、無実の人を簡単に死に追いやるということは納得した。

▼こんな時代はメディアだけではなく、やはり国民も阻止しなければならない。なんといっても【国民主権】の我が国だからだ。

国民国家の“液状化”

2023年03月16日 11時37分43秒 | えいこう語る
▼昨日のブログで、朝日新聞関東社会部が出版した「もの言えぬ時代」で、東京大学教授の加藤陽子を紹介した。

▼その本の中にあった、哲学者内田樹の主張にも触れた。内田は「今、世界は文明史的な転換点に差し掛かっている」と断定する。文明的転換の一つの際立った兆候は『国民国家の液状化』だという。

▼「国民国家」とは国境線で確定された国土があり、常備軍、官僚組織、宗教、言語、生活文化を共有する国民によって構成されているものだという。

▼だが「国民国家」が政治的単位であったのは「350年」ほどで、それ以前は「帝国の時代」だったという。

▼内田は世界は再び『帝国の時代』になると予測されるという。コロナの侵略やロシアの侵攻は、まさしく『帝国の時代』が再現されることを予想させるという。

▼コロナでの各国の対応は、都市封鎖にみられるような「戒厳令」の再現にも思える。我が国では「マスク着用」、「ワクチンの強制?」による“同調圧力”の醸成。さらに国民の“自主規制”など、政府主導型の国家体制が確立しそうに見えるからだ。

▼キシダ政権になってからは『憲法9条』を破壊する言動があからさまになっている。それを「民主主義の劣化」と呼び、日本国民の民主主義度の未熟さが露呈したのではないかと、私も考えていた。

▼だがすでに世界は、米国・ロシア・中国は帝国化の様相を呈している。他の国々も圧倒的に独裁国家が多い。

▼では我が国はといえば、すでに米国の“属国”だというのは、国民も承知している。「完全属国化」という条件で、米国製憲法を改正してもいいという承認を得ているような気がする、現在のキシダ政権だ。

▼台湾情勢の変化という前に、北朝鮮のミサイル攻撃で「敵基地攻撃能力」の実力行使が始まりかねない、状況になってきた。

▼『日米VS中露北』。この帝国の構造がバラバラではなく、一斉に露出しかねない状況だ。となれば地政学的に見て、戦場になるのが日本だ。

▼このシュミレーションは、単なる私の妄想だが、内田はサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」から推察し『地域帝国』が再編していく可能性があると想定する。

▼中国は清王朝・ロシアはロマノフ王朝・アメリカは自国ファーストの北米地域帝国・EUはかつてのローマ帝国・中東はオスマン帝国に再建されていくという。

▼日本もいずれは地域帝国再編の中で『大日本帝国復活』を目指し、明治初期の「富国強兵」の国家政策に、戻ろうとしている様相を呈している。

▼そう考えれば、安倍晋三の「戦後レジームの解体」という言葉がよく理解できる。今朝(16日)も、北朝鮮のミサイルが日本側に飛行していると放送された。そうなら、迎撃ミサイルを発射すればいい。

▼ところが日本政府は「座して落ちるのを見つめていた」。ニュースでは、我が国の排他的経済水域外に落ちたと安堵している。

▼北朝鮮は、日本を“馬鹿”にしている。「何度でも撃ってやれ、反撃能力なんてハッタリなんだから」と。

▼我が政府の対応の無力さを、国民は攻めてはならない。キシダ政権の『思う壺作戦』だからだ。そこでキシダ総理は、真面目に丁寧に、こう説明する。

▼「私は北朝鮮に、先制攻撃でミサイルを撃つことは控えます。だが、これ以上バカにされれば、主権国家として何んらかの措置を取らなければならない。だがその抑止力として“核保有”も辞さないというのは、唯一の被爆国として、絶対してはならないことです。だが日本国民は全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを、世界に宣言した。我が国の安全は、日米安保同盟で守られております。そこで国民の皆さんにお願いがあります。我が国の港で、可能な限り、補給のための米海軍の入港をお願いしたい。例えば、最近北海道函館沖に着弾するミサイルも、函館港に米空母が接岸していれば、絶対の抑止力になると思います。国民の皆様の、ご協力、御理解をお願いするものであります」。

▼今夜の私の夢は、北朝鮮ミサイル発射への、キシダ総理の「記者会見」だ。発言内容を総理秘書官の私が、作成するというものだ。

▼夢までにまだ時間があるので、さらに推敲を重ねたいと思っている。

▼それにしても『国民国家の液状化』とは、イザナキとイザナミが“天の沼鉾”でかき回した状態のようだということか。


明治維新からではなく、古事記から未来を読み解く必要性を痛感する。     三頭下

共謀罪「街頭ヤジ ・安倍晋三射殺・G7サミット」

2023年03月15日 09時46分19秒 | えいこう語る
▼二度目の東京五輪を前に、安倍晋三政権下の2017年に、テロ防止のため「共謀罪」法が成立したのを、うっかり忘れていた。

▼歴史学者の東大教授加藤陽子が、朝日新聞東京社会部編集の「もの言えぬ時代」という本の中で「共謀罪」に触れていたので、思い出した。

▼共謀罪とは、2人以上で重大な犯罪を計画した時、準備段階で処罰可能とみる法律だ。準備段階とは何を基準とするのか。

▼取り締まる側がそうだと判断した場合、取り締まることができるというならば、睨まれたら大変と、言論が大きく委縮してしまう。

▼法が成立した時、政府の見解はいつもこうだ。「この内容では強制などありえません」と。だが、それはあくまでも布石で、あとから法律に強制を持たせるのが、政府の常套手段だ。

▼明治以降、最も暴力的に国民に圧力をかけたのが『教育勅語』だといわれる。今教育勅語を読めば、何の抵抗もなく常識なことではないかと思う。

▼だが昭和の戦前期には、教育勅語を軸として、国家は倫理的実態としての価値内容を、独占的に決定できるようになっていた。こうして国家秩序によって補足されない私的領域はどんどん狭くなってゆき、国家的社会的地位の価値基準は、その社会的職能よりも、天皇との距離で図られるようになっていく。政治思想家の丸山眞男が国家主義に【超】を付けなければならなかった構造が生まれたと、加藤陽子は解説する。

▼2017年の安倍晋三政権下で「教育勅語の教材使用」を認める閣議決定がされた。戦後国会で徹底的に排除されたはずだが。

▼かつて徹底的に排除されたものが、平気で蘇るようになった現代の日本は、頓着しなすぎると、作家の高村薫も警鐘を鳴らす。

▼政府が「教育勅語」を教材に持ち込む真意を、学校側も国民も想像をたくましく、しなければならない。

▼さて共謀罪だ。私はこの法律が制定された時、真っ先に連想したのが、1925年(大正14年)成立の『治安維持法』だ。

▼当時の内閣は「拡大解釈による弾圧の恐れはない」と答弁していた。しかし、日中戦争が迫る1928年(昭和2年)、田中儀一内閣が治安維持法を“改正”した。

▼「目的遂行罪」を設け、最高刑を『死刑』とした。標的は日本共産党の壊滅だ。「見なす」行為の主体は“国家”だ。

▼安倍晋三政権になってからの、法案成立を思い出してほしい。「特定秘密保護法」「集団的自衛権行使容認」「安全保障法制」「共謀罪」などだ。行き着く先は【憲法改正】だ。

▼それをさらに促進させたのが、菅義偉による「日本学術会議」の任命拒否だ。その中に安倍晋三を徹底批判する、東大教授加藤陽子がいる。

▼あからさまな「表現の自由」の封鎖だ。共謀罪も「9条改正」後には、さらなる強制力を増してくるに違いない。

▼安倍晋三が射殺された。その前に晋三が札幌の街頭演説を行った際、二人の市民が「安倍反対」を叫んだ。

▼そこを道警が排除した。テレビで何度も見たが、戦前の公安警察が再現されたような、光景に思えた。

▼道警は「警備上重大な事が起こりかねないという」いわゆる『見なし』で、控訴中だ。この判定には安倍晋三射殺事件が、大きな影響を与えそうだ。

▼札幌市での“小さな出来事”をきっかけに、安倍晋三射殺事件を取り上げ、裁判所も「厳重な警護」を掲げ、警察を擁護する判決が出るに違いない。

▼基本的人権の保障は、国民にではなく、国家側に属する人間に配慮されてくるに違いない。それが自民党改憲草案に、はっきり表れているのが次の文言だ。

▼「公共の福祉に違反しない限り」が『公益及び公の秩序の秩序に反しない限り』に変更しようとしているのだ。国民の基本的人権を無視する意図が、まさにここにも潜んでいる。

▼G7サミットが5月に広島で行われる。この「ヒロシマ・サミット」が、戦後レジームを、おそらく解体する“頂上”作戦に違いない。

▼大統領専用機から降りるバイデンは、得意のサングラスをかけ登場する。そてはマーカーサーの再来を彷彿させるような演出だ。そして、バイデンとキシダ総理のツーショットが、終戦当時のあの「写真」を思い出させるだろう。

▼議長国の我が国は、米国の指示に沿って、着々と議事進行を進める。そこに最大の警備態勢がとられる。

▼このサミットにより「共謀罪」は、さらに強固な改正に向かう可能性は大だ。サミット終了後の6月に、札幌高裁で判決が出るという。判決内容はすでに出来上がっているのだろう。

▼「もの言えぬ時代」の著書の中で、思想家の内田樹も次のように主張している。

▼【安全保障もエネルギーも、貿易も医療も教育も、国家に関わる政策は、ことごとく「日米合同委員会」や「年次改革要望書」を通じて、アメリカから指図されている状態で、国土の一部が外国軍に占領され、司法権の一部が外国にあるような国は、本来の独立国ではない】と。

▼今日本ばかりではなく、世界はICT化やAI化に前のめりだ。米国のさらなる傀儡にならぬよう「国民の感性や知性に期待する」といったのが、誰だったか思い出さない団塊世代の私だ。