函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

対話の重要性を再認識

2023年03月26日 14時21分49秒 | えいこう語る

▼「言葉に愛がなければ、どんな言葉も相手の胸に響かない」(新約聖書)。私は浄土宗だがこの言葉は、開祖・法然上人の教えと考え、心に刻み込ませている。

▼私は会議でも、ユーモアを忘れないよう心掛けてきた。元総理や元衆議院議長も笑わせたこともある!?。こんなことを説明しても“田舎おやじのホラ”と思われるので、説明は省く。

▼さらに、そう弁解したことさえ、嘘くさく感じるから、書いたことさえ抹消したい。でも書いてしまったのだから、そのまま残しておく。本当のことだからだ。

▼ロシアと戦闘中のウクライナを訪問した、キシダ総理。お土産に出身地広島の名産“しゃもじ”を渡したという。

▼しゃもじは(飯とる)で、相手を打ち負かす(召し取る)という意味があるという。これではプーチンが、怒り心頭に達するということを、考えなかったのだろうか。

▼プーチンはその行為に対し、北海道との漁業交渉を絶対再開しないだろう。漁民の生活の「飯を取る」と、反撃してくるに違いないからだ。

▼たぶん忙しい総理の考えではなく、地元後援会か、総理秘書が考えた浅知恵なのだろう。こんなレベルで、北海道にどれほど迷惑がかかるかも考えることもできないのが、秘書だ。

▼秘書ばかりではなく、安倍晋三の大臣補佐官で、放送法を政府の都合の良い内容に変更しようとした磯崎陽輔も、自分勝手で配慮に欠けた補佐官だ。

▼彼は「公文書作成の要領」というタイトルの本を出版していたのを書店で発見した。『公文書の改竄の仕方』をレクチャーしたものかと思い、次に書店に出かけたら、その本は売れてなくなっていた。

▼それから、キシダ総理の“丁寧”な説明も“愛”など、全く感じられないから、国民の心にも響いてこない。

▼最近の総理の言葉で「自民党をぶっ壊す」という、小泉純一郎の言葉が、国民に響いた。だがコイズミ劇場は、単なる「マンザイ国会」だった。

▼「人生いろいろ会社もいろいろ」、「自衛隊がいくところはみな非戦闘地域だ」など。ギャグを連発し、国民を煙に巻いた総理だった。

▼その後の総理は、安倍晋三・菅義偉・岸田文雄。国民の心に響く言葉など全く発言できない総理ばかりだ。

▼そんな世の中にあって、先日スーパーに買い物に出かけた時の、レジの店員さんとの会話に、私は村上選手のホームラン同様の、爽快感を覚えた。

▼そのスーパーは、函館の地元企業だったが、今は大手スーパーの傘下になってしまっている。最早中堅スーパーは、大型店に吸収される運命のようだ。これも確かコイズミ劇場の時だったように記憶している。

▼だが、そのスーパーは昔ながらの函館市民の食を支えるプライドのようなものを、忘れない店に感じる。

▼この店は一年ほど前から、妻のお気に入りの店になった。その店は第2と第4土曜日に、大幅値引きの特売会が開催されることを知ったからだ。

▼先日の第4土曜日だ。開店10時に少し遅れて着いたが、駐車場は満杯だ。入店すると周辺住民の買い物の熱気が感じられる。

▼各レジには20人程並んでいる。買い物する時間より、レジ待ち時間が多い感じだ。私の順番がやってきた。

▼他のレジは二人協力で対応しているが、私のレジの女性は30歳後半ぐらいで、ベテランらしい。一人で行っている。とにかく素早い動作だ。

▼私の番がやって来た。私は「今日は特別混んでいるね。大変だけど“死なない”ように頑張ってね」と短くエールを送った。

▼だが彼女は手を休めることなく、にっこり笑い対応してくれた。「ありがとうございます。お昼には00を食べて頑張ります」と。

▼00は、私の耳が聞き取れなかったが「昼食の時間が来たら自分の大好きなものを食べて、今日一日頑張ります」との、心強いメッセージが、私の心に確かに響いた。

▼「がんばれレジさん、がんばれ日本!」と、私は心の中でそう囁いた。

▼経済が低迷を続ける中、国民は底辺で生きのびるために必死で働いているのだ。ウクライナに“しゃもじ”を届けるなら、このレジの女性の対応を見習ってはどうかと。

▼彼女は店の仲間に、買い物のおじさんから「頑張りなさい」と声を掛けられたと、さらに家に帰ってから、ご主人にも同じことを伝えてくれたのではないかと、田舎のおじさんは、そう勝手に考える。

▼そして家までの帰り道に、“50円温泉”に立ち寄った。なんだかいつもより、心も身体もあったかくなったような気がした。

▼先日の温泉で、「WBCでの村上選手のホームランは、富士山を超えるようなスカッとした内容だった」という私の言葉に、「君それはホラではないか」と難癖!をつけてきた、先輩も湯船にいた。

▼先輩から「こんにちは」と、先に笑顔で声を掛けられた。先輩も家に帰ってから、私の村上選手のホームランの表現を、十分理解してくれたのだろうと、また勝手に理解した。

▼「言葉に愛がなければ」というが、受け止める方に“寛容の気持ち”がないと、どんな言葉も心に響かないのではないかと、チラット感じた一日でした。