夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

D・カーネギー『人を動かす』その2

2012-07-26 23:35:03 | 
『人を動かす』の中で、好きな言葉をいくつか挙げてみたい。

Instead of condemning people, let's try to understand them. Let's try to figure out why they do what they do. That's a lot more profitable and intriguing than criticism; and it breeds sympathy, tolerance and kindness. “To know all is to forgive all.”

人を非難する代わりに、彼らを理解するよう努めようではないか。彼らがなぜそのようなことをしたのか考えよう。その方が、批判するよりも、ずっと利益になるし、興味をそそることでもある。そして、それが共感や、寛容さや、親切心を育てることになる。「全てを知ることは、全てを許すこと」である。

When dealing with people, let us remember we are not dealing with creatures of logic. We are dealing with creatures of emotion, creatures bristling with prejudices and motivated by pride and vanity.

人を扱うときは、次のことを覚えておくようにしよう。我々が扱っているのは論理の動物ではない。我々は感情の動物、つまり偏見に満ち、プライドと虚栄心によって動機づけられた生き物を扱っていることを忘れてはならない。

If there is any one secret of success, it lies in the ability to get the other person's point of view and see thing from that person's angle as well as from your own.

もし、何か一つ成功の秘訣があるとすれば、それは、他人の物の見方を理解し、自分の視点と同じように、その人の視点から物事を見ることのできる能力にある。

D・カーネギー『人を動かす』

2012-07-25 23:13:15 | 
専門学校の授業で最も多く生徒達と読み、話し合ったのは『人を動かす』だった。

昨日の記事で『道は開ける』のことを書いたので、つい懐かしくなって、『人を動かす』の原書の方も手にとってみた。

こちらにもずいぶん書き込みがしてあった。そして、当時傍線を引きながら読み、自戒しようと思ったはずなのに、15年近く経った今でもこれだけできていないことがあるのに、我ながら呆れる(涙)。

特に、3章2の“A sure way of making enemies―and how to avoid it”(敵を作る確実な方法と、その避け方)。

~if you tell them they are wrong, do you make them want to agree with you? Never! For you have struck a direct blow at their intelligence, judgement, pride and self-respect. That will make them want to strike back.

写していて、改めてカーネギーの慧眼に驚く。人に、「あなたは間違っている」と言ってみたところで、その通りだと同意してもらえると思ったら大間違いだ。断じてありえない。なぜなら、自分は相手の知性、判断力、プライド、そして自尊心に直接、一撃をくらわしたも同然なのだから。そんなことをしても、彼らに反撃の口実を与えるだけだ。

Few people are logical. Most of us are prejudiced and biased. Most of us are blighted with preconceived notions, with jealousy, suspicion, fear, envy and pride.

これも、カーネギーの言う通りだ。自分だって、決して論理的な人間ではない。我々の多くは、偏見に満ち、偏った物の見方をしているのだ。そして、先入観や嫉妬、疑念、恐れ、妬みやプライドによって害されていることを忘れてはならない。

ベンジャミン・フランクリンが友達に言われたという次の言葉は、今の自分にはグサグサと突き刺さる…。

Ben, you are impossible. Your opinion have a slap in them for everyone who differs with you. They have become so offensive that nobody cares for them. Your friends find they enjoy themselves better when you are not around. You know so much that no man can tell you anything. Indeed, no man is going to try, for the effort would lead only to discomfort and hard work. So you are not likely ever to know any more then you do now, which is very little.

ベン、君はダメだよ。君は自分と意見の違う者には誰でも、平手打ちをくらわすようにビシビシ言う。彼らは身構えて、誰も君の意見を気にかけなくなる。君の友達は、君がいないときのほうがずっと楽しいんだよ。君はたくさんのことを知っている、だから誰も君には何も言えなくなる。実際、誰も君には何も言おうとしなくなっている、というのも、せっかく意見しようとしてもただ不愉快になり、厄介なだけだからね。だから、君は今持っている、ごくわずかな知識以上には、もう何も知ることができなくなるだろうよ。

この友人というのも立派な人だと思う。

D・カーネギー『道は開ける』

2012-07-24 22:59:10 | 
私が院生だったころ、週2回専門学校に教えに行っていた時期があり、やがてビジネスマンとなる生徒たちのためにD・カーネギーの本を教材として授業で扱っていた。D・カーネギーの本は、アメリカの企業では社員教育に使われるところもあるくらい有意義なものなのだ。

カーネギーの三部作、

『人を動かす』
『道は開ける』
『話し方入門』

はいずれも良書であり、特に社会人になる前の若者に読んでいただきたい本である。

私は、授業で取り扱う都合上、カーネギーに関する本を揃え、上の三部作については原書も購入して読んだ。もちろん、辞書を引き引きのたどたどしい読みではあるが、やはり著者の思想に直接触れることができるという意味で、原書に及ぶものはない。

先ほど、『道は開ける』の原書(“How to stop worrying and start living”)を思い出して手に取ってみると、当時の書き込みの痕などがたくさんあって、ずいぶん深く読み込んでいたことがわかった。

Carry on, no matter what happens. Hide your private sorrows under a smile and carry on.

 (進み続けよ。たとえ何が起ころうとも。個人的な悲しみは笑顔の下に隠して、進み続けよ。)

 Obviously, circumstances alone do not make us happy or unhappy. It is the way we react to circumstances that determines our feelings.

 (状況がそれだけで私たちを幸福にしたり不幸にしたりしているのでないことは明らかだ。私たちが状況に対してどう反応するかが、私たちの感情を決定しているのだ。)

 I am deeply convinced that our peace of mind and the joy we get out of living depends not on where we are, or what we have, or who we are, but solely upon our mental attitude.

 (私が深く確信しているのは、私たちの生活から得られる心の平安と喜びは、私たちの居場所や、所有物や、地位によるのではなく、もっぱら私たちの精神的な態度によるのだ、ということである。)

傍線を引いたところから、その頃の自分の関心などがよくわかる。『道は開ける』は、ひたすら私たちが悩みや不安に対して、どのように向かい合うべきかを説いた本なのだ。

悩みのない人間などいない。専門学校の授業でも、自分の悩みごとや、悩みの克服法などについて、生徒たちと話し合ったことが思い出される。

カーネギー三部作の中では一番地味な本だが、自分にとっては年々その重みを増し続けている。



真夜中の料理教室

2012-07-23 23:54:20 | 日記
一人暮らしなので、食事は外食や出来合いの弁当に頼ることが多いのだが、朝食だけは、忙しくても自分で作るようにしている。最近は、蒸し物にハマッていたので、朝はパンと蒸し野菜だったのだが、パン食は続くとさすがに飽きてくるので、明日からまた玄米ご飯に戻すことにした。

ただ、玄米は圧力鍋で炊くので、ここのところ、蒸し野菜に利用していたのが使えなくなる。とりあえず明日の朝は、カボチャなどのシチューとサラダにすることにし、先ほど煮込みを済ませた。しかし、ジャガイモや人参、タマネギ、ブロッコリーなど、蒸すことによって本来の旨味がギュッとつまった野菜たちが食べられなくなるのはさみしい。蒸し器を買うか、圧力鍋をもう一つ買うか、現在悩み中である。

そういえば、初めて圧力鍋を買ったのが去年の今頃だった。

学校での勤務が午前中で終わった日、中央郵便局で用事を済ませた後、近くにある「野菜食堂こやま」でお昼を食べて、玄米ご飯のおいしさに感動した。後日もう一度食べに行き、勘定を済ませるときに、たまたま小山津希枝さんとお話することができた。

「野菜の重ね煮などもとてもよかったのですが、玄米がこんなにおいしいなんて知りませんでした。もちもちした食感で本当に。…自分でも炊いてみたいんですが、圧力鍋はどこのメーカーのを使ってるんですか?」

と尋ねると、

「うちはヘイワです。圧力鍋を使えば、きっと、誰でもおいしいのが炊けますよ」

と教えていただいた。

早速、アマゾンで注文して取り寄せて以来、玄米生活が続いている。冷めてもおいしいし、冷凍しても温め直せば、また炊きたてのようにおいしいのが食べられる。解凍して焼きおにぎりにしても、玄米粥にしてもいける。「野菜食堂こやま」を真似て、小豆を入れて炊いているのだが、お赤飯のようで、ちょっと贅沢感があってうれしい。ご飯だけでじゅうぶんおいしくいただけるので、おかずがあまりなくても大丈夫になったのは意外だった。

ちなみに玄米は、以前はやや遠方のM商店まで出かけて県産米を買っていたのだが、熟していない米や籾殻などが混ざっていたりしたので、現在は「マイセン」という会社のコシヒカリ米をネット注文で買っている。値段はやや高めだが、高品質で、毎日食べても全く飽きがこないのが嬉しい。これを読んだ方で、玄米党が増えてくれるといいのだが。

「アンネの追憶」その2

2012-07-21 17:24:14 | 映画
列車がアウシュビッツで停まると、男女・大人子供で別れさせられ、アンネたちは収容所に着くなり、強制的に服を脱がされ、シャワーを浴びせられ、髪を刈り上げられる。毎日のように誰かがガス室に送られ、焼却場の煙となり、残された者も生きた心地がしない毎日を送っている。

アンネにとっては、収容所の苛酷な生活もさることながら、何も書くことができないのが何よりもつらい。ここには、ノートも鉛筆もないつらさを母親に訴えると、母親が収容所の「指導者」を買収して、鉛筆とメモ用紙を手に入れてくれる。しかし、後日、アンネが喜んで書き物をしているところを「指導者」につかまり、今度は姉のマルゴーとともに、ベルゲン・ベルゼン収容所に送られる。

この収容所には、先にハネリたちが連行されており、アンネは、警備が厳しく直接は会えなかったものの、ハネリと生きてまた巡り会えたことを喜ぶ。しかし、収容所では劣悪な環境から病死する者も少なくなく、姉のマルゴーに続き、アンネもチフスにかかって亡くなってしまう。

一方、アンネの父のオットー・フランクは、アウシュビッツ収容所がソ連軍により解放され、1945年4月、一人アムステルダムに戻る。会社で再び働き始め、日常に戻ったオットーに、ある日書簡が届く。おそらく、マルゴーとアンネの生存を確認しようと照会を求めていたのだが、死亡の通知がきたのだろう。傷心のオットーに、事務員のミープがアンネの日記を渡す。ミープは、ナチスの親衛隊が隠れ家に踏み込んだ後、金目のものは持ち去られたが、アンネの日記帳やノート、メモなどが床に散乱していたのを拾い集め、アンネが帰ってきたら渡そうとしていたのだ。ミープはオットーに、「アンネは日記の中で生きています。」と言う。オットーは、読み終えた後でミープに言う。「君は私に救いをくれた。娘は日記の中で生きている。」 この場面では、涙が止まらなかった。


この映画を見て思ったのは、全体主義の悪夢は、決して過去のものでも、遠く離れた場所のものでもないということだ。今も、すぐそこにある。われわれ一人一人の心の中に、無知と怠惰と、公共心や道徳心の欠如が支配的になるとき、全体主義はいつでも平和裡に姿を現すことを、歴史は教えてくれている。

もう一つ思ったのは、人間の想像力は強いということだ。アウシュビッツに向かう列車の暗闇の中で怯えるペーターに、収容所でチフスに冒され死を恐れるマルゴーに、アンネが目を閉じさせ、言葉をかけながら、幸福だった過去の日々を心に思い描かせ、苦痛を和らげてやるシーンは印象的だった。言葉や想像力は決して無力ではない。どんな最低最悪の状況にいたとしても、恐怖や困難や絶望に立ち向かう力を与えてくれることを、この少女に教わった気がした。

ここでは取り上げられなかったが、哲学的で深遠な台詞も随所で語られている。見ていてつらい場面もあるが、にもかかわらず、多くの方に見ていただきたいと願う。