仕事を選ばないで有名なキティ先輩が焚き火動画をアップしてるらしい。
しかもゲストはヒロシらしい。
動画の紹介コメントには「ヒロシとキティちゃんがただ焚き火してるだけで会話もないんだけど、気付いたら1時間最後まで見てたわ。」って書いてあって、まさかそんな嘘だろ、と思ったら、自分もまんまと1時間見ちゃった。怖いわ。
思えば私が数年前にお呼ばれしたのは「ご接待の焚き火」で、その至れり尽くせりな幸せな時間を長いこと享受していた。本当にありがたいことだった。そこに行けば当たり前にある膨大な薪や炭、美味しい食材、美味しいに違いないお酒(残念なことに飲めない)、椅子からテーブルからお皿から箸に至るまで、そのありがたみは自前の焚き火台を買って自分で火を熾してみるまでわかってなかった。だからみんな、焚き火台買ったらいいよ、って話じゃないよ。呼んでもらったら、感謝の気持ちと、目一杯楽しむぞという意気込みを忘れなければいいだけなんだから。そして自分でやるとなるとこれがまた、なーんにもわからなかった。それが嬉しかった。ギターもそうなんだけど、50年生きてきて、今まで触れなかった文化に出会うことくらい珍しくて嬉しいことはないよね。そしてこれまたありがたいことに、そういう時には必ず案内人がいてくれるんだよね。
そして実地で教わりつつ、ネットでは動画など漁る。夫はショッピングサイトも漁る。いやごめん、私も相当ポチっとしました。ヘリノックス は高くて買えない椅子だからニセノックス、コンパクトに畳める焚き火台、先輩らが持ってて羨ましかったので木の器やトランギアのケトル、炎の中に突っ込んでもしばらくは燃えない革の手袋など。「焚き火 動画」で検索すれば最初にヒットするのは「ヒロシちゃんねる」で、なんであのホスト崩れみたいな自虐ネタのお兄さんが?と思って見始めたら、もうなんだか、止まらなくなった。ここ5年くらいで、チャンネル登録4桁台だったのが99万なんて数字になってるらしい。基本、ナレーションめいたものはなくて、自撮りもほぼなくて、ひたすらヒロシ目線の炎や景色やステーキ肉の焼けたのが映るだけ。時々仲のよい芸人と一緒にキャンプしてることもあるけれど、それぞれが独立したサイトを作って適当な距離で会話したりご飯を分けたりしてる。
世の中は空前のアウトドアブームである。テレビでネタやらなくても視聴率稼ぐ男、ほっといてもらえるわけがない。他の芸人の番組でヒロシが呼ばれてキャンプ指南をするものは、ちょっと見てると胸が痛い。もともとは人と関わりたくなくてソロでやってるのに、リアクションばかりでかい素人にもの教えるのはしんどかろう、と思う。向こうのほうで女のタレントが「きゃ〜〜」って叫んでも「いやもう教えるべきことは教えたんで」って一瞥だにくれないのがいい。その割には、やっと着いた火種を育て始めた瞬間、「ヒロシさんこれ出来たんで食べてください」って突撃されても怒ったりせずに一瞬だけ天を仰いでから「あ、うん、すごいね〜、おお、うまいよこれ」って対応するのがすごい。すごいっていうか、まあ、仕事か。
ソロキャンプについての本も出した。しかもうちの会社が出版元だった。社販でお買い上げ。早速届いて、久しぶりに「読みたい本を抱えて定時になったら速攻帰宅」をやった。お茶を淹れるお湯が沸くのを待つ暇もなく読み始めた。最初にびっくりしたのが本名のどこにも「ヒロシ」なんてもんがないことだった。そして随所に沁みる文章があって、後書きではちょっとウルウルしてしまった。
小学生の時、「さあ、みんなで〇〇やりましょう」っていうのがとても苦手だったのだそう。班を作るって言ったって、自分で真っ先に指立てるなどはできず、誰かに「入れて」って言えるほど図々しくもなく、ただなんとなくその場に浮遊して「どうして一人でやってはいけないんだろう」と思っていたそうだ。その「みんなで」という同調圧に大人になるまでしんどい思いをしていて、ある日たった一人でキャンプに出かけたら、その解放感にすっかりハマったと。この本では普段使っている道具の紹介があるんだけど、「よく、何を買ったらいいですか、と聞かれるんだけど、そんなのはその人が何をしたいかによって違う。迷って悩んで、時々買い物に失敗して、そういうのも含めて楽しんで、自分のスタイルを作ればいい。人に聞くな、って思う。」とか、「このテントはペグなしで使ってる。ペグ打たないと飛ばされるじゃないか、っていう人がいるけど、僕はそんな強風の日にはテントしない。そのくらい自分で考えたらいい。」とか、ここ最近ものすごく意識している「自分の頭で考えることを放棄しちゃダメなんだ」って警鐘をこんなところにも発見して、とても嬉しかった。
みんなでやるキャンプが嫌でソロキャンプをやってるヒロシだけど、ソロキャンパーの芸人仲間と一緒にキャンプしている。一見矛盾してるようだけど、彼らも「みんなで」の圧に苦しみ、そこから抜けて自立した人たちなので、依存や干渉したりされたりしない、いい距離感を持って同じ時間同じ場所にいる。自由と孤独と、それを共有できる人。そんなフルハウスなことあるだろうか。ちょっと羨ましい。