まくとぅーぷ

作ったお菓子のこと、読んだ本のこと、寄り道したカフェのこと。

ウザゴリの話。

2015-07-31 21:47:45 | 日記
すぐ近くに新しくできたo中学ではなく
歩いて30分のぼろぼろなn中学に
入学することにしたのは
なんでだったか、忘れた。

髪を真っ赤にして
ちりっちりにパーマかけたハルミと
なぜか仲良かった。
念のため断っておくと、私は当時
THE優等生だったので
周りからも奇異な視線を浴びた。

ハルミはひきずるような長いスカートを
風紀当番の先生にしつこく注意され
あったま来てある日膝上30センチは
あろうかというミニに仕立て直してきた。
多分あれが今のJK服のハシリなんじゃ
ないかと思ってる。

やんちゃもマジメも混合で
先生はさぞや仕事しにくかったろう。
めんどくせぃ、まとめてやっちまえ
的な制裁を私も受けたりした。
しつこいようだが私はTHE優等生である。
なんでグループ連帯責任とかいって
前に立たされマジックのおしりで
額をどつかれなきゃならないのだ。

どついたのはウザワ先生という
ガタイのよい色の黒い怖い顔の男で
生徒のあいだではウザゴリと呼ばれてた。
ウザワとゴリラのコラボレーション。

国語教師のくせに口がめっぽう悪く
公衆の面前で罵倒は日常茶飯だった。
悪口に関してはやたらガードの固かった
母に育てられた私は
バカって云われたと泣いて帰るような
幼少時代を過ごした。
なのでウザゴリが
この、あんぽんたん!
と、私に向かっていい放った瞬間
殺意さえ抱いた。

数年前、同窓会で
薄闇のむこうにウザゴリを発見し
あのときの悔しさを訴えて
ごめんなさいって云わせようと
近づいていったら
ウザゴリは私に気付いて破顔した。

サトウさん!よく覚えてるよ!
俺さーある日イライラしてたら
お前に「先生どーしたんですか、
彼女にふられたんじゃないんですかー?」
って云われたんだよ。
それがさー!図星だったんだよ!
怖ぇー子だなーと思ってさー!

申し訳ないことに全く記憶がなかった。
そうか、優等生じゃなくて
鼻持ちならないナマイキ小娘だったか。
え?え?そうなんですか?
それはほんとにごめんなさい、
と頭下げてから

しまった・・・!

ウザゴリはあの頃に比べて
ちょっとしぼんでちょっと白くなってて
にこにこしていた。
でも声は変わらずでかいし
口も悪かった。

もしまた同窓会で会ったら
今度こそ私に謝ってもらうよ。

それまでぴんぴんしててよね。

花火観においでよ

2015-07-26 12:31:27 | 日記
浅草はたいてい、人がごった返してる。

じゃなくて、
私が浅草に行くのはたいてい、人がごった返す日なんだね。
初詣だの、休日だの。

昨夜はそんなごった返す浅草の
最たる夜。
隅田川の花火大会だもの。

だんなさまの従姉妹のお姉さんが
浅草の商家へ嫁いでおり
声をかけていただいた。

四階建てビルの屋上には
親戚のみなさんが20人ばかり集まっていた。
テーブルいっぱいのおいしそうな
餃子、煮込みハンバーグ、唐揚げなど
お姉さんの手作り。

だんなさまの従兄弟が
あー、このハンバーグおふくろのと
おんなじだーー!
と、むしゃむしゃ。
私もめちゃめちゃお世話になった
叔母さま、亡くなられて十三年経つんだな。



四半世紀前の、社会人一年目の夏
同期の男の子にみんなでお呼ばれして
花火を観た。

四人兄弟おとこばかりの長男で、
本所吾妻橋のたもとに建つ
五階建てビルの自宅の屋上には
ご親戚、兄弟それぞれの友達、
ご両親の友達、、、数えきれず。

弟くんたちはとりあえず
お客様らを全員
おねえさん、おにいさん、と呼んで
もてなしてくれた。

一番大変そうだったのはお母様で
ありとあらゆる食べ物を
大皿に乗せては運びあげ
空になった皿を持って降り
花火を見る暇はなかった。

別にその男の子とどういうこともなかったけれど
浅草の豪邸に嫁ぐと、この日はそういう日なんだなあと思った。


お姉さんははじめて来た私たちに
とても気をつかってくれて
あれこれすすめてくれたり
いいところに席置いてくれたり
花火どお?楽しんでる?って
聞いてくれたりした。

小さい頃のひとときを
同じおうちで暮らしてた
お姉さんとだんなさまなので
歳の離れた可愛い弟みたいに
思ってくれている。

さらに、お姉さんのお舅さんである
このおうちの主がみずから
ものすごくおいしいお茶を淹れてくれて
恐縮しながらも、とてもあったかい気持ちになった。

久しぶりに集まった、旦那様のいとこたちは
恐ろしかったお祖父様のことや
亡くなった父母のことや
旧い家屋にまつわる伝説のことなど
大笑いしながら話していて

こんなにみんなが楽しそうなのも
お姉さんの心遣いと
34年お嫁さんとしてしっかり尽くしてきた実績のおかげなのだなぁと
眺めていた。

絶好のロケーション
最高のおもてなし
のなかで、観る花火。

胸に迫る美しさだった。







那須チャリ

2015-07-13 06:52:40 | 日記


チャリ乗るにあたり、心がけていることは
「速そうに見えない装備」

イベントに行くとことさらに
ローディの格好は目立ってなんぼ感を
強く感じるのだが
とにかくヘタレな私は
たとえば坂道ぜーはーしてる姿を
誰かに見られたときに
あんなイキったウェア着てるくせに、
とかって思われるのはツライ。

しかし昨日、那須高原ロングライドで
「飲酒運転禁止」というメッセージを
かかげているオリジナルデザインの
ウェアを着てる人に
スターターが「これは?」とインタビューしたところ
「友達が飲酒運転のクルマにぶつかられて。なので一人で撲滅運動です。」
と、にこにこ答えていたのを聞いて
そうかそういう主張もできるんだなあと感心した。

そういえば、来週会社のイベントがあるんだけど
お揃いの真っ青なTシャツ渡されて
「サカモトさんはこれ自宅から着てきてください!チャリで!」
と営業ちゃんに言われたなあ。
「あと、チャリの後ろに夏期講習ののぼりたててね」って、
そんな流しの豆腐屋みたいなことしませんから。

とにかく、次回のイベントでは
なんかおもしろい服着よう、と
思いながら
ふつーのTシャツでスタートラインへ並んだ。

ほんとに偶然なんだけど、会場で
ムスメの友達で、去年石巻でお世話になりまくった
アイビーの家族にお会いし
アイビーママと妹ちゃんも一緒に
行くことに。
アイビーパパは遠距離コースのため
途中までは別ルート。
って、あれ?アイビーは?
「レポート終わんない、っていうので置いてきましたー」
ダイガクセイ大変だな。


栃木にはプロのロードレーサー集団がある。ふたつも。
今回も選手がたくさん混じって走る。
那須の道路あちこちに、自転車専用ブルーのラインがひいてあるし
そこらへんのお店にはだいたい
チャリスタンドがある。


これはレース前日にふらっと入った
和菓子やさんの店先。
わらびもち、一切れがすごーく大きく
ぷるんぷるんで美味しかった。
店番のおかみさんが、娘のジャージを見て
「明日うちのおまんじゅう、エイドステーションで食べられるよ」
今、息子さんである店主がひとりで
必死にあんを煮て、まるめてるそう。
「わぁー、楽しみです!何個作るんですか?」と聞いてみたら
「ん?なんかたくさん!三時までに納品だってー。」

ひとごとか?

今回参加の55キロコースには
エイドが5箇所ある。
冷たい飲み物、ちょっとしたおやつ、
場所によってはがっつりごはんまで。
チューブも持たずパンクしちゃった人のために、チューブ販売や工具貸し出しも。

って、それは私のことなんだけどね。

交換なんかやったことない私に代わり
ムスメがみんなやってくれた。
途中、うかつに手を出すと叱られ。
申し訳ないです。

新しいチューブで元気に走り出し
ちょっとばかりきつい坂をあがり
疲れたな~と思うと
またすぐ次のエイドに。
レモンの輪切りを軽めのシロップにつけたやつ、おいしかったな。



こうして、エイドで励ましてくれる人たちのほかに、
炎天下の交差点で道案内してくれる人たちもたくさんいて
ありがたいなあと思った。
住んでいるひとたちも
沿道で手をふってくれたり
声をかけてくれたり。
あるおうちには大きな看板に
「水、トイレ」って書いてあり
自分の家のものを貸してくれようとする
気前のよさに驚いた。

ムスメは去年、東北を走ったのち
心に決めて帰ってきたことは
「沿道にいて、声かけてくれる人全員に笑顔で応えられるようになる」
ということだったそう。
慣れないと片手離すのも難しいし
体力無くなると笑えないもんね。

私はいまいち体調良くなかったので
途中いつでもリタイアする気でいたが
アイビー家族、じぶん家族、スタッフ、
いろんなひとに助けられて
ゴールまで連れていってもらった。
妹ちゃんは小6だし
ほかにも小さな子たくさん走ってて
負けちゃだめだよなあとも思った。
そしてなんといっても景色のよさ。
広々としたたんぼのなかのあぜみち、
爽やかな風がふきあげる川へかかる橋。
「自転車はメンタルがすべてだもんね」
とムスメ。そうなのか。

道中いちばん笑ったのが
なかなか終わらない登り坂
汗だくで真っ赤な顔で
ちいさな車輪をまわす男の子が
少しだけ前方にいる父親に

「おとーーさーーん!!」
「オヤがコドモをおいていって
いーーんですかーー!!」

あと10年もすれば
君がお父さんを軽々抜いていくよ。


かかった時間5時間。
時速10キロ計算ね。
エイドに入り浸りすぎか?

参加賞は工具入れ。
早速チューブと工具揃えます。