まくとぅーぷ

作ったお菓子のこと、読んだ本のこと、寄り道したカフェのこと。

滅多に読まないビジネス書

2021-03-21 16:18:37 | 読書
ちかさんは読むの速いから二冊ね、と珈琲文明マスターに貸していただいたビジネス書。来月のイベント打ち合わせでのこと。イベントタイトルは「珈琲文明を創った本たち」。マスターはビジネス書ジャンキーなのだ。これまでに読んだ本たちのなかから、手放してもよいとおもうものを120冊ほど店内に並べ、簡単な紹介のあとに好きな本を譲ってあげるよという企画。お代は医療従事者への募金にするそうだ。そんなわけでイベント前にちら見させてもらったんだけど、読んだあと初版年を見て驚愕。2001年って、20年前じゃないか。どうりで、「書籍通販のアマゾンドットコムは顧客リストをつかってCDなど売り始め」とか書いてあるわけだ。今や、密林で手に入らないものはないもんね。
マスターのドッグイヤーやレッドラインも興味深いけどなにしろいちばんウケたのは「成功者にその秘訣を聞くとたいてい、『真面目に頑張った』といいますけどそれは建前なので真に受けないように」ってやつ。MR.Nの台詞そのものじゃん。真に受けちゃったよ。
それから面白かったのはとある床屋の話。店主も客も格闘技マニアで、観戦はもとより自ら技を鍛えるべく合宿とかしちゃうらしい。そして予約がなかなかとれない店なのでそのあいだに伸びた髪はよそで切り、予約の日は格闘技談義メインなんだって。
ふと、弘明寺のピザ屋を思い出す。何十年も続けてた飲酒をぴたっとやめて、かわいいウクレレ二台に夢中。客にも勧めまくってて、休みの日は店でウクレレ大会をやってる。もしかしてあれ、固定客と口コミを増やすための戦略だったんじゃないか。すっかりだまされたぞ。「いやいやまさかそんなことできる人じゃなさそうだよ」と夫は言うが、そこまでわかる付き合いでもないからわからないよね。
はっ。ということは阿佐ヶ谷のペンギンカフェのAIBOもそういうことか?もっと純粋な愛を感じていたが。
だってさ。これだけたくさんの飲食店があって、10年存続する店は1割だっていうくらい生存競争激しいのに、いや、なんかたまたまウクレレと目があっちゃって、そしたらなんかお客が増えて、とかいうほうがむしろレアなんじゃないか。
ということで、ビジネスマンは穿った目で見ることにしたわたしです。なんちゃって。
ふと、昨年お空にいってしまった鬼のようなコンサルじいちゃんを思い出した。嫌う人は蛇蝎のごとく嫌ってて事務所に呼びもしなかったが、うちには数回来てもらったな。よくわかんないが言われたことを実践してくうちに不思議なくらい結果がでるってひとだった。なくなられたあと、狂信者が彼の語録カレンダーをつくって全社員に配った。わたしにも来たけど開けてもいない。QR読み込むと彼の叱咤激励が実際の音声で再生されるらしい。気色悪い。そんなんしなくても、あたまのどっかになんかが残ってて、必要なとき確認できればいいんだし。
珈琲文明のマスターのあたまんなかには、読んだ本のなかのエッセンスが夥しい量残ってるんだろうな。イベントの日に質量としてそれが見られるのを楽しみにしてる。

桜に降る雪 「人生に行き詰まった僕は、喫茶店で答えを見つけた」感想

2020-03-29 18:25:16 | 読書
感染症の猛威により、県知事から週末は外出自粛とのお達しがあり、それを後押しするかのように、雪まで降ってきた。
ついこないだまでポカポカしてたのに、と、せっかく咲いた桜が凍えるように下を向いている。
リビングでは大画面でゲームに熱中する娘とギブソン を鳴らす夫、隣の部屋でマーチンと遊ぶ私。
お腹が空いたらその辺のものを適当に料理したり、お菓子を作ったり。
そして楽しみに取っておいた、発売に先駆けて入手した本を読む。
タイトルは今流行りの長々とした文章。中身は敬愛する珈琲文明の赤澤さんの開業メソッド。赤澤さんに取材しながらライターが書いたものを本人が校閲してる。
それでごめん、さっき嘘ついた。楽しみに取っておいた、っていうのはちょっと言い過ぎだった。何故なら、わたしは赤澤さんの文章が好きだから。彼がブログで書いている人生の三部作がそのまま印字された本ならどんなにかワクワクするのに。バッテリー切れも通信量も気にしないで、いつでも好きなところから開ける本なのだったら、どんなにいいだろう。って言っても仕方ないし、何より、赤澤さんが望んだスタイルでの出版なので、それはそれで楽しく読もうと思った。

主人公二人のうち、40代男性はご本人を存じ上げているし、カフェラボの特別講座でお話もしてくださったので、人物をリアルに想像しながら物語を読むことができた。本の中にもあるけど「もらったバトンを渡す」っていうのをまさに体現した、気合の入ったレジュメをカラーでバンバン印刷して持参してくれた。

うちの会社、このバトンを渡す行為を半ば強制的に先生に依頼してる。1年で1万円という、ほんのちょっぴりの謝礼で、新人先生を先輩先生に面倒見てもらってる。先輩先生がこれについて、本音のところでどう思ってるかは聞いたことがないからわからないけど、表面的にはとても熱心に親身になってやってくれてる。そうやって育った新人が、先輩になった時同じように後輩の面倒を見てくれてる。はず。

だけど大事なことは、バトンを渡してもらえるのは、その人の真剣なことが伝わってこそ。ただ口開けて待ってる奴にはそんなもの渡ってこない。改めて赤澤さんのやってきたことを読み返し、例えばカフェの専門学校に対して「珈琲のことはもういいんで、それ以外のことだけ講義を受けたい。あ、お金もその分しか払わないんで。」って、言ってくる人が違ったら怒って叩き出される案件だと思うし、それがまかり通ったのは、「もう余計なことに使う時間は無い」という必死さがあったからだと思う。

必死、って言えば、赤澤さんはこれまで何度も、「必死になる」経験をしてきている。親御さんの仕事の都合とはいえ、中学3年の夏に転校した先では高校受験に関して加算される内申点がゼロだったという不運な出来事があり、結果「首都圏の中学のワルのアタマが揃い踏みするような」私立高校に入らざるを得ず、ほとんど誰も目指す生徒がいない中で大学受験に挑んだこと。メジャーデビューを果たそうと入った音楽事務所の社長が劣悪で、無理難題を押し付けられては昼も夜もなく応えようとしてたこと。大手学習塾に勤めたものの、山梨に異動を命じられ、業績の悪かった教室を立て直そうと寝袋まで持ち込んで改善していったこと。

多分わたしは何かについて必死になったことがないんじゃないか。というのは、ものすごい逆境、あり得ない苦境に立たされたことがないから。もちろん、こんな日々でいいのかな、死ぬときにいい人生だったって思えるかな、っていうモヤモヤとした不安はいつも心の中にある。それはでもわりと簡単に他の事案のためにすみっこに追いやられてしまう。奈落の底に落とされるような経験はしたけど、自分が身を起こそう、這い上がってお日様を見よう、って決心さえできたら、あとはなんとかなった。

だからこそなんであれ、「必死になれる」人を尊敬する。でもその戦い方にも尊敬できるのとできないのがあって、他人を蹴落としてでも自分が高みに行くっていうのはちょっと違う。今も鮮明に覚えてるんだけど、最初の会社に入ってOJTしてくれた先輩が「新人の時、俺プログラミングの課題の提出いっつも最後で怒られたんだよね。」って笑ってて、それは何故かというと「パソコンの空きを競るのが苦手だったから」っていう、まさに一人一台じゃなかったあの時代ならではのエピソードだけど、そんな先輩のことはとても好きだった。

あ、それで思い出した、必死だった日々がわたしにもあったんだ。入社2年目の海外出張、システムのカスタマイズとインストール。それこそ、技術も営業力も社会人としての矜持も何一つ追いついていなくて、ただただ、本番稼働日に間に合うように毎日遅くまで降りかかる問題を右に左にぶった切るように生きてた期間。スーツケースにリール2本隠し持ち通関する時の縮み上がる心臓の痛みや、ホテルで飲んだ泥水みたいな珈琲、初めて体感する宗教という名の鉄壁。人って眠らないとちゃんと膝が立たないんだ、ってことも初めて知った。

この本を読んだらきっと、自分の中にあるものを棚卸ししてみたくなるはず。格付けとかじゃなくて、それは客観的に自分を知るために。あるいは、元々赤澤さんがお子さんのために半生の日記を書き残そうと思ったように、身近な誰かのために。そうすることで、過去の自分がこれから先の自分へと繋がっていく。だからきっと、手鏡かなんかのように、引き出しに置いておいて、5年とか10年とかしたらまた読んでみるといいんだと思う。ついでに、その頃には本の続編がどこかにあがってるといいな。開店13年目のペンギンカフェや、開店20年目の珈琲文明の様子を知りたいよね。

生まれて初めて経験する深刻な社会情勢の中で、見栄えのいい装いをひん剥かれて裸の中身が露呈しちゃう今、出版されるというタイミングもきっと意味があるんだろう。そういえば赤澤さん、花の中で桜がダントツにお好きだと聞いた。予期せぬ雪も雨に変わり、なんとか持ちこたえた花を見上げるひとときが、今年もあることを心から願う。






氷 埜庵の12ヶ月 

2016-08-14 11:02:08 | 読書


一昨年の夏、唐突に降りてきた
「かき氷熱」
手近の果物と砂糖で
あらゆるシロップを作っては
古めかしい手動のかき氷器で
ガリガリ削った氷にかけて
食べはじめた

写真に撮ってSNSに上げると
なんだかとてもたくさんの人の
反響を得られて驚くとともに
とても嬉しく
近所の珈琲屋さんの営業後に
出張していったり
今年はとうとう会社にも
持ち込んだりして
こんな単純なものに
みんなが想像以上に
喜んでくれるのが
楽しかった

そして先月のイベントの端っこで
好きにしていいよ!と言われて
与えられた大きなかき氷機と
氷屋さんの切り出し氷100人分
1ヶ月前から梅や紫蘇の
シロップを仕込み
冷凍苺1キロ、桃10個を仕入れ
グレフルも漬け込み
有名店のレシピ本を見ながら
基本のシロップを2L作って挑み
当日は60人弱のお客様に振舞って
ほぼ完売した

嬉しかったのは
小さな女の子に
「本物の苺だ!」と喜んでもらえたこと
大人のお兄さんが
「今まで食べたかき氷の中で一番うまい」
って言ってくれたこと
特にコメントはないんだけど
一人で桃を6杯お代わりした男の子の存在
(おなか大丈夫だったのかな、何度か確認したんだけど)

「シロップは埜庵さんのレシピなんですよ」
と言うと「あ、湘南ですよね」と答えてくれる方もいて
さすが人気店だなと感心した

で、その店主の手記がこの本
サラリーマンを辞めて
かき氷屋になって10年の思いを
綴っている

観光客で賑わう鎌倉に出した
最初のお店の最初の営業日に
お客がたった1組だったという
不安だらけのスタートから
夏には550人のお客が押し寄せる
現在に至るまでのあれこれ
氷のみならず、苺や抹茶などの
シロップの素材にも拘り
産地に赴いては工程にも要望を出す
かき氷オタクな石附氏
天気予測がいかに店にとって重要かを
切々と語り、「予報士は死ぬ気で当ててほしい」と
いうセリフは大真面目なんだろうけどちょっと笑えるし
氷を削る刃のメンテを依頼したキャリア50年の
職人さんとのやりとりも感動的

だけど私が一番心にしみたページは
奥様の心情を吐露したもの

勤め人の妻になったはずなのに
気づいたら根無し草のような暮らしで
こんなに繁盛店になった今でも
朝起きると一番に感じるのは「不安」
ある期間、乳幼児を持つ無神経な母親たちに
店を荒らされていて
毎日営業後に辛い思いで掃除をしていた話や
夫が会社を辞めたことをしばらく親兄弟にも
言えなかった話など
小さな子供を二人抱えて不安に苛まれて
過ごした毎日がいかばかりだったかと思うと
なんだか切なく
「でも、最初の頃と違うのは、1日の終わりに
よかったと思えること」との記述に救われる

そして2人の「妻」のことを思い出した

1人は四半世紀以上前、インドネシアのジャカルタに暮らす
日本の現地法人の銀行員の妻
治安がお世辞にも良いとは言えない土地で
同じ現法に勤める家庭と協力して
子供を小学校まで送り迎えするのも交代で行う
買い物に行くにも緊張を伴う暮らしで
ある日「日本に帰りたいなあ」と呟いたら
夫に「じゃお前だけ帰れば」と言われてしまった
「ベランダで泣いてたんですよね」と
後悔とともに教えてくれたのはその夫本人だった

もう1人は5年位前、小田原で鰯釣りさせてくれた
漁師の妻
釣り好きが高じて会社勤めを辞め
船を買って小田原に転居した夫と
育ち盛りの3人の子供、という家族構成
釣りの後、大量の鰯と20人ほどの客が
自宅に押し寄せ、一般家庭のキッチンに
5人くらいがひしめいて調理するのの
采配をふってくれた
カッティングの美しい大皿を出して
「これね、丸の内でOLしてた頃に買ったの!」
と、楽しそうに大きな瞳で話してくれた姿に
その頃はまさか将来こんな風に暮らすだなんて
みじんも思わなかったんだろうなあ
やっぱり妻となり母となれば
夫の生きかたの選択で人生を振られる
ものなのだろうなあ
などということを考えた

そんなことを思い出し
ふと気づいた
この本は石附氏の
奥様への贖罪と感謝を
形にしたものなのだった

この夏が終わって
一息ついた頃
お店を訪ねてみたい












コロッケパンと月の道

2016-03-22 07:03:03 | 読書
三連休明け、しかも移動届提出締め日明け、
朝っぱらから日記書いてる場合じゃないのに
わざわざMACからアクセスしてる私は
現実逃避を絵に描いたようだ。
でもなんか日記でも書かないことには
とりかかれない山ってない?あるでしょ?

カテゴリー読書にしたけどこれ漫画だから
読書じゃないな。
海街diary7 あの日の青空 吉田秋生さん作
この人も手が遅い人だよね。
4姉妹のお話。だいたいありがちなエピソード。
繋ぎ方がうまいといつも思う。
たとえばコロッケパンとかね。

わりと最近知ったのだけど
隣町 白楽にコッペパンの店があるの。
かなり大ぶりなパンにいろんなものを
挟んでくれる。
定番のあんマーガリンは、こしとつぶが選べる素晴らしさ。
季節限定ラムレーズンなんていうのもある。
注文受けてから作るのと
コロッケ210円っていう優秀なコスパで
常に並んでる。
たまに食べたくなるんだよね、コロッケパン。
なんでだろう。メンチとかチキンカツじゃないの。いもなの。

姉たち3人の大量オーダーを受けて
彼氏と一緒に運搬する末妹。健気。
妹を使い走りにできるのって仲良しな証拠かな。
わたしはできない、できなかった。
いまから思い返すとほんとうに、
なんでもっと妹らに優しくできなかったかなあと思う。
同じ小学校行くのに、朝わざと振り切って出かけたり。
一緒にお風呂入るとわざと場所をいっぱいとって
バスタブに浸かってみたり。
ああ、いっこいっこがしょぼい。
でもめげずにくらいついてくるんだな、妹って。
わたしの友達にも「はるこおねえちゃん」とかって
べたべたするもんだから、受けがよかった。
だからわたしひとりで遊びにいきたくても
「いいじゃんつれてくれば、かわいいし」とか言われてた。
生きる本能、第一子はほかの子供には敵わないよ。
なにしろ転ぶ前から手を差しのべられて育ったのだもの。
姉妹って本来この本みたいな関係なのかな。
付き合ってる彼氏の話とか妹としたことないけどな。
あ、でも一時期すぐ下の妹が
「あたし中村トオルと結婚する」って宣言してたな。
「ちーねーちゃん(わたし)も中村トオルが弟だったら嬉しい?」って
聞かれたけど別にそうでもなかった。
結局それは叶わなかったけど(当たり前だ)
その後アメリカの空港勤務をしてた妹が
中村トオルのアテンドする機会があって
なんというかあまりにも浮世離れしてる人だったらしく
結婚しなくてよかったかもと思ったんだって。

な、なんの話だ。

本の中に出てくる、月の道の写真。
海にうかんだ月が照らす細く長い光の道。
お月様のは見た事ないかもしれないけど
おひさまならある。朝、海から昇ったおひさまが
水面を細く照らし、だんだんその面積が大きくなり
お空いっぱい明るくしていく様子は
パワフルだったな。また見に行きたい。
お月様はそれにくらべるとさびしそうだ。
でも確かに、遠くにいるだれかを思うのは
圧倒的にお月様だよね。
元気にぎらぎらしてるおひさまをみて
あーあのひともこのおひさまをきっと見上げてるわ
とか思わないもの。

さて。お仕事しに行こうっと。

明日は弱虫ペダル最新刊をお届けします(また漫画なんだね)

風が強く吹いている 

2016-03-17 21:57:03 | 読書
三浦しをんさんの描写する男ってどうしてこんなにどうしようもなくて
どうしてこんなにかっこわるくてどうしてこんなにかっこいいんだろう。

テレビで先に映画見ちゃったから
どうしても走(かける)はケントくんのビジュアルを
頭に浮かべて読んじゃったけれど
他のキャストは綺麗に忘れてて
いっそ助かったようなものだった。
あ、ムサはソフトバンクのお兄ちゃんだったかな。
違ったかな。あいつも足速いんだよね。
褒めるんなら芸名くらい覚えてあげたらいいのに自分。

なんで走るのか?

こういう疑問って早急に解かねばならないってものじゃなくて
一生かけて懸命に考えて考え抜いてもしかしたら
しんじゃうときまでわからないものなのかもしれない。
そう、アンパンマンとおんなじ。
何が君の幸せ?何をして喜ぶ?
解答することが目的ではなくて考えることが目的。

ハイジがついた嘘、走を寮に連れていったのは
ただその走りに魅了されたから、という理由。
本当は追っかけていった時に正体を見抜いてたのに。
走はその嘘のおかげで心安らかになれたし
それが嘘だったと聞かされた時に
そりゃ当然ざわざわとはしたけれど
そのくらいのことで壊れるような
ヤワな信頼関係じゃなくなってた。
言わなきゃいいのに、バラすハイジが
わたしは好きだな。狡い。可愛い。
自分を曲げたくない気持ちを通そうとするんだもの。

ワルモノとして登場する榊もいたいけで可愛い。
意地悪する確固たる理由が彼にはある。
でもアスリートである以上、善悪はスピードで決まる。
勝てば善い人。残酷な世界。


日本人の多くがなぜ一年のはじめに
ただ走ってる若者を延々映すテレビに夢中になるのか
解ったような気がする。
命題を見つけられなくても
彼らを見続けてる間はそれを一緒に追いかけることが
できるからなんだね。
向かい風が強ければ強いほど熱くなれるのかもしれないな。


ところで、本のなかに
「本番のルートの試走は禁止されてる」って
あったのだけれど本当?
走ったこともない道を走るなんて恐ろしくないのかな。
それとも、走ったことのない道だから燃えるのかな。
そうじゃなくて、先輩が走ってきた道だから走れるのかな。
というか、先輩が勝ち取ってくれた出場権だったりすると
いい加減に走ったりしたらワカッテルんだろうな?!
なんて威圧されて必死になるのかな。


なんとなく来年のお正月、駅伝見てる気がする。