まくとぅーぷ

作ったお菓子のこと、読んだ本のこと、寄り道したカフェのこと。

短いお話。

2016-11-23 22:29:41 | 書き物
あ、あれね。
嘘だから。

一瞬、耳を疑った。
綺麗にグロスをひいた彼女の
唇の動きを頭の中でリピートしてみた。
間違いなかった。ウソダカラ。
五号館の渡り廊下には陽の光がたっぷり差し込んで、彼女の長くてまっすぐな髪にきらきらと降り注いでいた。

念願のR大学に入ったものの、山手線での通学にはしゃいだのは束の間で
まわりにいる自分以外のすべての子が余裕と自信と金持ちの親を持ってるように見えて、オリエンテーションの終わる頃にはなんだかぐったりし、机に突っ伏していた。
だから彼女がそんな私に、ほんと聞いてるだけで疲れちゃうよねー、と、屈託ない笑顔で話しかけてきたときにはとても驚いて、あっ、そうだよねー、とバカみたいに返すのがやっとだった。
なんだ、すっごく可愛いしゃべり方するんだね、と笑う彼女。そういうあなたはとっても美人なのね、と、声に出さずに心のなかでつぶやいた。
それが紗代との出会いだった。

R大学は一般受験で入る学生が全体のたった20パーセントで、残りは附属の男子校からの持ち上がりと、都内近郊の有名なお嬢様高校からの推薦者が占めるということを知ったのは、入学後のことだった。女の子の格付けランキングのツートップは、T女学院(T女)と、N女学館(ヤカタ)で、それにK高校とD学園が続く。紗代はD学園出身、加えて持ち前の美貌と抜群のスタイルで、どこへいってもちやほやされた。
図に乗ればどこまでもいけそうなのだが、芯は真面目で硬く、勉強熱心なのが紗代の面白いところだった。そんな紗代もわたしのことを面白いと思ってくれたらしい。同じ学部同じ学科、同じクラスで同じサークル。バイトも同じところで、まあたいていは一緒に過ごしており、先輩らもわたしたちのことは対で扱っていた。そして対でいることでわたしは数々の恩恵を受けた。
ある日わたしはそれについて先輩に、紗代と一緒だといろいろお得なんですよ、美人はやっぱり特別扱いですし、という話をした。別に何の嫌み妬みもなく、純粋にそう思っていたのだが、聞いた先輩はなぜか眉ひそめて、そんなことは思うもんじゃないよ、と言った。
自分に自信もてよ。そういうのなんか違うよ。
その時にはうまく言えなかったけど、今ならたぶんこんなふうに答えるはずだ。そうはいっても、もしあなたが女で、傍にいつも紗代のように成績もよければ顔も綺麗で背も高く脚が細く、そのうえ優しい子がいたら、自分と比較しない自信はありますか。比較して絶対的敗北を認めたら、もうそれは受容して、あとは自分にもたらされるメリットについて目を向けるしかないんじゃないですか。

ただひとつだけ、不思議なことにわたしが紗代に負けないことがあった。それは、彼氏に大切に扱われる、ということ。こんなわたしにも恋人はできたし、彼らはわたしを大事にしてくれた。だが紗代のつきあう男はみな、はじめこそ違うが、だんだん傲慢になるのだった。それは紗代が、好きなひとにはとことん尽くしたいタイプの女の子だったからだ。男は、美しい女の子にかしずかれると、舞い上がり勘違いして天狗になるのだ。紗代が外見のままの、わがままで高飛車なお姫様気質の女の子だったら、こんな被害は受けなかっただろう。献身的な資質は紗代の長所であり、残念なところであった。紗代はときどき、彼氏の仕打ちを打ち明けて泣いたりしてた。わたしは一緒になって泣いたり怒ったり、ときには相手の男を呼び出して苦情を申し述べたりした。だから紗代がマサ君と付き合うことになり、彼が紗代に心から惚れ込んでいて、舞い上がることもなくひたすら彼女に尽くしてくれると聞いたときには本当に嬉しかった。これで紗代は辛い目に遭うことはもうないだろう、と安心した。マサ君には直接会ったことはないけど、写真を見せてもらい、のろけ話を聞き、大事な友達がしあわせそうにしてるのを見て、わたしもしあわせな気持ちになった。喧嘩したあとマサ君が雨のなか傘もささないで、ずっと紗代の家の外に立っていて、無事仲直りしたなんて話も、なんてロマンチックなんだろうとうっとりして聞いていた。

講義が終わり次までぽっかり時間が空いて、わたしたちは渡り廊下のベンチで他愛ない話をしていた。
紗代はなんだか元気がなかったし、話も上の空な感じなので、さてはマサ君とまた喧嘩した?とおどけて聞いてみた。
マサ君とは別れたよ、と紗代が放り投げるように言った。
いつ?もう三ヶ月経つ。知らなかったよ。うん、なんか言えなかった。美香は彼氏と仲良くしてるし。
そんなことを比較して、紗代は塞いでいたのか。初めて知る彼女の憂いだった。励ますつもりで、わたしは言った。
でもマサ君、紗代をめちゃめちゃ好きだったもんね。雨の中立ち尽くしたり。振っちゃったのは、ほかに好きな人できたから?
紗代はほんの瞬きする間、記憶を辿るような風情を見せた。それから言ったのだ。

あ、あれね。
嘘だから。

マサ君、喧嘩したあと私がどんなに謝っても許してくれなかった。それで振られたの。でも美香にはなんか言えなくて。嘘ついちゃった。

そこまで言ってはじめて、わたしの表情に哀しみを見つけたのだろう、紗代はとってつけるように、ゴメンネと小さく言った。あ、うん、べつにいいよ、とわたしはバカみたいに答えた。
紗代にしてみれば、容姿の劣るわたしが彼氏に優しくされてるのに、じぶんばかりが辛い目に遇うのが悔しかったのだろう。さらにそれをわたしに慰められることも、悔しかったのだとおもう。だからそれを阻止した。それだけのことだ。でもそんなにもつまらない、そんなにも薄っぺらい嘘があるだろうか。そんなにもか細く弱い、ひらっひらの友情しか、紗代はわたしに持ってなかったのか。

卒業してから紗代とはめったに会わなくなり、先日とても久し振りにみんなで集まった時、遅れてやってきた彼女を見てのけぞった。紗代はまるまると太っていた。仕事と育児のストレスが深夜のポテチに向かってしまい、会社の制服担当に、もうこの次はないですよ!と脅かされてるの、と笑ってた。輝くばかりの若さと美貌があった頃より、しあわせそうに見えるのはなんでだろう。わたしについた、つまらない嘘を覚えてるだろうか?きっと忘れてしまったに違いない。だからわたしも忘れてしまう。楽しかったことだけ心に留めて。