まくとぅーぷ

作ったお菓子のこと、読んだ本のこと、寄り道したカフェのこと。

100回記念、あ、101回かも?な男。

2015-10-23 21:56:45 | 日記


月に一度のライブが
100回目を迎えるって

ほんとにすごいことじゃない?

休みなくやったとして
8年と4ヶ月ですよ

記念の夜はぜひ、と
マスターじきじきに
メッセージいただいて

終わらない仕事ぶんなげて
途中夜道のサラリーマンを
チャリでひっかけそうになりながら
(だってダークなスーツ着てふらふら歩いてんだもん)
ぎりぎり滑り込んだら

えっとよく考えてみたら
サイレントオープンで
歌ってるんですよねー
だから101回目かも

っていう、マスター

もう、それは、
気づいたとしても

言わぬが花
では
ねぃでしょうか?!



そんなマスターの
100回あらため101回目
記念すべきライブ

セットリストは

alone again
珈琲ブギ
どこかで金木犀が咲いている
piano manじゃなくてsax man
とろろパン
三三七拍子の歌(ん?)
エンドロールの歌(ん?)
悪くない

途中から
マスターのバンドの
みなさんが入ってきて
どんがらがっしゃんな
楽しいライブに

続けることは
それだけで
価値だとおもうけど

ちょっとずつ
パワーアップをしなければ
現状維持ではなく
退化となる

って言ってたマスター

今夜は攻めてるよ!

というのに、バンドのみなさんが
うんうん、そうだね、って
温かくうなづいてたのが
印象的でした

開始前に回ってきた
色紙に
常連さんらの
(あるいはそうとは知らずふらっと入っただけのひとの)
おめでとうメッセージが
ぎっしりで

なんだかたいへん
めでたい夜でした

そして
名曲
悪くない


実はメロディに妥協してた
という衝撃の事実!

に、びびったか
サックスソロでつっかえる
という素晴らしいアクシデント

ナイスリアクション
宮坂氏

マスター
100回または101回ライブ
おめでとうございました!

また来月からも
楽しいMC
たまに歌
よろしくおねがいします(*^^*)






おがわ部長の話。

2015-10-21 21:20:38 | 日記
静岡出張から飛んで帰ったボス、
オフィスの空気をすべて揺らすような
でっかいため息。

手にしてるのは、入社一年目の女の子の作った
イベント当選者への案内状。

横からちらっと覗き見る。
ふむふむ。
あら、まあ。
これはこれは。

ひどいな。(笑)

「見てよこれ、なんなの、『日常で学習』って。意味わかんない。」

赤ペン握りしめ、添削しはじめるが
書き込んでどうにかなるレベルじゃない。

先輩が作った、以前似たようなイベントを行った時の案内状をアレンジする手法で書いてるのだが、
もとの案内状があんまりうまくできてないのを差し引いても、
へんてこりんなことになってる。

送付先がどういう人なのか
自分の立場はなんなのか
伝えるべき内容はなにか
そのへんがまるでわかってないもの。

毒づいたり頭かかえたりしながら
懸命に赤入れしてるボスを見ながら
思い出すのは、おがわ部長のことだった。

新卒で入った私を迎えてくれたのは
とある金融系システム会社の海外部門の面々で、そのなかに親会社から天下ってきていたおじいちゃんがいた。
体格よく福々しい顔だち、涙袋がよっつくらいあって、寿老人みたいな垂れた耳たぶ。
名古屋弁まるだしなのに、現在の住まいがそうだからと、ハマっ子きどり。語尾に「じゃん」ってつければおっけーな感じ。
いつもにこにこしてて、時おりインドカレー屋につれてってくれて、マンゴメルバ(スライスしたマンゴーにバニラアイスをどーんと乗せたデザート)が大好きで。
かつては銀行の海外店の支店長を歴任し、吼えるとまわりが震えるようなお方だったらしい。
それが、おがわ部長なのだった。

ある日私が、海外現地法人の銀行に新たに入れるシステムについて、作業の進め方などについて先方のお偉い行員さんへファックスしようとしていたところ
(当時メールという便利な手段はなかった)、おがわ部長がぽかぽか陽のあたる窓際の席から手招きするので、ぴょこぴょこ歩いていった。

「見せてみ?」と、私がワードで作った文書を手にとる。
「ここな。タイトルは『ご連絡』だけじゃだめじゃん?なんの連絡かわからんじゃろ。」

そうかー。自席に戻りカタカタ直し、またぴょこぴょこと部長の席へ。
「おお、これならわかるな。よしよし。」
わぁーい、送っちゃおー、とすると

「まてまて。ここな。先方の名前の字とおまえさんの名前の字がおなじサイズじゃん。先方のほうを大きくしないと失礼じゃろが。」
そっかー。なるほどー。カタカタ。

今度こそ、とぴょこぴょこ持っていくと
「おお、よくなったな。で、ここな。」
今度はそれか!気を付けることがこんなにあるんだなあ。でもさっき一緒に教えてくれたらいいのに。次こそは!

「ふむ、文面はこれでいいじゃろ。」
って言われて、喜んだのもつかのま

「ところでな。先方はじいさんじゃ。全体的にでっかくしないと、読めないじゃん?」
と、にぃっと笑う。
じいさんはじぶんのくせに!(笑)

当時は負けん気まるだしで、次こそは部長チェック一発OKをぶんどってやる!と思いながらぴょこぴょこ通いをしてたんだけど、
今思えば、そうやって育ててくれる人がいたことがしみじみありがたい。

そんなことを思い出してると
原稿の余白をほぼ真っ赤に染めたボスが
「私って嫌みな先輩だなー」と笑う。
そんなわけ、ないじゃないですか。

いただいたもののありがたさをわかるようになったけれど
お礼を伝えようにも、おがわ部長はとっくにお空のひとで
しかたないから後輩におなじものを伝えることでカンベンしてもらおうと思ってる。あと、バタープロンやマンゴメルバのおいしさも。

それでいいですよね、部長?







おべんきょうだいすき!

2015-10-20 20:35:52 | 日記
その保育園は、深い緑の公園を抜けたところにありました。

閑静な住宅街の片隅に建つ
シックな茶色の佇まい。

オートロックの扉を開けてもらい
中に入ると、にこにこ出迎えてくれる
若い女性の先生。
この感じ、なつかしいです。
ムスメを保育園に預けてた時代、
遠い昔になりました。
でも、働く母を支えてくれるあたたかな笑顔は変わらずそこにあるんですね。

内装がとても可愛らしく優しい雰囲気で、窓ガラスのひとつひとつにも素敵なシールがさりげなく。
「うわぁーこんなに素敵な園なら私も通いたいー」などといったら、すぐ後ろから「ありがとうございます!」と先生。い、いたんですね(>_<)知らなかった。

今回のミッションは、ここの部屋を借りて新たにはじめる教室の説明会の手伝い。
はじめに聞いていたのは、わらわらっとなりがちな園児さんらを脱走したりしないように囲いこむ係。牧羊犬ね。
ですが当日になって、学力テストをさせて様子を観察しレポート書いて採点、といわれてしまい、ひるみました。

学力テストといっても、園児さんの場合は手助けが必要です。それがどのくらいになるかは、個人差がとても大きい。
問題文を読めるか、意味が理解できるか、解答のしかたはわかるか、正解したのはまぐれか実力か、などなど、気を抜いてはいられません。
その前に、ちゃんと椅子に座ってじっとしてられるのか、えんぴつはちゃんと持てるのか、字がかけるのか、意思疏通が可能なのか、不安なことだらけです。

私の担当は年長の女の子三人。
席につくなり、ひとりが
「わたし、おべんきょうだいすき!」
といいます。くるくる動く瞳が明るい、いっぽん抜けた前歯のキュートな子。
もうひとりも負けずに、
「わたしもやってるよ、しまじろうだもん!」先の子よりは控えめですが賢そうな目をしています。
三人目はあまりお勉強には自信なさそうですが、「すうじはよめるよ」と言います。
この時点で楽勝確定です。

そしてやっぱり女の子はすごいなとおもったのが
「なぜ今日はこんなイベントをしてるのか」
「なぜこの園がターゲットとなったのか」
「なぜ自分が試験を受けることになったのか」
などの質問が矢継ぎ早に。
ありのまま答えます。変にごまかしたりてきとーなことを言うのはきらいです。それに、ちゃんとまともに答えるひとなのかどうかを相手も見極めようとしてるんです。

やがて先生がやってきて、スタートの合図。まずはお名前を書きます。なかなかよい字を書きます。ひとりは左利きでした。

問題文、二人はすらすら読めます。もうひとりはつっかえるけど読めます。ところどころ、設問の意味や解答法を確認してきますが、ほぼ満点。すばらしい。

おわったー!というので、もういちどぜんぶひらいて、わすれちゃったところがないかみてごらん、というと、ぱらぱら見ます。ひとりが、「ああっ!こくごのおなまえかくとこ、わすれてた!」と慌てて書きます。気づいてよかったね。

それから時間つぶしに、二人は折り紙を、ひとりは絵本を持ってきました。
うさぎ、やっこ、ふね、りぼん。よく知ってるなあ。私はリクエストの、つるとカメラを折りました。
絵本の子は「ねずみのよめいり」「はだかのおうさま」などを熱心に読んでいます。

やがてお母さんが次々お迎えにやってきて、帰ってゆきます。
あれ?ひとり戻ってきた。
「これ、いもうと。」わぁ、ほんとによく似てる。おでこに冷えピタはってます。手には、さっきお姉さんの折ったたくさんの折り紙を大事そうに持っています。
今日はがんばってテストしたね、よくできるからびっくりしたよ、というと、少し照れたように帰ってゆきました。

こどもを塾に通わせたいけど、働いていて送迎がむずかしいというお母さんにとっては、保育園のなかで開かれる教室はありがたい存在だとおもいます。
運営する側にとっても、集客がコンスタントに見込めるよい環境。
ただし、幼児指導にはそれなりに人手が必要ですから、そこの手当てが最大の問題です。
おべんきょうだいすきな気持ちを持ち続けられるかは、指導者次第だと思います。応援するから、がんばってほしいのです。

そして、幼児さんと関わるといつも思う、「ちいさい子の来る教室っていいなあ」ってこと。さんすう、こくご、おうた、おえかき、お菓子作り、いろーんなことやって、「これがすき!得意!」っていうのがひとつでもみつかったら、
それを支えに大きくなれるんじゃないかなあと思うのです。
ちなみに私は、歌をうたうことと作文書くことだけは、ほめられました(*^^*)
あとはだめでも、それでどうにか楽しく前向きにやってこれた気がします。

今日出会えたお子さんたちが、どんな大人になるのか、とても楽しみです。
成長する姿をみていたいなあ。
(なのでぜひ入会してね。(笑))






ちゃぶ台cafe

2015-10-18 11:08:23 | 日記


おいしいごはんが作れる人に憧れます。
おいしいお菓子が作れる人にも
おいしいお酒を知ってる人にも(飲めないけど)
憧れちゃうんです。

そしてそんな素敵な人たちが周りにたっくさんいるしあわせ。

昨晩ご招待くださったのは、憧れの人筆頭
ちゃぶ台cafeの親父 Mさんと
可愛らしいおかみさんのSさん。

繁華街の脇道をすいっと入ると
そこは静かな住宅街です。
ちゃぶ台cafeは、なんと、親父さんのご自宅なのです。

表通りまで迎えにきてくださった親父さんに案内され
お宅の玄関に着くと、まっくろ猫のうに店長がお出迎え。
キラキラしたまんまる瞳がとても美しいべっぴんさんです。
その奥にはおかみさんんがにこにこ。

入るなり、まるいちゃぶ台の上には
秋の味覚が美しく彩られているのを見て
きゃーー!です。




ハロウィンサラダはクリーミーなかぼちゃとナッツ。
ごまの生麩に柚子かおるお味噌。
鮎のコンフィは多摩川で親父が網振って捕ってきた若鮎を
おかみさんが油でゆっくり煮たんですって。
さんまのなめろう、大葉とねぎの香り。
うずらたまごはピンクと黄色にかわいらしく染めてあります。
赤菊の酢の物、しゃきしゃきが楽しい。まろやかなお酢です。

自家製ジンジャエールで乾杯。生姜が効いてて美味しい。
お友達は笑顔でビールです。笑




おひとりさまコンロに「ニャーニャカウダ」がぐらぐらと。
これがご自宅にあるのって初めて見た。便利ですね。
茄子や焼き蕪、水菜をくぐらせていただきます。

雄勝の牡蠣を蒸して豆豉のソース、これが倒れそうに美味しいソース!
ムスメが殻をいつまでも残してちょっぴりずつ舐めてたのがおかしかった。



羅臼昆布の湯豆腐、絹なのに崩れない味の濃いお豆腐、大好き。
弘明寺のお店だそうです。今度行ってみようっと。
よかったら、とおかみさんが出してくださった柚子胡椒がエッジ効いてて美味しかったです。



そしてそのお鍋に「軽くくぐらせて食べてください」って
でてきたのが、この鮪!


全員で「うわあああ!!」絶叫。


昆布だしの霜降り鮪はさらっとしてるのに脂が甘くて身がしっとり、絶品です。
日本酒がすすむお友達。笑



うに店長はいつものポジション、たまーに店内をチェックして歩きます。



鮪の目玉、大根と甘辛く炊いてあります。とろとろです。
コラーゲンたっぷり、美人度があがるんじゃないか?





ところでこちらのcafe,お酒を飲む方がよく集まるそうですが
今回は私たち下戸ずに合わせてごはんものを充実させてくれました。
たまごかけごはんか、鮪出汁茶漬けのチョイス。
私はお茶漬けにしました。漬けの鮪の凝縮したおいしさ。土鍋ごはんも出汁で炊いてあります。
たまごかけごはんの卵、ちょっとびっくりする味。
どうやって作るんですか?!と聞いたら気前よく教えてくださいました。
親父さんのそういうところにまた憧れる。

おなかいっぱい、心いっぱい。
さあ、デザートだ。笑


お友達Aちゃんのお手製 はちみつレモンのシフォン。
レモンはご主人の実家のお庭に、たわたに実るそうです。手作りのジャム入りでめちゃおいしかった。
「シフォンは半分以上空気ですから」と言いつつみんなでぱくぱく。


お友達Mさんは、なんと、練り切りを手作りで。
黄身あんが優しい味、ふんわりピンクがキュート。

サカモトコーヒー、ネルやらポットやら持参で提供。
私はムスメと作ったくりまんじゅうを。
喜んでいただけてほっとしました。

親父さんがやおら、卵焼き器を振り始めました。
鮮やかな手つきに見とれます。
そんな姿を肴に、卵焼きトークで盛り上がるわたしたち。
そしておなかいっぱいなはずなのに食べちゃう不思議。



大根おろしに赤しそ梅干しがたたいたのが入ってました。これもいいなー。

はじめましての方もいらしたのですが、チャリやビールや餃子の話を楽しくできました。
くいしんぼ友達が増えるのは大歓迎です。

帰り道、途中までお見送りしてくださるMさん。
参加費があまりに安すぎるので心配ですとお伝えしたら
「仕入れは安いし、特別な調味料も使わないから、大丈夫なんですよ」
とにこにこおっしゃってました。
素材についブランドを求めて安心しちゃう私、目からうろこです。
そういえばAちゃんも、クッキー生地を作るのに
同じブランドのアーモンドプードルなのに
状態が違うとまったく味が違ってびっくりした、って言ってました。
お金をかけないでおいしいものを探して、お料理するのは
ほんとはとても手間暇かかる大変なことだと思います。
そこにこめられた思いも、一緒に食べさせていただいてるわけで
だからMさんご夫婦のお料理は感動的においしい。

ちゃぶ台cafeは月に一回、数名限定。
次回のおよばれが待ち遠しいです。笑

Mさん、Sさん、
素敵な夜をありがとうございました。

お友達のみなさん、
楽しいおしゃべりと美味しいお菓子をありがとうございました。
舶来ビールのすごーくいい香りもごちそうさまでした笑













継ぐもの。

2015-10-17 10:29:26 | 日記
子供の頃は「何曜日の何時からは何チャンネルのアレ」って決めて見てたくらい
テレビが好きだった。
歌番組はカセットデッキとともに待ち構え、ピンクレディが歌い出すと
RECボタンを押し、ビールでいい気持ちになった父が喋り出すと姉妹で
「しーー!」とか怒ったりして(ケーブル繋ぐとかって技はない。)

今はそれほど夢中になって見てる番組はなくなったが
映ってるとつい見てしまうものはいくつかある。
「和風総本家」もそのひとつで、海外でも認められている日本の職人の技なんていうのが
大好きだったりする。
こないだはイタリアの革職人が惚れ込んでいる道具、刻印の話。
革に模様を刻む小さな金具なんだけど、4センチ四方くらいの木版にパターンを起こし
それを手作業で金属に1/4スケールで刻んだのち
焼き固めて強度を増し、切り出して棒の先に接着して作る。
この、刻む人と焼くひとと接着する人は別々で
それぞれがもはや数少ないその道の精鋭だ。
イタリアの革職人と日本の職人たちとはお互いの仕事ぶりをビデオで観たり
エール交換したりしていて、歴50年という職人が訥々と喜びを語るのを見て感動した。
古来から脈々と続くものというのに憧れがあるのは、普段の自分からは遠いことだからだろう。

そんな私の職場に1年前やってきた営業さんがここ数日バタバタしてるのは
3歳になる息子さんの幼稚園入園のため。
おとといは「明日の朝は願書を取ってきてから出社します」と言ってたので
まわりの先輩幼稚園ママらが「じゃあパパは徹夜だね」「朝何時から配布?」「先着何人?」
などと質問を浴びせたら、素でポカンとしていた。
「調べてないの!?やばいじゃん!」と言いつつ、さくさくネット検索始める先輩は
ちょっと普段仕事振り過ぎて可哀想だったのかもという後悔もあったりする。
ただ、それとは別に本人があんまり幼稚園に入れることに乗り気じゃないことも起因してるようで
「私は今のまま保育園でも全然構わないんですけれど」と言う。
じゃあなぜ?と聞いたらものすごい低い小さい声になって「あちらのお母様が。」

「あちらのお母様」は関西の格式あるお寺さんを守る人で、一族のなかでは「女帝」で通っている。
同僚さんの旦那様は次男だが、お盆、正月、女帝の誕生会などには家族総出で奉公に向かう。
長男は結婚しており息子さんも一人いるので、順当に行けばその子が後継者になるのだが
不謹慎な話、万が一の事があれば同僚さんの息子さんがその大役を担わなければならない。
それだから女帝は遠慮なく同僚さんの子育てにも口を出す。
「何かの時に、『だから保育園育ちは』と言われることを避けたい」というのが女帝のお考えで
それについてはずっと保育園にお世話になった私としては反論したいこともたくさんあるけど
世の中に(特に上流階級に)女帝と同じように考えるひとがいることも知っている。

「次男とはいえ寺になんか嫁いくもんじゃないですね」と同僚さんは笑う。
そもそも次男とつきあったのち別れたところを、女帝がどうしてもあなたがいいと強引に結婚させたそうで
今の時代にそんな話が実在するのも驚いてしまうけれど、
そんなことを成し遂げるくらい重大な責任を負って強く生きている女帝というひとを尊敬する気持ちもある。
怖い女になるしかなかったんだろう。もしかしたら同僚さんもそうなる日が来るかもしれない。
でもそんなことは寺にお参りにくる人たちには一切見えない。来年も再来年も10年後も、寺はそこにあって当たり前なのだから。

ふと私も、その人たちの一部なんだと気づく。当たり前だと思って享受しているものは、本当は知らない誰かの努力のおかげで存在しているものなんだ。
有り難い、と言葉の意味そのままにそう思えた。

私にせいぜいできるのは、遅刻してくる同僚さんに代わって、めんどくさい先生からのくどくどした電話を受けることくらいなんだけどね。