まくとぅーぷ

作ったお菓子のこと、読んだ本のこと、寄り道したカフェのこと。

コーヒー豆は旅をする。

2020-10-05 00:08:39 | 日記

レミングは黒褐色のふさふさした毛に覆われた齧歯類で、日本名は「旅鼠」という。レンメルコーヒーの名前の由来になった動物である。

北欧にはレミングにまつわる古い言い伝えがあり、曰く「数が増えすぎた時、レミングは自ら海に飛び込んで全体の調整を行う。」というものだ。おそらくこの話を元に1958年にディズニーが作ったドキュメンタリー映画では、お金で集めたレミングをスタッフが海に投げ込むことでこのシーンを捏造し、そのせいで多くの人がそれを事実だと勘違いしている。レミングは4年を周期に大増殖と激減を繰り返しているのだが、何故そうなるのかはわかっていない。いないが、「海に飛び込んで自殺」はしない。たまたま新地を目指して移動中に事故に遭ったりするだけである。

とはいえ、北欧の子どもたちは古い言い伝えを信じているし、海に飛び込む動物に対して小さな心を痛めている。そこでレンメルコーヒーの創立者ロルフとマルクスはこんなストーリーを作り出した。

レミングが海に飛び込むのは死ぬためじゃない、泳ぎの得意な彼らはそのままどんどん南へ泳いでいって、アフリカまで辿り着く。それからコーヒー豆を抱えてまた故郷の山に戻ってくる。体温で豆を焙煎しておいしいコーヒーを作るんだ。ある日僕たちはレミングから頼まれたんだよ。このコーヒーをみんなが飲める様に、手伝ってくれないかってね。だから僕たちはレミングのコーヒーを売ることにしたのさ。

彼らはこのストーリーをとても大事にしていて、だから寒川氏が「そうか、わかった。そういう話なんだね。なるほど。で、君たちの工場はどこにあるの?」と聞いた途端目を釣り上げて「もう話はおしまい」と怒ったわけである。まあそんな彼らも本当のところ、コーヒー商売をするのは短い夏の間フライフィッシングをするためなので、大人気ない様な気もするけれど。

フィールドコーヒーは何百年も前から北欧のラップランド地方に暮らすサーミ族が飲んできたもので、ヤカンに湧き水を汲んできて、火を起こし、沸騰直前まで温まったお湯にコーヒーの粉を直接ばさばさと入れて、抽出されるのを待つというスタイル。今日は鎌倉のアウトドアショップで寒川氏の実演があり、待っている間にいろいろな話を聞かせてくれた。

北欧では日に3回はコーヒーブレイクがあって、「フィーカ」と呼ばれる。フィーカは絶対に、ながらではやらないので、メールチェックしながらコーヒーは飲まない。みんなでフィーカ室に移動する。そこにはコーヒーと甘い物があって、みんなはお喋りしながらそれを楽しむ。なんかサボってばっかりみたいだけど、そうやってきちんとオンオフ切り替えることでむしろ作業効率は上がるのだ。ひどい時はデスクで仕事しながらパン齧るランチのわたしには耳が痛い。

そうそう、今日のイベントではノルウェースタイルの「シナモンロール」が提供された。シナモンやカルダモンの香り高い。ふわっとした美味しいパン。10/4はシナモンロールの日なんだそうだ。

2年前は大阪のデパートで「北欧フェア」があって、レンメルコーヒーの二人がわざわざ呼ばれてきた。日本は初めてどころか、ヨーロッパから出たことがない二人のことが心配で一週間つきっきりでアテンドした寒川氏、本来は焚火でゆっくり沸かす湧水もデパートではそういうわけにいかず、かわりに超ハイテクなIHヒーターが1リットルのミネラルウォーターを1分で沸かすという振れ幅の激しさに「どうしよう」と思ったが、むしろ大喜びだった二人に安堵したり、何度か体験してみても今ひとつピンとこなかったフィールドコーヒーも、フェアの間に約400回彼らの淹れるのを見ていたら「あ、そうか」と腑に落ちるものがあったそう。

粉が一回何g、お湯の温度が何度、放置する時間は何分、そんなものは自分で決めりゃいい。自分で決めるんだから、正解はない。正解がないんだから失敗もない。

だけど当たり前だけどデパートのスタッフは「お客様に不公平があってはなりませんので、毎回一定量でお願いします。」と言う。「はあ?」っていう二人との、どこまでも交差しない思考を寒川氏が「あ、はーい。」ってスタッフを受け止めた振りをして、二人のやりたい様にやってもらってたという話は面白かった。

アウトドアショップの焚き火ディスプレイのトライポッドにかかったケトルは、寒川氏がサーミの毎冬行われるマーケットで手に入れてきた物で、ケトルの広い口と真上に向かっている注ぎ口と取手の長さはまさにフィールドコーヒーのための設計。サーミは北欧の数カ所に住んでいて、一年に一度ヨックモックに集まって物々交換をしたのがマーケットの始まりなんだとか。寒川氏がやはりそこで入手したナイフは、鹿の角や革でできたシース にその地の鉱物で作った刃と木材のハンドルで、その場所で暮らすために必要なものはその場所で手に入る物で作るという、言われてみれば当然なんだけど、なかなかここではそうも行かないなあと思う。

それにしても、ノルウェー。どんな国なのかなあ。寒川氏が「とても言葉では表せない、自分のドライブ史上最高の景色」をせめてグーグルアースで見てみようとしたんだけど、安物のジオラマみたいな映像しか見えなかったし、ドライブと言ってもどこが道なのかすらわからなかった。ついでにレンメルコーヒーのある街も見てみた。人口1万ちょっとのこじんまりした街、小学校の敷地のそばには、その3倍の面積があろうかという乗馬学校が見える。

それからぐるりと地球を回して、北極を真正面から見た。「北極の氷はあと30年のうちに溶けてしまうと言われている。北極が変わるということは、地球の環境が変わるということである。生きられなくものもあるだろうし、新たに生まれるものもあるだろう。また、氷が溶けると今まで使えなかった地下資源が使える様になる。それを巡って各国の争いが起きている。何が怖いって、やっぱり、人間が怖いんだ。」寒川氏の話は背筋を冷たいものでなぞられる様だった。

検索してみると、30年どころかあと15年もすると9月の北極の海には氷がなくなっているという予測もあり、また、氷が溶けて船が通れる様になれば「北極シルクロード」が開通し、これまでのスエズ運河周りに比べて二週間も運行日程が短縮できるのだという記事もあった。氷が消えると莫大な金になる、でもそれは望むべき未来なんだろうか。ロシアが海底4000メートルの北極地にチタンで出来た国旗を立てて、領土を主張したのが13年前なのだそうだが、わたしは当時そんなことに全く興味がなかった。今から何か間に合うことがあるんだろうか。



寒川氏のコーヒー豆が十分にお湯を吸い込んだので、ショップの表に出てハジメスイングを披露してくれた。ククサ を模したカップに注ぎ、飲む。旅鼠の作るコーヒーをわたしはいつまでも飲みたい。