まくとぅーぷ

作ったお菓子のこと、読んだ本のこと、寄り道したカフェのこと。

熊鹿 30days blog♪day 8

2020-10-16 19:30:00 | 日記

熊だけじゃなく、鹿もでした。それじゃ。
さっき30分話して切ったばかりのP先生から追伸電話。
教材が新しくなりフォントの採用が変更になったため、漢字の指導に困っているという話である。
要するに、とめはねはらいが自分の信じて教えてきたものと違うということなのだ。

確かに、教材の中で統一性がないのは良くない。なぞる練習の箇所のフォントと、確認テストのフォントが違うから、あれ?熊のヒのところは、こっちははねてるけど、こっちはとめてる。どっち?って、子どもが混乱するのはかわいそうだ。だけど正しいのってどれなんだろう?

漢字は漢の国の文字で、長い長い歴史のなかで、様々な人が様々な書体を使っている。
それを「よその国の文科省大臣ふぜいが、この字が正しくてこの字は間違いなんてことは決められない」のだそうだ。
だけどさすがにそれじゃ教える先生も大変だし、子どもも大変なので、教科書体が制定された。
ここの、「本当はどうやって書いてもいいんだけど、それだとみんなが大変だから、みんなが便利になるようにガイドラインを決めた」っていう部分が世の中に伝わってないんだって。わたしもこのたび色々調べて、へーそうなんだー、と思ったもの。
なので、「ここはとめなきゃダメ、ここははねてないからバツ」という指導になってしまい、習う方はげんなりしちゃって、漢字なんかキライになってしまう。
先生もそこに目くじら立ててるとしんどい。労力の振り分け方が違うんだけど、伝えられてないんじゃ仕方ないよね。

こないだ苗字が変わったばかりの娘は銀行の窓口で「瀧山様の瀧は、右下の横線が3本ですか、2本ですか。」と確認されて、「2本なんて漢字が存在するのか」と驚いたんだけど、一緒に提出してた旦那ちゃんの手書きの文字が2本だったので慌てて確認した。そしたら旦那ちゃんはたんに急いでちゃちゃっと書いちゃっただけで、3本が正しい、ということだった。とめはねはらいどころか、画数多くてぎゅうぎゅうだし、もう2本でも3本でもどっちもあり、っていうこの寛容さ。

今の時代、文字を手書きするチャンスも少なくなって、とめはねはらいに拘りすぎて子どもに教えるのもどうなんだろうと思う。もちろん、内申に影響するような試験で、担当の国語の先生がそこに物凄い執着してて、とかいうケースもあり得るから、どうでもいいよとは言えないけれど。それと例えば「私の名前の坂本の本の下ははねます。そのほうが字のバランスとして美しいからです。」っていうような人がいたとしたら、そうかこの人にとってはこれは大事なことなんだな、じゃあわたしも気を遣いましょうっていう思いやりはいいと思う。
全宇宙すべからく、これしか正解はありません、これ以外は間違いです、って存在は稀有だ。そう思うだけで世の中から衝突が減るんじゃないかな。子どもたちにもそう言ってやりたいけど、それだと受験なんか困るよね。いや、勉強は受験のためのものじゃないんだけどね。なんか、そうなっちゃってるよなぁ。

ところで、どうしてクマは熊なのかというと、能というのはよく燃える粘り強い獣のあぶら肉のことで、その下に烈火をつけて、まさに燃え上がる様子を表したという説があるそう。熊は火の精だとする地域もあるんだって。食べる目線の成り立ちだとは思ってなかった。熊肉いちどいただいたことがあるけど、鶏肉の繊維を綿だとすると、あいつのは海底ケーブルくらいで、顎がもうごめんなさいって言ってたもんだよ。

タイトルに鹿って書いたけど、ほぼ登場しなかったな。次回ね。(え?)