ガガガ、と早朝の台所にミルの音が鳴り響く。
珈琲豆は磨り潰すと摩擦熱の影響を受けるから裁断するのがいいんだって。
良く飲むのは隣町にある焙煎の店で買ってくるエチオピア。
ナチュラル製法といって、赤いコーヒーベリーの実がついたまんま処理したもの。
五月蝿いってこともないんだけど、せっかくなら美味しい珈琲がいいから、色々と拘って毎朝淹れている。旦那様が。
この夏は更にククサ も手に入れた。
ククサ は北欧の野点珈琲で使われる、白樺のコブをくり抜いて作ったカップで、贈られると幸せになると言われている。
毎日少しずつ珈琲の色が移って、そのうち真っ黒になるのを楽しみにしている。
木製の器は乾燥すると割れてしまうので、時折、くるみをガーゼに包んで叩き、染み出した油を塗っている。旦那様がね。
そんなふうに美味しい珈琲を飲むことにものすごくエネルギーを費やす父の淹れるものを、中学生くらいから毎朝飲んでいたムスメがついこの間家を出た。
わたしは料理が苦手だから、「お母さんのご飯」よりも断然「お父さんの珈琲」が恋しいらしい。
家を出て1週間くらいして、引越しで運び損ねたものや遅れて届いた郵便物などを取りに仕事帰りに寄ると言うので、顔を見たいだろうと思って旦那様に知らせたが
「荷物取りに来るくらいじゃあ、仕事早く切り上げたりはしないよ。」とにべもない。
仕方ないのでわたしが淹れる。ムスメは2つあるお気に入りのカップのうち1こを置いて行ったので、それに注いでやった。
ムスメのお土産のベーグルをかじりながら、新生活の話を聞く。
「入籍したよってLINEしたのに、お父さん既読無視なんだよ。どう思う?」とプンスカしてる。
別にそんなのいつものことじゃん。「でも内容にもよると思うんだよね。」
ちゃんとFacebookとかでは話題にしてるよ。「ムスメをコンテンツ消費するのはやめてよね。」
うっかり笑ってしまった。なんと言うか、似てるなあ、君たちは。
思えばわたしがムスメと同じくらいの頃、旦那様とよく行ったのも珈琲屋だった。
渋谷にある羽當(はとう)と言う店で、オールドビーンズのエッジの効いたのを良く飲んでいた。
お店のスタッフに顔を覚えられるのが特技な旦那様、待ち合わせでわたしが遅れていくと
スタッフが目配せして「あなたの彼はあそこにいるよ」と教えてくれてちょっと怖かった。
そう考えると、旦那様と珈琲がセットになってかれこれ30年になるんだな。
ちなみに、羽當は今もなお繁盛店で、カウンターで珈琲淹れてるスタッフも同じ人なのがすごい。
お菓子教室のイベントがあると必ずと言っていいほど、旦那様が珈琲を出してくれるので
「坂本珈琲はいつオープンするの?」と時々聞かれる。
坂本さんが珈琲淹れて、ちかさんがケーキ焼けば完璧じゃない、って。
だけど、好きだからってくらいで仕事になる程、珈琲屋は甘くないのはわかってるので、なんとなく曖昧に笑って濁している。
わたしにとっては毎朝この珈琲が飲めることが十分な幸せで、ムスメにとっては痛い機会損失ね。
わたしがごはんを作るときに、「あ、1人分少ないんだ」と毎回思うように、旦那様も毎朝「あ、2人分でいいんだ」って密かに思っているんだろうか。
それがいつか何とも思わなくなるんだろうか。
どっちも寂しい気がする。