「こんにちわッ、テディちゃでス!
がちがちがちッ!」
「がるる!ぐるがるる~!」(←訳:虎です!寒さ底なし~!)
こんにちは、ネーさです。
雪やら雨やらで、明日の東京の道路事情が心配ですね。
怪我人さんが出ないように願いながら、
さあ、読書タイムですよ。
本日は、こちらの御本を、どうぞ~♪
―― 孝明天皇 毒殺説の真相に迫る ――
著者は中村彰彦(なかむら・あきひこ)さん、
2023年8月に発行されました。
日本史、とりわけ幕末~明治の出来事に興味をお持ちの方々は
よくご存知の《歴史の謎》と申せましょうか。
「あううゥ! どくさつゥ??」
「ぐるがる……!」(←訳:暗殺事件……!)
孝明(こうめい)天皇は、
天保二年(1831年)に誕生、
慶応二年(1867年)、
在位21年にして、満35歳の若さで崩御……
つまり、“江戸期最後の帝“こそ、孝明天皇。
そして、
孝明天皇にまつわる或る噂が
昔から囁かれているんです。
帝が身罷られたのは、
何者かに毒を盛られたためではないか、と。
「びょうきィ、じゃなくてェ?」
「がっる!」(←訳:毒って!)
開国だ、いや攘夷だ、と騒がしい世情の、
慶応二年の12月。
孝明天皇は病床にありました。
病の名は、天然痘。
重病、ではありますが、
幕末当時、天然痘(痘疱)に関する研究は
けっこう進んでいたようです。
天然痘に罹患しても、
回復する者は少なくなかった、というのに。
順調に快癒へ向かっていた孝明天皇の容態は、
医師たちが『天皇御回復』を
明日にも発表しようとしていた12月24日の夜、
容態が急変して、
翌日には危篤状態に。
「えッ? なぜェ??」
「ぐるる!」(←訳:そんな!)
こうした経緯があったために、
崩御の直後から怪しむ声があがっていたのでした。
病が治ろうとするところで
体力が低下していた孝明天皇に、
何者かが毒を盛ったのではないか。
それへ、
毒殺なんてナンセンス!有り得ない!
と反論する声ももちろんあって。
いったい、どちらが真実なのか……?
「むむむゥ~んッ?」
「がる~るぅ?」
著者・中村さんは、現代に伝えられる資料をもとに
真相を探り出そうと試みます。
もしも毒を盛られたというのなら、
誰がやったのか?までも。
トンデモ論か?と思える《天皇毒殺説》ですが、
NHKの歴史番組で取り上げられたりもしていて、
完全な空論ではないらしい?
また、本文の後半部分は、
新選組のルーツ(多摩エリアが登場します!)など、
近代の日本史も論じられていますよ。
歴史好きな活字マニアさんは、
ぜひ、手に取ってみてくださいね~♪