既存政党だけの政界再編は無意味 「地方vs中央」と云う対立軸が先鋭化する
(世相を斬る あいば達也)より
菅直人が狂騒的強気に転じたのは、昨年の臨時国会終了後だ。
APEC時に唐突に言いだした米国輸出産業の再生枠組であるTPP(環太平洋パートナーシップ協定)は農産物の関税撤廃ばかりがクローズアップしているが、協定の中身によっては、工業製品、農業品、金融サービスなどの関税を全面撤廃するもので、国内の各種産業の保護の観点から、内容の充分な国益を吟味するべき協定であり、脆弱基盤の菅政権などが提案する安直な協定ではない。
過去においては、「USTR(米通商代表部)」の日米貿易摩擦への日本バッシングが懐かしいが、その後は「年次改革要望書」と云う形に変容したが、今度はTPPが引き継ぐ事になるのだろう。
このような関税撤廃協定と云うが、構成員の顔ぶれをみても判る通り、日米貿易同盟の趣旨が強い。
おそらく、米国の本命は金融サービス業における日本側の障壁撤廃なのだろう。
郵政改革関連法案を潰そうと云う意図は確実だ。
また、保険証券関連、建設土木関係への、米国企業の参入障壁をなくさせようとするのが狙いなのは、少し考えれば判る事だ。また、食料の安全保障の面でも、日本の独立性が担保されない可能性が高い。
菅直人にハイな気分で「平成の開国」等と総理の椅子死守目的に、国益を弄ばれては、国家百年の大罪を犯す可能性さえある。
外国資本の投資規制、土地購入、水資源、単純外国人労働者の受け入れと、協定の内容は交易と云う分野にとどまるものではなくなる。
「平成の開国」と云う言葉には、隷米を遥かに超えた「平成の売国」が含まれている事を充分国民が認識し、判断するだけの議論が必要だろう。
少なくとも、明日にも政権の座から追い落とされそうな菅直人が扱う課題ではない。
憲法改正並の、メガトン級協定だ。最近の亀井静香の顔が怒りと緊張感に満ちたものになっているのは、このTPPの狙いが判っているからだ。
「消費税を含む社会保障と税の一体改革」を6月までに政府案をまとめると不退転の決意を表明しているが、案を作るだけだから出来るだろう。
(勿論、6月まで菅政権が延命していることはないだろう)
この「消費税を含む社会保障と税の一体改革」をまとめる象徴的大臣が、自民党の議席泥棒と非難される与謝野馨であることは、誰もが知っている。
そして、それを官房副長官としてバックアップするのが、鳩山政権を迷走させた影の功労者藤井裕久(旧自由党組織対策費31億円ネコババ疑惑)だ。
この二人は財務省の完璧な擁護者、悪くいえば財務省の飼い犬だ。
つまり、この二人が財務省の飼い犬で、飼い主の財務省が米国の飼い犬なのだから、米国愛犬ポチ同好会が「消費税を含む社会保障と税の一体改革」をしようとしていると云う事だ。
言い変えるとすると、「飼い犬が飼っている生き物、蚤とか虱」がこの二人と云う事だ。
菅直人は、国民に巣食い、その生血を吸う「蚤虱老人コンビ」に政権浮揚を託したと云う事だ。
先程、菅首相は「三顧の礼を持って」この「蚤虱老人コンビ」を迎え入れたそうである。(笑)
大方の指摘を総合すると、社会保障の規模縮小と個人への大増税が背骨となる改革案となるであろう。
筆者は、この改革にも国民の資産1,500兆円の収奪と云う思惑が深く関与している、と思う。
その目的が自国の財政規律の改善と云う趣旨であれば議論の余地もあるが、財政健全化と云う美名のもと、国民の富の収奪と米国への貢ぎがリンクしている構造では、目的がみえみえである。
昨日のコラムで言及したのだが、左翼の変節の振幅が大きいにしても、どうも菅直人の考えには不自然さが付き纏う。
誰かに脅かされているとか、ミッションを守らされているとか推察せざるを得ない。
噂だと、朝日新聞の星浩が「与謝野を閣僚に引き込めば、徹底的に菅政権擁護の論調を張る」と言い切ったそうである。
結局日和見政治家の菅直人が世論政治に邁進している姿が、今まさに国会代表質問への答弁中の菅直人に見て取れる。
「消費税を含む社会保障と税の一体改革」は、国民に厳しい政策を強いるようにみえる訳だが、その政策実現に向けて、朝日が「世論を作るから任せなさい」と太鼓判を押すのだから、米国からの圧力(傀儡なら擁護)と大朝日新聞の形振り構わぬサポート体制が約束されれば、中身ゼロの菅直人には選択の余地すら残されていないのだろう。
自民党以上に米国傀儡に走りだした菅直人民主党の先々は残念ながら暗澹としている。
自民党に戻る可能性もない、みんなの党が政権を握ると云う夢の賞味期限も切れかけている。
ここ一連のコラムで書いてきたように、愛知知事選・名古屋市長選を皮切りに始まる「地方からの主張」「具体的な地方主権の姿」。
この流れは、日本の国政に多大な影響を及ぼすに違いない。
新潟県と新潟市が「新潟州構想」を発表したが、近畿圏、中京圏、上越圏など益々拡がりを見せるだろう。
小沢一郎が目指す政党政治(原則二大政党)とは遠ざかる政治的ウネリが起きている部分もあるが、必ずしも悲観するものではないだろう。
筆者は、現在ある既存政党の「ガラガラポン」だけで、我が国の二大政党が出現する状況ではない、と考えている。
一昨日の拙コラム「愛知県知事・名古屋市長選 菅政権崩壊どころか既存政党の崩壊も」で述べたように
『此処に来て日本と云う国家を取巻く環境はあらゆる面で「明確な対立軸」を見せはじめている。
政治家vs官僚、中央vs地方、年金生活者vs勤労納税者、米国vs中国、既得権益vs新たな権益、既存システムvs新たなシステム等々、明確な対立軸が現出している。おそらく、このような対立軸を「ことなかれ主義」では見逃せない時代に日本は突入したのだと思う。
ネットのツールが発達したからだけでは説明できない、市井の言論対立もその証明の一つだろう。
反小沢vs親小沢と云う対立軸も、まさに上述のあらゆる対立軸の一つの現象と捉えることが可能だ。』
以上のように、対立軸の明確化は混乱を招くだろうが、呉越同舟要素を抱えながらも、一定の方向性を見出すだろう。
此処にこそ、政治家の力量が発揮されるのではないかと思量する。
おそらく、現民主党と云う枠組みで民主党を国民政党として09年マニュフェストの政党に戻すのは、常識的に無理。
挙党一致も実質的には無理。どう考えても、菅直人・仙谷由人vs小沢一郎・鳩山由紀夫が一致結束など、もう妄言でしかない。
欺瞞的言質は意味がない。
筆者は「地方の主張」に力感を感じているので、既存政党だけの政界再編で、事が治まるとは思っていない。
今まで見たことのない政党事情が生まれてくる感じがしている。
そう云う意味では、民主党が割れるのか、どちらかが出て行くのか、そんなことはどうでも良い状況になっている、と判断している。
親小沢派が出て行くとか、菅一派を追い出せとか、そういうレベルでの論争ではないと思っている。
原口一博が「週刊朝日」でチョロっと語ったが、地方主権が大きな対立軸になっている。
菅直人が≪「平成の開国」=「平成の売国」≫と宣言するのなら、筆者は「平成の文明開化」こそが、今の日本に必要なのだと思う。
明治における文明開化の対象が幕府であったのなら、平成の文明開化の対象は米国だ。
これを持って昨日のコラム「米国は自民党を嫌った そして民主党の鳩山・小沢も嫌った だから菅直人になっただけ」の後編とさせていただく。