中国単身赴任生活 東京浦島太郎編

10数年住んだ中国を離れて東京のサラリーマン。浦島太郎です。
今は、自転車、写真、ジュリエッタなどのブログです。

変化

2012-09-02 | 生活


一体ここへ何回来たことでしょう。

30年近くの時間が流れて、街も人も変わりました。

かつてはここに来て、青空と天安門は美しいと思いましたが、今日は悲しい気持ちでした。

ホテルからしばらく歩いて拾ったタクシーの運転手は、日本は釣魚島を早く返せと言い始め、アメリカなんか落ち目の国だから日本はもっと中国を重視するべきだと力説します。

アメリカも欧州も日本も経済はダメで中国だけが世界を支えているという自信はありがたいのですが、だからといって何でも自分の考えだけが正しいというのは、やめて欲しいですね。

でも、彼らも日本政府と幹部は嫌いだが、面と向かっている我々個人が悪いとは思っていないと言います。

無論集団になってしまえば何が起きるか判りませんが、個人では文句を言ってもそこそこの大人なら最低の分別があります。

それでも昨日今日は、警戒をしていたのだと思います。

天安門広場の周りでは、WIFIは不通、携帯電話もメールもつながりにくくなっていました。

ブログなどの書き込みは必死で消して回っているといろいろな人が言っていました。

隣人ですから丹羽大使が言うように、いろいろな事が起きると思います。

無茶苦茶な事を言うのは良いですが、冷静にしていて欲しいものです。

都市開発って本当にすごいことなんですね。

2012-09-02 | 一般


また今週も中国にいます。

東北地方の町に行っていましたが、空港から町に入るところの川に、昔の橋がほんの少し残されています。

この町に初めて行ったのは確か1995年ですから、もう17年前ということですね。

空港から農村地帯を走って、この川越えてしばらく行くと町の中心街でした。

10年ちょっと前には、この川越えたところに外資系のホテルができて、こんな町外れにホテル作ってどうするんだろうと思いました。

当時は、ホテルだけがぽつんとあって、周りにはほとんど何もありませんでした。

今は、空港からちょっと走れば高層住宅を建設中です。

路面電車も新しい線路を着々と伸ばしています。

川の周りには既に高層住宅が並んで、ゴルフ場までできていました。

町の中心街へ向かう道は、両側の古い建物を取り壊して、片側4.5車線の広い道に変わりました。

駅の周りも新幹線にあわせて、地下街を再整備したり地下駐車場をつくったりと大工事が進んでいます。


郊外のトウモロコシ畑が広がっていたところに工場が建ち、まわりに従業員用の住宅が並んで初めて行った頃ののどかな町の風景ではなくなっていました。


残された橋の一部分は、歴史の一部となってこのまま残るのかもしれません。

代わりにかけられた橋は、片側5車線の大きな橋です。

ものすごいお金がこういった都市開発に投入されて、町が変わってゆくのですね。


ヘルメットかぶってジャージ着て何人かで走っている自転車乗りを多く見かけました。

ロードとMTBが混じって楽しそうでした。

でも中国東北地方って、果てしなく平らな所が多いので、変化が少ないかもしれないですね。


さて、昨日から降り続いていた雨も上がったようですので、懐かしい北京の町を散歩しに出かけてきます。