ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

福寿草の花がやっと開きました。

2020-02-13 15:28:45 | 草花
山へ行って、大自然の中で見る花は、如何にもその場にこそふさわしい風情で咲いていて、心癒されますが、家で自分が愛培する花も、植え替え、施肥、水遣り・・・と経過をみてきているだけに愛着も湧き、可憐さも一入に感じます。

福寿草は小生にとっては特別な花で、庭に地植えしてありますが、一年を通して常に様子を見て来ていて、思い入れの深い花となっています。
例年ですと、一月の末か二月の初めには一番花が咲いてきていましたが、今年はそれが大いに遅れていてヤキモキしていました。
その原因はおそらく土つくりの失敗だと思いますが、株に元気のない時に移植するのも躊躇われて、昨年と同じ状態を保ったままで居ました。
12日の姿 ↓

昨(12)日は、日照時間があまり芳しくないうちに日が当たらなくなってしまい、この開き方が限度でした。

この花は日を受けて開き、日が翳ると蕾んでしまうという性質があります。
そして、夜の早いうちから昨晩は雨に降られましたね。


そして13日朝のお昼近く ↓

昨夜の雨は今(13日)朝の5時頃まで降っていて、その後、止みましたが、日照がないまま時が過ぎましたが、お昼近くに日が当たって来ています。
早速花を見に行くと、昨日の姿よりも少しだけ開いています。


2時間くらい経った今(13)日の午後 ↓

やっと立派に開いてくれました。これを以て我が家の福寿草の開花とします。


ズーム ↓

昨年の最後の花を見送ってから、この姿をずっと待っていました。
そこで駄句:
      ♪去年から待ち侘びた金の杯♪  季語見当たらず。

付録です。
オンシジウム ↓


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2/11日 電車で行く三ツ瀬明神山 好天の日を狙っていました。 上の段:乳岩(ちいわ)口から山に入って行く。

2020-02-12 16:51:01 | 草花
昨日(11日)は願っても無いような好天に恵まれた一日でしたが、そんな日に運よく山を歩いて来られました。
いつもですと、天気は良くても、こちらの気持ちが盛り上がらなかったり、お小遣いがなかったり、体調が思わしくなかったりして、なかなかタイミングがかみ合いませんでしたが、この日はお天気と、小生の都合の波長が上手く噛み合いました。
(こういうのを今風に表現すると「神合った」というのかもです。)
山体図(カシバードで描画) ↓




位置図 ↓



歩行図 ↓

南から北上して、復路はその道を南下して戻りました。


断面図 ↓

左から右に向かって移動しています。
同じ道のピストンですから左右対称形になります。


乗った電車 ↓

朝の一番電車で豊橋乗り乗り換えで、登山口最寄りの三河川合駅に着いたのは午前8時29分のことでした。
電車は本長篠を過ぎてからガラ空きとなり、車掌さんと沿線の山岳景観談義をしたりできました。



アプローチ ↓

始めは線路沿いに歩いて行きます。



梅 ↓

道路沿いに梅の木もちらほらと見ます。このあたりは梅の産地でもあります。



乳岩(ちいわ)川を渡る ↓



水面に写し手の影が映りました。



地蔵尊 ↓

アポローチはなおも続きますが、段々山の中に入って行きます。道端のお地蔵様の様子は信仰心の深さをよく表しています。



駐車場 ↓

駐車場には車がたくさん入っていて、小生が一番遅くに着いたように感じてしまいました。
横浜ナンバーも見ましたが、その方たちはロッククライマーでした。



乳岩(ちいわ)峡入口 ↓

電車を降りてここへ来るまで、駅から30分歩いて来たことになります。
ここで舗装道路は終わります。



桟敷岩 ↓

乳岩(ちいわ)川の右岸はこのような大きな一枚岩が300-400メートルほど続き、これを桟敷岩と言います。雨の日にはツルツル滑り危険です。これを過ぎると薄暗いような樹林下の山道となります。



ユズリハ ↓

この地方では岩山でユズリハをよく見かけます。以前若い苗を持ち帰り庭に植えたらよく育ちました。つまり平地でも暑がることなく生育するようです。



もう一度渡り返す ↓

この橋で乳岩(ちいわ)川を渡り返します。



鉄梯子 ↓

鉄梯子を登るところあたりから、勾配が増して普通の”登山道”が始まります。



乳岩(ちいわ)峡への分岐点 ↓

左に曲がると乳岩(ちいわ)峡に入って行きますが、今回はそこへは行きません。



水の無かった水場 ↓

この水場では水が流れていませんでしたが、雨が降れば回復しそうです。



一服の岩 ↓

「一服の岩」と杭に書かれた場所で、文字通り一服していきます。
今回は大荷物で、12㎏ほどを担いで来ています。若い頃でしたら問題なかったのですが、歳を食べた今では相当な負荷量となっています。
コメント (6)
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難読句碑 二つにつき お知恵を拝借いたします。

2020-02-09 07:06:11 | 草花
さきの記事で難読の句碑があると書きましたが、以下の二つがどうしても読めませんでした。
同じ日本人のはずですが、相手への理解が進まぬことがもどかしい限りです。

写真が上手く撮れていなくて、申し訳ないのですが、何とか推測していただいて、読みが判るならば是非教えてください。
コメント欄にその読みを残していただけたら幸いです。

石蹴の句 ↓

これは達筆過ぎてとても歯が立ちません。



椿の句 ↓

「椿?ゆ伽藍は昼を灯し希り」・・・・・とあるように見えます。

その後いろいろ考えてみて「椿堂ゆ伽藍は昼を灯し希り」・・・とも?思えてきました。
すなわち「椿絶ゆ伽藍は昼を灯しけり」と読むと意味が通りそうです。
「昼を灯しけり」・・・・・の意味については複雑なところがありますが・・・・・
コメント (6)
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2/7日 知立市の弘法様(遍照院)にお参り。

2020-02-08 10:00:28 | 草花
団地の高楼から下りて、家に帰らずに、知立市まで足を延ばして弘法様(遍照院)にお参りすることにしました。
このお寺さんの縁起をネット上より、下にコピペしておきます。

弘法山遍照院の縁起:(ペースト開始)
弘仁年間(810年代)に、弘法大師が関東地方に御巡錫の途中、当地へ約1ヶ月の間御逗留になり、布教に勤め衆生済度を実践され、佛道の社会的実践の場として当山を建立され、出立の際には庭前の赤芽樫(カナメモチ)の木をもってご自身の座像を三体刻まれ、当山のご本尊とされたのであります。
この三体の座像の中、一番根本で刻まれた大きな御像が別れを惜しんで、やや右を向いて振り返っておられる御姿であるということから、見返弘法大師と申し上げているのであります。
この御本尊様は、秘佛となっておりまして、お大師様の御命日である旧暦3月21日の御祥当に特別御開帳を致しまして、善の綱をもって善男善女にお手引き(お渡し)しております。
いつの頃からかこの三体の御座像を三弘法さんと称しそれぞれ奉安されたのですが、当山では、お大師様が自身で建立された因縁により、1200年の法燈を厳然として守り続け今日に至っており、毎月の御命日には、生活雑貨を始め食料品、骨董品等の露店が数百も連なり知立駅より寺院境内まで並びます。
このように、毎月旧暦21日は老若男女がお大師様を詣でます。それがお大師さまのお寺、知立の弘法山といわれる由縁であります。(ペースト終了)

上に述べられているように、(昭和40年代までは)旧暦の21日は大変な賑わいでありました。
特急電車は増発され、遠くから善男善女が参集し、ひっきりなしに道行く人はお寺さんまでの間、途切れることはないほどでした。
ところが近年は参詣される方も高齢になり、世代交代されることもなく、参詣人は減少の一途をたどっています。

境内の櫻 ↓

境内に入るや、この花が嬉しくも出迎えてくれました。


紅梅 ↓

本堂に向かって進むと、今度は紅梅も待っていてくれます。


本堂 ↓

本堂はコンクリート製で、大きな構えで善男善女を迎えてくれます。

弘法山という山号ですのでそれに因んで弘法様の像があちこちにあります。
安産子育て弘法 ↓


東に祀られたのは見返弘法大師か ↓

御本尊は秘仏だそうですから、これはそれを模して作られたものでしょうか?(小生の推測です。)


その見返弘法大師の参道の所々に俳句の石碑が建っていました。
読めたものだけを拾っていきます。

これは別の大きな大師立像の後ろにあった句碑ですが、
「月賞めて歩きそうなる大師像」 と読めました。
”誉め”ではなくて”賞め”るところがミソかもしれません。



「柚子しほる指よりにけて闇匂ふ」とあるようです。
そうなるとこれは”柚子絞る指より逃げて闇匂う”と読めそうです。




「蒔く種の一粒命となる重さ」で、見たままの句のようですが、作者は「一粒」の部分を”ひとつぶ”と読みたいのか、それとも”いちりゅう”と発するのかどちらかな?と思いました。



「遠足の疲れを芝に置いてゆく」
これは保育園か小学校の遠足でしょうね。
芝生広場で最後の休憩をして疲れを癒してから、出発地に戻って行くのでしょうが、上手い表現だと思いました。



「可多里加希登ひ加け母能墓洗う」変体仮名だらけですが、「語り掛け問いかけ母の墓洗う」と読めました。季語は”墓洗う”で初秋を指すようです。
今回、小生的には一番印象の深かった句でした。
洗うお墓が「父」でも「父母」でも「家」でもなくて、「母」とだけありましたので、作者の境遇にまで思いを馳せてしまいました。



「雪積もる嘘一つなき石の貌」・・・”貌”は”かお”と読むべきでしょうか。
この日のように寒い日に、日陰に立っているこの石碑と向き合い、寒さは身に沁みました。

ほかにも、どうしても読めない句碑がありましたが、それは別記事を作り、皆様のお知恵拝借といたしましょう。

カナメモチ(赤芽樫) ↓

お寺の縁起に出てくる、お像を彫った木と同じ種類のものです。
材質は硬くて扇の要に使われていたそうです。 赤い実がいつまでも残っていますね。


今時咲いている ↓

こんな時期に咲いているこの花は、”寒咲きアヤメ”(原産国…地中海沿岸~西アジア)でしょうか?


氷 ↓

この日の氷は結構な厚さがありました。


お寺さんを後にして家路につきます。

フクジュソウ ↓

家に着き、庭の福寿草を見ます。まだ花が開かずに勿体をつけています。



クリスマスローズ ↓

北向きですが、冷たい風を受けても健気に咲いています。
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2/7日 寒い日なら見通しも良い筈 期待して団地の高楼に行ってみました。

2020-02-07 21:26:16 | 草花
久しぶりに冬らしい、キリっと締まった朝になりました。
こういう日は遠くに見通しが利き、山の眺めはさぞかし抜群のものになっているのではないか?・・・・と思い、例のごとく高楼にやって来ました。
しかし、残念ながら期待したほどの眺めではありませんでしたが、それでも寒い朝らしい眺めが待っていてくれました。
歩行図 ↓

この日は高楼に登って山岳景観を眺めるだけではなくて、下りてから、知立市の弘法様(遍照院)へお参りにも行きました。
お参りの時の模様は、この次の日の記事にします。
木曽御嶽 ↓

高楼の14階に登り、一番初めに見るのは木曽御嶽の方角です。しかし、残念なことに木曽御嶽は雲ですっぽりと覆われていました。この画は弘法様(遍照院)からの帰りがけに、道から見た時に雲が取れていたので、もう一度団地に行き、高楼上から撮ったものです。



恵那山 ↓

先日は少し雪がついていましたが、今回は雪を視認できません。

大川入山 ↓


蛇峠山 ↓

大川入山と蛇峠山は恵那山と尾根続きの山ですので、恵那山と同じようなことになっています。



中央アルプス ↓

こちらの山域は雪がついています。


白山 ↓

白山はこの冬一番の見え方でした。名前の通りに雪をしっかりと被り、真っ白の峰が頭を出しています。



能郷白山 ↓

この山もこの冬一番の見え方でした。雪が良くついていますね。



伊吹山 ↓

今年は伊吹山も雪が随分少ないですね。



鎌ヶ岳・御在所岳 ↓

鈴鹿の山並みは霞んでしまっています。名古屋越しの空気ですので仕方ないことかも知れません。



竜ヶ岳 ↓

鈴鹿の山並みの中ではこの山が何とか形になっていました。




コメント (2)
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