ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

2/14日 付近の神明社を見ながら知立(ちりゅう)の弘法様(弘法山 遍照院)へ:上の段

2020-02-16 07:08:52 | 草花
2月14日は旧暦の知立(ちりゅう)の初弘法ということで、そこへ行って見ることにしました。
目的の一つは、今でもこの日は賑わうということでしたので、その賑わいを見ておきたかったことと、今一つは境内の石碑にある難読句(2/9日記事)のしっかりとした写真撮影をするためでした。

弘法大師(空海)は高野山で入定(にゅうじょう=衆生救済を目的として永遠の瞑想に入ること=平たく言えば死んだことですが、真言密教では僧は死なないことになっていますので、空海さんは未だに生きて瞑想しているということになっています。)した日が旧暦の21日であります。

死んではいない筈なのですが、旧暦の21日は毎月「お命日」となっています。
この2月14日は旧暦の1月21日であることから「年の初めのお命日」ですから「初弘法」となり、露店などもたくさん出ていて、ことのほかな賑わいがあるそうです。

人の集まるところには顔を出さないと収まらない、野次馬根性丸出しで、歩いて行くことにしました。(上の段ではその道筋を記述します。)

曇り空の下を万歩計つけて歩き出します。
新林の神明社 ↓

いつも歩く道とは違う道を歩いて行くと、子供の遊び場ほどの土地に神社が祀られていました。
建物はごく小さなものですが、こじんまりと、小ぎれいにされています。
神様に拝礼してから由緒書きを読みます。

由緒書き ↓

小さくてもれっきとした神様ですね。


傾いた松 ↓

この松にも下の説明のような、「人生の荒波」が宿っていました。

伊勢湾台風に苛められ ↓

あれからもう既に60年が経ってしまったのですね。小生が高校一年生の頃でした。



山神様 ↓

狭い小さな境内ですが、山神様も祀られています。
wikiに興味深い記述があったので部分的に引用しておきます。
(部分引用開始):
農民の間では、春になると山の神が、山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻るという信仰がある。すなわち、1つの神に山の神と田の神という2つの霊格を見ていることになる。農民に限らず日本では死者は山中の常世に行って祖霊となり子孫を見守るという信仰があり、農民にとっての山の神の実体は祖霊であるという説が有力である。正月にやってくる年神も山の神と同一視される。ほかに、山は農耕に欠かせない水の源であるということや、豊饒をもたらす神が遠くからやってくるという来訪神(客神・まれびとがみ)の信仰との関連もある。
なお、山の神は一般に女神であるとされており、そこから自分の妻のことを謙遜して「山の神」という表現が生まれた。(部分引用終了)
我が家にも約一名、山の神様が天下を取り仕切っています。


ゴリラ ↓



建物にゴリラが取付いていますので、廻り込んで、下から顔を見ました。


河川改修 ↓

水量の少ない今、やや大掛かりに河川改修が行われていました。

川を渡ると弘法山の遍照院が間近に迫ります。

駐車場 ↓

弘法様の縁日には周辺の所々に特設の駐車場が出来ますが、この時間帯はすでに満車になっています。


交通規制 ↓

月命日には午前8時から午後4時まで、この道(弘法通り)が交通規制されます。
コメント (4)
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