ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

1/11日 知立方面ウォーキング 知立神社と弘法山 遍照院(弘法様)にお参り

2019-01-12 10:17:05 | 草花
昨日は、天気が良いので、午後からウォーキングで知立方面を歩いて来ました。
歩き始めは団地の高楼で遠くの山並みを眺めることから始まりましたが、最遠点として目指すのは知立神社であり、そこからの帰途に弘法山 遍照院(弘法様)にも立ち寄ることにしました。

歩行実行図 ↓

最南端から時計回りで歩いています。歩行数は2万歩に少し足りませんでした。
歩行距離は14km弱でした。



団地の14階建て ↓

内部にエレベーターはもちろん設置されていますが、山に親しむ人間のサガとして、毎度のことですが外部階段を必ず歩いて登ることになります。



外部階段 ↓

奥の丸い突起が外部階段のある場所で、地上から数えて212段目が14階のフロアーになります。



木曽御嶽 ↓

時刻が午後1時43分と遅いので、山並みは霞の中に見えています。



中央アルプス ↓

これが朝の7時半頃なら最高の見え方をしていたかもしれません。



恵那山 ↓

ここのところいつも、恵那山はこんな見え方ですね。



伊吹山 ↓

伊吹山も薄っすらとしか見えていません。

今回は歩いて目指す場所が、もっと遠くにありますので、山岳景観の楽しみは切り上げて、高楼から下りて行きます。


高架の下 ↓

大きな円筒状の橋げたが何本も連なっています。上の道路は国道23号です。



新幹線 ↓

すぐそばに新幹線の軌道があり、待っていると上りの電車が疾走してきました。



知立古城跡 ↓

平安時代から戦国時代にかけて、神職で豪族の永見氏の居館が始まりとされ、戦国時代にはこの城を巡り、今川義元、織田信長、徳川家康の名前が錯綜します。
1699年の地震で建物は倒壊して、現在は跡地があるだけです。
石碑には「明治天皇駐蹕地」とありますが(「駐蹕」=ちゅうひつとは、天子が行幸の途中で、一時乗り物を停めること。)その詳細は不明です。



知立神社 ↓

知立神社に着いたのは、午後3時20分のことで、そぞろ夕日が気になる時間帯となっていました。
この神社の旧称は「池鯉鮒大明神」。江戸時代には「東海道三社」の1つに数えられた・・・とあります。
社伝では、第12代景行天皇の時に東国平定に赴いた日本武尊が当地で戦勝を祈願し、平定後の帰途に感謝して建国祖神4柱を祀ったのが創建といわれます。


多宝塔(国の重文) ↓

wikiより引用 ↓
室町時代後期の永正6年(1509年)の再建とされる。三間四方の2層の塔で、塔高は約14.5メートル、屋根は柿葺、四隅には宝珠を置く。社伝では嘉祥3年(850年)に円仁が神宮寺を建立した際に2層の塔を建立したというが、現在の遺構はその後の再建になる。明治元年(1868年)の廃仏毀釈の際には、本尊(愛染明王)・仏壇を塔内から除いて文庫に改めたため、難を逃れている。その後、大正9年(1920年)の解体修理で復元された。なお、塔内にあった本尊は現在総持寺にある。この多宝塔は、神宮寺の遺構を伝える全国でも珍しい例とされ、国の重要文化財に指定されている。



お焚き上げ ↓

絵馬やお札、正月飾り、お守りなどを焼くようです。この時も火がついていました。



拝殿 ↓

ここでお詣りをします。



阿形 ↓


吽形 ↓

拝殿前には狛犬が鎮座しています。吽形の方は一本角なんですね。



扁額 ↓

鎌倉時代のもので、薬研彫り(刻んだ谷間がV字型になり、立体感が良く表される彫り方)にて「正一位智鯉鮒大明神」とあります。「池」鯉鮒ではなくて、「智」鯉鮒とあるのが、(重要な社名なのにもかかわらず)表記が揺れていて不思議ですね。 愛知県指定文化財になっています。



芭蕉の句碑 ↓

神社の西側には芭蕉の句碑があります。
「不断堂川 池鯉鮒の宿農 木綿市」(ふだんたつ ちりゅうのしゅくの もめんいち)と読むそうですが、意味がよく分かりませんし、秀句のようにも思えませんでした。ただし、往時の池鯉鮒宿の風物や雰囲気は出ているのかもしれません。



二宮尊徳像 ↓

小さな尊徳像を木陰で見ました。

これにて知立神社を後にします。


弘法様 ↓

今度はお寺詣りになります。三河及び近在の人からは知立の「弘法様」と言われて、かつて毎月の縁日には特急電車も出るほどの賑わいであったこのお寺は、正式名称を「弘法山 遍照院」といいますが、今でも誰もが”弘法様”と呼んでいます。



念ずれば花ひらく ↓

境内に坂村真民の筆跡で「念ずれば花ひらく」の石碑があります。



本堂 ↓

本堂に向かって歩を進めます。



祭壇 ↓

お参りします 合掌。



四季桜 ↓

境内には四季桜がチラホラと咲いていました。

これにてすべての訪問が終わり、家路につきます。
日が落ちて、薄暗くなった17時02分に帰宅しました。
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1/10日 闇苅(くらがり)渓谷の入口まで自転車行 往復するだけで精一杯

2019-01-11 08:37:57 | 草花
昨日は朝遅い時間出発で、片道40kmほど先の闇苅(くらがり)渓谷の入口までを往復してきました。
出来ることなら、そこから本宮山を歩いて往復したかったのですが、それだけの余力はとても持ち合わせていなくて、単純に自転車で往復して来ただけの結果に終わりました。

往きに安城市、岡崎市を走り、そこからカントリーロードを走行して、登り勾配に苦しみながら目的地について、そこで遅い昼食をとり、帰りはそのカントリーロードを経由して国道一号を走り、戻ってきました。

最後の部分では前照灯を点し、バックライトは赤色灯を点滅させて走り、総距離84kmになっていました。
途中で、向かい風の洗礼を受け、足が攣ったりして、なかなかハードなサイクリングでありました。

位置図 ↓


走行図 ↓


断面図 ↓

これだけの登りがあったのですから、筋肉負荷があっても当然でしたね。



渡橋 ↓

岡崎市に入ったところで、矢作川に架かる渡橋を通ります。前方に桑谷(くわがい)山と遠望峰(とぼね)山が横たわります。



猿投山 ↓

橋の上から遠くの山の眺めがかなり得られます。それを左から順番に並べます。まずは猿投(さなげ)山。



木曽御嶽 ↓

木曽御嶽も幽かに見えています。



恵那山 ↓

恵那山は手前のビルに視界を妨げられていました。



本宮山 ↓

これから向かう闇苅(くらがり)渓谷はあの本宮山の岳麓にあります。



矢作(やはぎ)川 ↓

川の水面の真上に来ました。



砂地に氷 ↓

流れのほとりの砂を見ると、そこには氷が着いています。この日は随分寒い一日でした。

橋を通り抜けていきます。


ヤドリギ ↓

岡崎市内を走り抜けて、いよいよカントリーロードに入り、登り勾配の道を進みます。この先は20kmほどあります。 途中でヤドリギを見ます。



藪の中に違和感 ↓

道端に藪が出て、その真ん中に獣道のようなものがついています。自転車を下りて、その道に入って見ました。背後に金網フェンスが見えて来ました。



わなを仕掛けてあるらしい。

すると、大木にこんなものが貼ってありました。どうやら野生動物によって付近の作物を食い荒らされているようですね。仕掛けを見つけることはできませんでした。土中に跳ね上げ式のものが埋めてあるのでしょうか。
これについてこりんさんからコメント欄に貴重な情報を頂きましたので、それをそのまま下へコピペ致します。
(以下コピペ部分です。)
”罠は、くくり罠と言います。獣の足が隠れている場所を踏めば、輪っぱ状のワイヤーが足をくくり付けるようになっています。”



目的地到着 ↓

長く続いた登り勾配を息も絶え絶えに登り、目的地までたどり着きました。
ここまで実走行で38kmの道を3時間かかってしまいました。

元気が残っていれば本宮山の山頂を目指すところですが、そんな余力はとてもありませんので、ここで引き返すことにします。
駐車場内に休憩施設がありますのでそこで遅い昼食をとり、帰りの道に臨みます。

帰り道ですが、来るときに登り勾配で苦労した分だけ、楽が出来ます。しばらくの間は自転車を漕がなくてもどんどん進んでいきます。


新東名道路の橋げた ↓

来る時にはやり過ごしてきた景色ですが、余裕があるので止まって撮って行きます。



カラスウリ ↓

来る時とは違う道に入ると、こんなものも見ます。


国道一号に入り岡崎市内を走ります。

岡崎城 ↓



城の入り口には大きな門松が飾られていました。
お城はこじんまりしたもので、夕空に浮かんでいました。



矢作川 ↓

矢作川にさしかかります。橋の上から川の様子を眺めます。
今度の橋は矢作橋で、来るときの渡橋よりも2.6kmほど上流に掛かっています。
この橋は日吉丸(=のちの木下藤吉郎・豊臣秀吉)が蜂須賀小六と出会ったことになっているあの矢作橋で、右岸の橋のたもとには日吉丸が蜂須賀小六の持つ槍の柄をつかんでいる石像が置かれています。



夕日 ↓

矢作橋の上から夕日を眺めて、あと10kmほど先の我が家まで走って行きます。
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1/9日 最近はこればかりですが・・・・ 夕間暮れの木曽御嶽

2019-01-10 09:33:31 | 草花
最近、山を歩いていませんので、これといった記事種がなくて、同じような繰り返しになりますが、日記的に更新します。
この記事では、一応、時刻が夕暮れ時ということで、その点に限れば少しは違いがあるかもしれませんが、とりあえずは元気にやっている、という近況報告程度に思って頂けるとありがたいことです。

この日も良い空でしたので、夕刻にいつも来る高楼にやって来ました。
しかしながら、空はやや霞んでいて山々がくっきりとは見えないばかりか、西の鈴鹿山脈や、それより北の伊吹山や能郷白山、白山などが全く見えませんでした。

この日は高楼に一時間近くいて、入り日まで見届けるつもりでしたが、西の空に雲がかかっていて、入り日の瞬間は見られず、夕焼けもありませんでした。

木曽御嶽と猿投山 ↓

手前の山体は猿投山で、その山の後ろ側で左の稜線上に木曽御嶽が見えます。

木曽御嶽をアップ ↓




木曽御嶽から中央アルプス恵那山 ↓

少し小さすぎますので、以下に個別にズームして行きます。

中央アルプス ↓


恵那山 ↓


大川入山 ↓


恵那山と大川入山 ↓




新東名の斜張橋 ↓

豊田アローズブリッジ【矢作川橋】で、2005年の建設当時は日本最大のコンクリート製主塔(塔高109.6m)、世界最大スパン(235m)の波形鋼板ウェブPC橋、世界初の波形鋼板ウェブ複合斜張橋(波形鋼板ウェブを用いた構造として、斜張橋形式ならびに鋼箱桁複合形式ともに世界初)、広幅員一面吊構造(上下線一体構造の主桁総幅員43.8mは国内最大規模で、その5室箱桁構造を一面吊する)など多数の特徴を有しているとされていました。
その橋が遠くで夕日に照らされて輝いていました。



本宮山 ↓




新幹線 ↓



桑谷山・遠望峰(とぼね)山 ↓

こちらは海岸に近い方角となります。



名古屋駅方面 ↓

駅前の高層建築物が見えています。


国道23号 ↓

国道23号線は豊橋と名古屋・四日市を経由して伊勢神宮内宮の宇治橋までの道ですが、蒲郡市と名古屋市の
入口まで高架が続きます。
高架上を走る車もライトを点け出しました。



西の空 ↓

この雲が邪魔をして、入り日も、夕焼け空も見えませんでした。



飛行機雲 ↓

空中の水分が微妙にあるということなんでしょうか。天気が崩れることに繋がるのかどうか。

期待していたきれいな夕焼け空は見られず、高楼から下りてきました。
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1/6日 西尾市の八ツ面(やつおもて)山までサイクリング 行きはよいよい、帰りは向かい風

2019-01-07 10:34:32 | 草花
雲に邪魔されて、ストレスの多かった部分日食を見た後、昼食後にそのうっ憤を晴らすべく、自転車で漕ぎだしました。
目指す方角は南向きですので、帰って来るときに向かい風に難儀しそうだと予感しながら、進みます。
往きは風もなくて、たまに吹いても背中に受けることになりますので、らくちんな道中でした。

西尾市までの道は昔からの街道ですが、道幅が狭くて車道走行には無理があります。自転車で歩道内を走っても良い旨の表示がしてあるのでその中を走って行きます。
実行図 ↓

八ツ面(やつおもて)山に着き、そのまま自転車を漕いで登って行きますが、やがて力尽き、押し歩きに替えて、山頂まで自転車を連れて行きます。



山頂 ↓

山頂には立派な展望台が立っています。昭和61年の3月に完成ということですから、この建物もやがて三つの時代にまたがることになりますね。



猿投山 ↓

展望台の上に立ちます。北の方角を見ると猿投山が見えていました。



木曽御嶽 ↓

展望台に上った最初のうちは雲の向こうにほんの幽かにしか見えていなかったのですが、時間が経つと見え始めました。我が家の近くの高楼から見た御嶽よりも距離は遠くなってしまいますが、見え方は断然こちらの方が勝ります。
お昼過ぎでもこういう眺めですから朝早くならさぞかし・・・・と推測されます。



恵那山 ↓

恵那山も霞んだ中で、茫洋として見えています。左側には中央アルプスの雪嶺が一部分見えています。



寧比曽岳 ↓

西三河奥地の寧比曽岳も左側に見えています。



六所山・焙烙山 ↓

岡崎・豊田の東部の山並みも視野の中にあります。



本宮山 ↓

一番身近に感じる本宮山も運転免許証を返納してからは未だ行っていません。
登山口まで片道40kmの道のりがありますので、そこまで自転車で行って、そこから山を歩いてまた自転車で40kmの道のりを戻ってくるということをするには相当覚悟をしなければならなくなりました。



遠望峰(とぼね)山 ↓

この山も割合近い距離(直線距離で約20km)にあるのですが、山頂まで車で行けてしまうところなので、山歩きの魅力に欠けるような感じがしていて、もともとあまり近づいていなかった山です。



伊良湖水道 ↓

伊勢湾の入り口にいくつかの島嶼があります。それは愛知県や三重県の島ですが、三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台になった”歌島”は神島(三重県)のことで、この画面の一番左の島です。



碧南市内の火力発電所 ↓

石炭で発電する中部電力の発電所も見えています。地球温暖化現象のもととなる二酸化炭素を大量に排出する火力発電所はこれからも頑張るのでしょうか。



竜ヶ岳 ↓

これは鈴鹿山脈北部の一山です。



藤原岳 ↓

鈴鹿の山並みは、上掲の竜ヶ岳とこの藤原岳のみが見えていました。



高賀山 ↓

濃尾平野最北で、岐阜県の山です。標高は1200mちょっとの山群ですが、それなりに存在感を見せています。



名古屋駅方面 ↓

名古屋駅方面も見えています。これも我が家の付近から見るよりも遠い距離なのですが、こちらの方が見やすく思えます。


これにて山から下り、家路につきますが、向かい風が思いのほかに強く感じられました。
自転車の出歩きは雨風の影響を強く受けて、なかなか野性味のある行動様式となりますね。
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1/6日 寒の入りの日に日食

2019-01-06 10:51:18 | 草花
今日は小寒で、寒の入りでもありました。
朝の10時頃に部分日食が見られるということで、待機していましたが、これまでずっと晴天続きであったのに、生憎、今日に限って薄い雲が空を覆っていました。

それでもあきらめずに様子を見ていると、少しは太陽の輪郭が見えていました。

時系列で3枚の画を並べますが、随分不満足な出来上がりばかりとなりました。
今日のこの日に、部分日食が見られたという証拠写真程度に位置付けておきます。

09:44分 ↓

この時が、雲のかかり方の一番多かった時、だったように思います。



09:53分 ↓




09:56分 ↓

今回の日食は雲にたたられて、とてもストレスの多い写真しか撮れませんでした。

次回の日食は今年の12月26日で、15時頃から。
その次は東京オリンピックの年で、6月21日の17時頃。
それから後は2023年の4月20日になるそうです。

上の日にちのうちのどれだけの日が、好天に恵まれた観測が出来るのでしょうか。
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