伊吹山を笹又コースを使って歩いてきました。
wikiの記述によると、伊吹山ドライブウェイは、岐阜県の関ケ原町から滋賀県米原市大久保字野田山の伊吹山頂下(標高1260メートル)に至る、全長17 kmの一般自動車道事業による有料道路です。
1965年(昭和40年)7月に全線開業し、現在に至っています。
ここで問題が出てきます。
それは、このドライブウェイ上を歩行出来ないということです。
それによって、北尾根登山道と笹又登山道はドライブウェイと出合ったところが、袋小路の最終地点となり、ここから先、山頂に向かって進むことが出来ません。
そこを歩けば道路交通法の違反になるそうです。
この地の人に聞いたところでは、昔からあった山道をつぶして置いて、「ここは自動車道だから歩きの人は通るな」というのは横着すぎるということでした。
また道を独占したことによって、たかだか17kmを走るのに3090円という、高い通行料金の設定が可能になったということですね。
今回は自宅を前夜に出発して、山麓で車中泊しました。
夜間、車での走行中に鹿を3度、5匹を目にしました。山裾に来ると今度は邯鄲の鳴き声をあたり一面で聞くことが出来ました。
起床は午前4時半、朝食をとり、歩き始めたのは5時半頃でした。
伊吹山を藤原岳から遠望したカシバード図 ↓
位置図 ↓
画面の真ん中に有ります。
実行図 ↓
赤線を時計回りで歩きました。
断面図 ↓
往きは登り一方で、帰りは下り一方の分かりやすい行程でした。
朝一番の「障害物」? ↓
ドライブウェイが歩行禁止と言うことで、行動のはじめからプレッシャーが掛かってきました。
未だ日の出前 ↓
このあたりに車を止めて、車中泊しました。道には未だ朝日が届いていません。
害獣よけのフェンス ↓
ここを開けて、閉めて山に入って行きます。
ドライブウェイ ↓
目の前遠くにドライブウェイがかなりの高さで見えています。高度差は500メートルほどのようです。
オトコエシ ↓
今回オトコエシは沢山見ましたが、オミナエシは全く見かけませんでした。
キンミズヒキ ↓
山道といっても作業用の車が入っていける簡易舗装の農道です。道脇に草花が出てきます。
ウツボグサ ↓
未だ花が残っています。花の時季の長い草ですね。
夏枯草(カコソウ=ウツボグサの別名) ↓
別名通りの枯れ姿でした。
農道 ↓
こういう道を、しばらく歩いて行きます。
テンニンソウ ↓
草の中にテンニンソウが混じってきます。
ドライブウェイ ↓
やがて朝日が差してきて、山体とドライブウェイが、明るく輝いてきます。
アケボノソウ ↓
アケボノソウは花の蕾でしょうか、それとも花が終わった姿でしょうか。復路で確認したかったのですが、違う道を取ってしまい、確認できませんでした。
フェンスのうちそと ↓
山道がフェンスを境にして分かれましたので、小生は害獣側の道を選びました。しかし、草花との新しい出会いは有りませんでした。
アテ ↓
道が合流して、一本化されてからすぐに、杉の木の凄い湾曲が出てきました。あたりが一面にそうなっていましたので、これには驚きました。針葉樹の場合は湾曲の下側が「アテ」になったと思います。
「あて」とは:
斜面に生えている樹木を見ると、地面からいきなり鉛直方向に生えていない。
根もとのところでういったん斜面に直角に近く出たのち、空に向かって鉛直に伸びている。つまり根元は弧状をえがいているのである。
この弧状の部分の切り株の断面を見ると、斜面の下側よりの半分は年輪幅が広く、上側寄りの半分は年輪幅が狭い、つまり樹芯は上側のほうに片寄って、下側が多く成長しているのである。
この下側の広い年輪の部分の細胞は、ふつうに「あて」といわれる部分であるが、ここの細胞は硬くて強い。加工しにくいうえに、狂いやすい・・・・・・
と記述されています。(昭和最後の宮大工西岡常一の共著「法隆寺を支えた木」より抜粋)
ゴマギ ↓
山道のかなり急な斜面を登りはじめています。道脇に沢山赤い実をつけた木が出てきました。
これはどうやらゴマギのようです。
無残なテンニンソウ ↓
頭を切りそろえられたようなテンニンソウの群落が有ります。近づいて見れば、花ばかりでなく、茎に付く枝葉もなくなっています。
おそらく鹿による食害でしょうね。よく見れば頭は食いちぎられたようになっていました。
wikiの記述によると、伊吹山ドライブウェイは、岐阜県の関ケ原町から滋賀県米原市大久保字野田山の伊吹山頂下(標高1260メートル)に至る、全長17 kmの一般自動車道事業による有料道路です。
1965年(昭和40年)7月に全線開業し、現在に至っています。
ここで問題が出てきます。
それは、このドライブウェイ上を歩行出来ないということです。
それによって、北尾根登山道と笹又登山道はドライブウェイと出合ったところが、袋小路の最終地点となり、ここから先、山頂に向かって進むことが出来ません。
そこを歩けば道路交通法の違反になるそうです。
この地の人に聞いたところでは、昔からあった山道をつぶして置いて、「ここは自動車道だから歩きの人は通るな」というのは横着すぎるということでした。
また道を独占したことによって、たかだか17kmを走るのに3090円という、高い通行料金の設定が可能になったということですね。
今回は自宅を前夜に出発して、山麓で車中泊しました。
夜間、車での走行中に鹿を3度、5匹を目にしました。山裾に来ると今度は邯鄲の鳴き声をあたり一面で聞くことが出来ました。
起床は午前4時半、朝食をとり、歩き始めたのは5時半頃でした。
伊吹山を藤原岳から遠望したカシバード図 ↓
位置図 ↓
画面の真ん中に有ります。
実行図 ↓
赤線を時計回りで歩きました。
断面図 ↓
往きは登り一方で、帰りは下り一方の分かりやすい行程でした。
朝一番の「障害物」? ↓
ドライブウェイが歩行禁止と言うことで、行動のはじめからプレッシャーが掛かってきました。
未だ日の出前 ↓
このあたりに車を止めて、車中泊しました。道には未だ朝日が届いていません。
害獣よけのフェンス ↓
ここを開けて、閉めて山に入って行きます。
ドライブウェイ ↓
目の前遠くにドライブウェイがかなりの高さで見えています。高度差は500メートルほどのようです。
オトコエシ ↓
今回オトコエシは沢山見ましたが、オミナエシは全く見かけませんでした。
キンミズヒキ ↓
山道といっても作業用の車が入っていける簡易舗装の農道です。道脇に草花が出てきます。
ウツボグサ ↓
未だ花が残っています。花の時季の長い草ですね。
夏枯草(カコソウ=ウツボグサの別名) ↓
別名通りの枯れ姿でした。
農道 ↓
こういう道を、しばらく歩いて行きます。
テンニンソウ ↓
草の中にテンニンソウが混じってきます。
ドライブウェイ ↓
やがて朝日が差してきて、山体とドライブウェイが、明るく輝いてきます。
アケボノソウ ↓
アケボノソウは花の蕾でしょうか、それとも花が終わった姿でしょうか。復路で確認したかったのですが、違う道を取ってしまい、確認できませんでした。
フェンスのうちそと ↓
山道がフェンスを境にして分かれましたので、小生は害獣側の道を選びました。しかし、草花との新しい出会いは有りませんでした。
アテ ↓
道が合流して、一本化されてからすぐに、杉の木の凄い湾曲が出てきました。あたりが一面にそうなっていましたので、これには驚きました。針葉樹の場合は湾曲の下側が「アテ」になったと思います。
「あて」とは:
斜面に生えている樹木を見ると、地面からいきなり鉛直方向に生えていない。
根もとのところでういったん斜面に直角に近く出たのち、空に向かって鉛直に伸びている。つまり根元は弧状をえがいているのである。
この弧状の部分の切り株の断面を見ると、斜面の下側よりの半分は年輪幅が広く、上側寄りの半分は年輪幅が狭い、つまり樹芯は上側のほうに片寄って、下側が多く成長しているのである。
この下側の広い年輪の部分の細胞は、ふつうに「あて」といわれる部分であるが、ここの細胞は硬くて強い。加工しにくいうえに、狂いやすい・・・・・・
と記述されています。(昭和最後の宮大工西岡常一の共著「法隆寺を支えた木」より抜粋)
ゴマギ ↓
山道のかなり急な斜面を登りはじめています。道脇に沢山赤い実をつけた木が出てきました。
これはどうやらゴマギのようです。
無残なテンニンソウ ↓
頭を切りそろえられたようなテンニンソウの群落が有ります。近づいて見れば、花ばかりでなく、茎に付く枝葉もなくなっています。
おそらく鹿による食害でしょうね。よく見れば頭は食いちぎられたようになっていました。
伊吹山に行かれたのですね。
卓球のお仲間が先月行かれて様ですがお花には早く何も咲いていなかったそうです。
秋のお花が勢ぞろいですね。
我が家よりやっぱり早いです。
テンニンソウの被害大きいですね。
乾燥にも弱いですが虫にも弱いです。
今年は大丈夫のようですが開花は未だです。
オトコエシも蕾状態です。
苦の曲がったのは雪の重みでしょうかそれとも風でしょうか 芸術的でした。
さて何が咲いていてのでしょう楽しみにしています。
久しぶりに伊吹山に出かけました。
たしかにかなこ様のお友達が感じたようなことを山上では感じましたし、山頂の売店のご主人からは、「また来る時は花のあるときにいらっしゃい」といわれました。
そんな花模様でしたが、無理に探していくと、そこそこの花数が集まりました。
テンニンソウを庭に植えて見えましたか。
あの種類は暑さが苦手ではないですか。
オトコエシがあるならオミナエシは植えて有りますか。
そうすれば男女一揃えになりますね。
未だ蕾でしたら、これから花の咲くのが楽しみですね。
根元の曲がった幹の状態は若木のときに地盤が緩んで崩れたのでしょうか、こんな部分は材木で使うと大狂いするそうですね。
少ない花の種類でしたが、ボツボツと記事を進めてまいります。
今年から農道に2か所もゲートが新設されていましたね。フェンスを越える鹿が増えたのでしょうが、鹿の食害にはウンザリさせられますね。アケボノソウはこれからですから蕾でしょうね。赤い実はゴマギでしたか、ガマズミだとばかり思っていました。
車で走る道にもゲートが有り、驚かされました。
見た始めはこれが行き止まりかと早合点しましたが、思い直して進んでみました。
それにしても鹿の被害は相当進んでしまいましたね。
記事中のアケボノソウも葉は殆ど毟られていますね。
三河でもアケボノソウは同じようにやられています。
テンニンソウもあきれるほど見事に完食されていましたね。
この赤い実は、多分ゴマギのほうだと思います。
しかし、遠目ですとガマズミとの区別が難しいですね。
昨日から雨になり、庭や畑には良いお湿りとなっていますが、しばらくは秋雨前線が停滞して、山には入れないようですね。
先週は私は伊吹山を皮切りに、里山そして高知のお手軽な1000mちょっとの山と、週に3度も山に入りました(^_^;ので、しばらくは大人しくしていようと思っています。
伊吹笹又コース、植生や展望などですごく参考になり、有難いです。
赤い実は、私も登山道で見かけたのですが、四国では見たことのないような赤い実を見ました。ゴマギかもしれませんね。
アケボノソウはシカに食べられていましたか。
剣山では数十株と言う見事な群生を見ましたが、底ではシカには食べられていないようでした。
テンニンソウも毒草ということで、剣山ではシカには食べられていませんが、伊吹山のシカはテンニンソウやトリカブトも食べているような気配でしたね。
アテはアスナロのことなんですね。
井上靖の作品に「あすなろ物語」というのがあって、父の書棚にその本があったので、木の名前は子供の頃から何となく馴染みがあります。
ちょうど、一昨日、高知の山に登った時に、全国の県木が植えられているところがあって、「アテ」という樹木名を見たばかりでした。
これも何かの縁ですね。
秋雨前線の影響で、すぐれないお天気が続きますね。
その所為で花の時季がどんどん過ぎていきそうで、ヤキモキしています。
keitann様は精力的に歩かれたばかりでしたから、そんな心配はしないで済みそうですね。
伊吹山のこのコースはドライブウェイを歩けないという制約がより厳しく打ち出されてきましたので、大変不自由を感じます。
自分的には何か一方的で、憤りまでも感じていますが。
笹又コースの登山開始地点はさざれ石公園でも良いのですが、もっと上まで農道(簡易舗装)を上がっていけます。
しかし、その途中に2箇所も鹿避けフェンスが設置されてしまい、いちいちそこで止まって開け閉めする手間が増えてしまいました。(仕方のないことですが)
(とどのつまりのところに駐車スペースが有ります。)
鹿による食害はどんどん広がっていました。
これから先は鹿肉を食べるより他はないと思ってしまいました。
「アテ」についてはコメントを頂いてから、ネット検索してみて、小生の知識が不足していたことに気付きました。
仰言るようなアスナロの別称が通例のようですね。
ところが小生の「アテ」は「当てにする」という言葉の語源として用いたのでした。
昭和最後の宮大工といわれた西岡常一棟梁の法隆寺修復に関する共同著作「法隆寺を支えた木」という著作の中に出てくる言葉なのです。
その92ぺー以降に「あて」という項目で記述されていて、95ページに以下のように詳述されています。
斜面に生えている樹木を見ると、地面からいきなり鉛直方向に生えていない。
根もとのところでういったん斜面に直角に近く出たのち、空に向かって鉛直に伸びている。つまり根元は弧状をえがいているのである。
この弧状の部分の切り株の断面を見ると、斜面の下側よりの半分は年輪幅が広く、上側寄りの半分は年輪幅が狭い、つまり樹芯は上側のほうに片寄って、下側が多く成長しているのである。
この下側の広い年輪の部分の細胞は、ふつうに「あて」といわれる部分であるが、ここの細胞は硬くて強い。加工しにくいうえに、狂いやすい・・・・・・と記述されています。
木からしてみれば生きていくうえで重要な働きをする部分となります。
このことを指して、「あてになる」、「あてにならない」の語源であろうと信じています。
言葉足らずを反省しています。記事内では追記して置くようにします。