今回は萩太郎山の山上でテント泊のつもりで準備をしてやってきましたが、その前段階の茶臼山山頂付近でアラレが激しく降り出し、今度はそれが湿った雪に変わり、あたりに積もり始めました。
うっかり山上で宿泊しようものなら、夜が明けた時に帰りの道が積雪或いは凍結で、自転車での通行が危険になるに違いありません。
レインウェアーを身に着けながらそう考えて、今回は今のうちに平地まで下ることにしました。
そうなると、その勢いで漕ぎ進めて、家まで着くことを願うのは当然のこととなります。
一回の自転車行としては随分長い道のりになりますが、こうなったらやるしかないと覚悟を決めました。
茶臼山の山頂に向かう ↓
道端に自転車を置いて、山頂を目指して、雪の道を歩くことにしました。足回りは普通のズックですが、防水処置を施してあります。
小さいツララ ↓
ここの気温は0℃くらいなのでしょうね。小生も花粉症プラス寒さで、水っ洟を垂らしています。
雷岩 ↓
見覚えのある岩の脇を登って行きます。
鹿の皮剥ぎ ↓
木の皮を剥いで食べるのでしょうね、まことに真新しい、痛々しい樹肌でした。
長野県側の櫓跡 ↓
ここに鋼鉄製の展望台がありましたが、錆が入って撤去されたままになっています。
櫓上からの風景絶佳であっただけに誠に残念なことで、再び建造されんことを切望します。
山頂の三角点 ↓
稜線を少し進むと二等三角点のある山頂に着きます。
展望台 ↓
階には雪が積もっていましたが、これに載って見ます。
萩太郎山 ↓
山肌の一部はスキーゲレンデになっていますが、もう地肌が露出しています。
奥三河の山並み ↓
宇連山・平山明神山・大鈴山・鹿島山・鞍掛山などが霞んで見えています。
三ツ瀬明神山 ↓
三ツ瀬明神山はもっと霞んでしまっています。
日本ヶ塚山 ↓
日本ヶ塚山には日当たりがしているようです。まことに気まぐれな空ですね。
南アルプス方面 ↓
この展望台からは南アルプス方面を見るには木々が邪魔をしますが、今回はそれに加えて雲も加わりました。
昔からある山頂表示 ↓
この木柱による山名表示は恐らく50年以上も前からのものと思います。字が判読できなくなりつつあります。
樹氷 ↓
山頂からの帰り道ですが、木の枝に雪が薄くついています。
雪の道 ↓
雪の道を下りて行きますが、ズックのソールがシンプルな刻みなのでやや滑りやすくなっています。
アラレ ↓
山頂から降りてくる途中で、アラレが激しく、(木の枝に音を立てて)降ってきましたので、堪らずポンチョをつけました。
この後、自転車に戻り、今度はテント泊予定の萩太郎山に向かいます。
途中で湿った雪の吹雪になり、今度はレインウェアーの上下を着て、その上にポンチョを羽織ります。
雪が湿っているので、ついにズックの中にも水気が入ってしまいました。
萩太郎山の山肌を見ると、スキーゲレンデは雪で白く覆われてしまいました。
ここに至り、山上で一夜を明かしてしまうと、明日の朝は積雪や路面凍結の中で、靴が不完全で、スパッツもない状態では、自転車では進行不能になりそうだと思い、急遽、この日のうちに下山することに計画変更しました。
帰りの道は自宅まで80kmくらいあるのですが、下り一方ではなくて、登り勾配もあるために相当手間取りそうですが、ともかく戻ることにして、萩太郎山から離れます。
茶臼山高原道路の途中で夕食をとり、面の木峠からは下り一方で稲武まで下ります。
稲武で荷物を梱包し直して足助まで頑張ります。
足助からは途中で二度ほど休みを入れて、日付が変わってから自宅に戻ってきました。
走行距離は偶然ですが、当初の計画通りに123kmとなりました。
荷物が重かったので、途中から腰痛が出てしまい、(それを休憩を入れて)、騙し騙し漕いできました。
うっかり山上で宿泊しようものなら、夜が明けた時に帰りの道が積雪或いは凍結で、自転車での通行が危険になるに違いありません。
レインウェアーを身に着けながらそう考えて、今回は今のうちに平地まで下ることにしました。
そうなると、その勢いで漕ぎ進めて、家まで着くことを願うのは当然のこととなります。
一回の自転車行としては随分長い道のりになりますが、こうなったらやるしかないと覚悟を決めました。
茶臼山の山頂に向かう ↓
道端に自転車を置いて、山頂を目指して、雪の道を歩くことにしました。足回りは普通のズックですが、防水処置を施してあります。
小さいツララ ↓
ここの気温は0℃くらいなのでしょうね。小生も花粉症プラス寒さで、水っ洟を垂らしています。
雷岩 ↓
見覚えのある岩の脇を登って行きます。
鹿の皮剥ぎ ↓
木の皮を剥いで食べるのでしょうね、まことに真新しい、痛々しい樹肌でした。
長野県側の櫓跡 ↓
ここに鋼鉄製の展望台がありましたが、錆が入って撤去されたままになっています。
櫓上からの風景絶佳であっただけに誠に残念なことで、再び建造されんことを切望します。
山頂の三角点 ↓
稜線を少し進むと二等三角点のある山頂に着きます。
展望台 ↓
階には雪が積もっていましたが、これに載って見ます。
萩太郎山 ↓
山肌の一部はスキーゲレンデになっていますが、もう地肌が露出しています。
奥三河の山並み ↓
宇連山・平山明神山・大鈴山・鹿島山・鞍掛山などが霞んで見えています。
三ツ瀬明神山 ↓
三ツ瀬明神山はもっと霞んでしまっています。
日本ヶ塚山 ↓
日本ヶ塚山には日当たりがしているようです。まことに気まぐれな空ですね。
南アルプス方面 ↓
この展望台からは南アルプス方面を見るには木々が邪魔をしますが、今回はそれに加えて雲も加わりました。
昔からある山頂表示 ↓
この木柱による山名表示は恐らく50年以上も前からのものと思います。字が判読できなくなりつつあります。
樹氷 ↓
山頂からの帰り道ですが、木の枝に雪が薄くついています。
雪の道 ↓
雪の道を下りて行きますが、ズックのソールがシンプルな刻みなのでやや滑りやすくなっています。
アラレ ↓
山頂から降りてくる途中で、アラレが激しく、(木の枝に音を立てて)降ってきましたので、堪らずポンチョをつけました。
この後、自転車に戻り、今度はテント泊予定の萩太郎山に向かいます。
途中で湿った雪の吹雪になり、今度はレインウェアーの上下を着て、その上にポンチョを羽織ります。
雪が湿っているので、ついにズックの中にも水気が入ってしまいました。
萩太郎山の山肌を見ると、スキーゲレンデは雪で白く覆われてしまいました。
ここに至り、山上で一夜を明かしてしまうと、明日の朝は積雪や路面凍結の中で、靴が不完全で、スパッツもない状態では、自転車では進行不能になりそうだと思い、急遽、この日のうちに下山することに計画変更しました。
帰りの道は自宅まで80kmくらいあるのですが、下り一方ではなくて、登り勾配もあるために相当手間取りそうですが、ともかく戻ることにして、萩太郎山から離れます。
茶臼山高原道路の途中で夕食をとり、面の木峠からは下り一方で稲武まで下ります。
稲武で荷物を梱包し直して足助まで頑張ります。
足助からは途中で二度ほど休みを入れて、日付が変わってから自宅に戻ってきました。
走行距離は偶然ですが、当初の計画通りに123kmとなりました。
荷物が重かったので、途中から腰痛が出てしまい、(それを休憩を入れて)、騙し騙し漕いできました。
変化の多い空模様に悩まされました。
高原上で吹雪に見舞われた時には、身の危険も感じてしまいました。
しかし、あんなときに雪に出遭うとは不運でしたね。
もしも萩太郎山の展望個所でテン泊していたら、明け方の景色は凄かったのでしょうね。
でも、明け方の高原道路がどうなるか判らなかったので、安全策として、山下りを選んでしまいました。
残存体力はぎりぎりだったように思います。
おまけにいつもの腰痛が出てしまい、相当泣きが入りました。
今後はあまり頑張りすぎないような行程にしようと思います。
本当に大変な日になってしまいましたね!
展望もテント泊もままならず残念でした。
ただ、体力はよくぞ保ったと感心しています。
体調無理しないで下さいね。
今回は失敗ばかりが目立ちました。
「年寄りの冷や水」・・・と謗られ、冷笑されるような事ばかりを積み重ねてしまいました。
先ず持ち運ぶ荷物が多すぎましたね。
これはまだこういう行動の実験段階ですので、後に活かすことにします。
それから、四月とは言っても、山の上ではまだ冬が居座ることもありますのに、そのことを考慮していなかったので、これは命に係わることになりそうでした。
結局サイクリングと登山の融合はなかなか難しいものだと思いました。
”日帰り”についても帰着が24時を超えていましたので、無理無理の仕業でした。
次回からは、もう少し楽ちんなパターンで動こうと思います。
腰痛は身に沁みて困っている問題です。
その結果、重荷を背負っての123km行は「金字塔」ではなくて”禁じ闘”となり下がりました。
自転車や宿泊用グッズを入れると20~30kg位の荷物にはなるでしょうけれど、坂も風も関係なく突き進み123kmを登山んも含めて日帰りですからね。
完全に現役のアスリートの行動ですね。
少しの腰痛で快復も早い事でしょうね。
お大事に。
更なるチャレンジを拝見させて頂きます。
自動車から自転車での移動方法に変えて、まだ日が浅いので、お試し期間ということで、いろいろやって見ますが、今回は過重負荷だったようです。
テント泊することなしに山を下ってしまったのは、計画変更であり、残念でしたが、やむを得ないことでした。
自転車で普通に登山用の宿泊道具を持って移動するのは無理がありますね。
お金をかけて、もっとコンパクトな道具を揃え直さないと無理のような気がしました。