”その8”で100分もあるバス待ちの時間をどうするかということでしたが、闇刈(くらがり)渓谷入り口のバス発着所周辺はかつて何十回となく来ていて、その周辺の様子はトイレ施設があるくらいで、ほかには「何もない」ということが予め分かっていることでした。
そこで考えたのは、バスの進んでいく方向に歩いてしまおう、ということでした。
幸いなことに未だエネルギーは残余があるようです。
たくさん歩ければ身体の元気が証明できるし、乗車区間が短縮されればその分だけ運賃も安くなるし、「趣味と実益」を兼ねて、やってみることになった次第です。
ウワバミソウ ↓
上流でも見てきましたが、花の様子はありませんでした、ここでやっと蕾をつけたものが出て来ました。
サワハコベ ↓
少し離れたところにあったので、望遠で引き寄せて撮ります。
アケボノシュスラン ↓
この場所はかつて、小生が毎年来て、アケボノシュスランのためにほかの草をむしったりしてきたところです。
それだけ手当てをしてやると、正直なもので、群生となった状態を毎年見ることが出来ました。
もう来なくなって草むしりをしないまま10年経った今はかろうじて個体を発見できるという程度になっていました。
紅葉橋 ↓
石碑にはくらがり八景 「もみじ橋の岩舞台」とあります。添えられた句は「鶯の谷渡るらし岩舞台」とあるようです。
ところでウグイスの谷渡りにはどうやら「敵の注意を引きつけながら、抱卵、育雛している雌に危険を知らせるための行為」
らしいということで、人間界の風流とは少しばかり意味合いが違うようです。
サンショウ ↓
こちらは本山椒で、只今花の準備中のようです。
ミヤマシキミ ↓
かなり大株に育っています。
キャンプサイト ↓
平地に幾張りかテントを張って、キャンパーに提供しますが、今は静かなもので、テントが一張りだけありました。
猿飛の岩 ↓
くらがり八景の一つ「猿飛の岩」かつてそういう光景もあったのでしょうか。「風ひかる岩上に〇〇流れては」とあるようですが、
〇〇の部分が読めません。もうここまでくれば渓谷は終わりに近い場所です、
上のすぐ下流「猿飛橋」から ↓
橋の上から上流側を眺めると小規模ですが水の良い流れ落ちがあります。
”スミレ” ↓
出口 ↓
やっと山から下った終点です。ここが闇刈(くらがり)渓谷の入り口(小生は出口)となります。
ゲートを渓谷に向かって撮影 ↓
一般的にはここからくらがり渓谷に入って行きます。 さて下山終了してバス待ちタイムが100分あります。
年寄りは気が短い・・・小生もご多聞に漏れず待つのが嫌いな質でしてバスの進行方向に向かって歩いていくことにしました。
何処まで歩いて行けるか?
帰りに乗るバスか? ↓
歩き始めてすぐにバスが上がってきました。「こんなに早く?」とも思いましたが、「行き先板」に教習車とありましたので、
あわてる必要はなさそうです。 (教習車はしばらくして、来た道を下って行きました。)
か細い滝 ↓
道端の暗くなったところにか細い滝がありました。車ではほとんど気づかずに通り過ぎるところですが、歩きのおかげで、
拘ることが出来ました。「滝山城址」といって、戦国時代の城跡がこの奥にあるようです。
いくつかバス停を通り過ぎていきます。
森林組合前バス停 ↓
バス停の名前も山歩きの終わりに相応しいものです。停留所の柱に付いている時刻表によると未だバスの来る時間に間があります。
「もっと歩け」と言うことですね。
元気な水流 ↓
渓谷の水は開けた場所に来て、「男川(おとがわ)」と名前が変わったようです。水量豊富で、流れにも勢いがあります。
妙見(みょうけん)バス停 ↓
ここで歩行終了にしようと思いました。
シラユキゲシ ↓
バス停の足元にこんな花が咲いていました。これに気をよくして元気が出て、もう少し歩こうという気持ちが湧いてしまいました。
もう一つ先の停留所まで ↓
バスが来るまでにあと30分近くあったので、リュックを背負い直して歩きだします。
これが、悪かった・・・・行けども行けどもバス停が現れず、時間がどんどん経っていきます。
これには焦りましたね。最後の10分くらいは走りも入れて、必死になりました。
次のバス停は「上淡渕(かみあわぶち)」でしたが、汗だくでたどり着いて、すぐにバスがやってきました。
くらがり渓谷のバス起点から上淡渕バス停まで約8.2kmを平均時速5kmくらいで歩いてきました。
「えっ? いくら節約できたか?」・・・ですって? そういうことを聞きますか。 (小さい声で250円)・・・だそうです。
そこで考えたのは、バスの進んでいく方向に歩いてしまおう、ということでした。
幸いなことに未だエネルギーは残余があるようです。
たくさん歩ければ身体の元気が証明できるし、乗車区間が短縮されればその分だけ運賃も安くなるし、「趣味と実益」を兼ねて、やってみることになった次第です。
ウワバミソウ ↓
上流でも見てきましたが、花の様子はありませんでした、ここでやっと蕾をつけたものが出て来ました。
サワハコベ ↓
少し離れたところにあったので、望遠で引き寄せて撮ります。
アケボノシュスラン ↓
この場所はかつて、小生が毎年来て、アケボノシュスランのためにほかの草をむしったりしてきたところです。
それだけ手当てをしてやると、正直なもので、群生となった状態を毎年見ることが出来ました。
もう来なくなって草むしりをしないまま10年経った今はかろうじて個体を発見できるという程度になっていました。
紅葉橋 ↓
石碑にはくらがり八景 「もみじ橋の岩舞台」とあります。添えられた句は「鶯の谷渡るらし岩舞台」とあるようです。
ところでウグイスの谷渡りにはどうやら「敵の注意を引きつけながら、抱卵、育雛している雌に危険を知らせるための行為」
らしいということで、人間界の風流とは少しばかり意味合いが違うようです。
サンショウ ↓
こちらは本山椒で、只今花の準備中のようです。
ミヤマシキミ ↓
かなり大株に育っています。
キャンプサイト ↓
平地に幾張りかテントを張って、キャンパーに提供しますが、今は静かなもので、テントが一張りだけありました。
猿飛の岩 ↓
くらがり八景の一つ「猿飛の岩」かつてそういう光景もあったのでしょうか。「風ひかる岩上に〇〇流れては」とあるようですが、
〇〇の部分が読めません。もうここまでくれば渓谷は終わりに近い場所です、
上のすぐ下流「猿飛橋」から ↓
橋の上から上流側を眺めると小規模ですが水の良い流れ落ちがあります。
”スミレ” ↓
出口 ↓
やっと山から下った終点です。ここが闇刈(くらがり)渓谷の入り口(小生は出口)となります。
ゲートを渓谷に向かって撮影 ↓
一般的にはここからくらがり渓谷に入って行きます。 さて下山終了してバス待ちタイムが100分あります。
年寄りは気が短い・・・小生もご多聞に漏れず待つのが嫌いな質でしてバスの進行方向に向かって歩いていくことにしました。
何処まで歩いて行けるか?
帰りに乗るバスか? ↓
歩き始めてすぐにバスが上がってきました。「こんなに早く?」とも思いましたが、「行き先板」に教習車とありましたので、
あわてる必要はなさそうです。 (教習車はしばらくして、来た道を下って行きました。)
か細い滝 ↓
道端の暗くなったところにか細い滝がありました。車ではほとんど気づかずに通り過ぎるところですが、歩きのおかげで、
拘ることが出来ました。「滝山城址」といって、戦国時代の城跡がこの奥にあるようです。
いくつかバス停を通り過ぎていきます。
森林組合前バス停 ↓
バス停の名前も山歩きの終わりに相応しいものです。停留所の柱に付いている時刻表によると未だバスの来る時間に間があります。
「もっと歩け」と言うことですね。
元気な水流 ↓
渓谷の水は開けた場所に来て、「男川(おとがわ)」と名前が変わったようです。水量豊富で、流れにも勢いがあります。
妙見(みょうけん)バス停 ↓
ここで歩行終了にしようと思いました。
シラユキゲシ ↓
バス停の足元にこんな花が咲いていました。これに気をよくして元気が出て、もう少し歩こうという気持ちが湧いてしまいました。
もう一つ先の停留所まで ↓
バスが来るまでにあと30分近くあったので、リュックを背負い直して歩きだします。
これが、悪かった・・・・行けども行けどもバス停が現れず、時間がどんどん経っていきます。
これには焦りましたね。最後の10分くらいは走りも入れて、必死になりました。
次のバス停は「上淡渕(かみあわぶち)」でしたが、汗だくでたどり着いて、すぐにバスがやってきました。
くらがり渓谷のバス起点から上淡渕バス停まで約8.2kmを平均時速5kmくらいで歩いてきました。
「えっ? いくら節約できたか?」・・・ですって? そういうことを聞きますか。 (小さい声で250円)・・・だそうです。
散歩でいろいろなはながみられましたね。
「趣味と実益」自ら歩く(縄)
車運転、バスに乗車したのでは、千変万化の移り変わる自然の映像をキャッチする事は疎か!!
「吾が足、備わった二本の健脚が正にバッチリです、バスに追い越されてもなんのその!!
△ なるほどネ 「くらがり渓谷」了解す
アーチ潜れば『闇』の一員(縄)
季節が進んできていますので、たくさんの草木の花と出会うことが出来ました。
これからはツツジ科の花が楽しみですね。
車の運転免許所を返納してから山行の回数が減りましたが、一回の山行の密度は濃くなったような気がします。なにしろスピードが出ませんからユックリズムに徹するのが一番ですね。
歩くということはスピードが遅いので草花を見るには最適な移動方法かもしれませんね。(多分に負け惜しみも含みますが)
歩いて始まり、歩いて締めくくる・・・グレートトラバースの田中陽希さんのあのやり方は随分力を与えてくれます。
登山の黎明期に奥秩父を紹介され続けた田部重治先生の秩父の山との向き合い方にもたくさんの憧憬と羨望や共感を頂きました。
こちらにも・・・・ありがとうございます。
御身も「待ちきれない」派で、えいやっ!!と歩いてしまうほうでしたか。
この時は最後の部分のバス区間がとても長くて、ビックリしました。
走ったりしてなんとかバス停にたどり着き、最終バスに乗れて助かりました。