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「サンタクロースの秘密」と世界を救う少女の秘密




先日、娘と日本から来てくれた友人家族の15歳のお嬢ちゃんが、映画「借りぐらしのアリエッティ」を見ていた。
わたしも料理をしながらちらちら見ていて(あまり興味なし)、アリエッティの顔立ちの美しさにほれぼれしながら思った。


なぜジブリ世界では、常に例外なく世界を救うのは少女なのだろうか?


ストレートに世界そのものを救うナウシカにしても
八百万の神々の世界を救うことによって、自分自身の世界を変えた千尋にしても
病気の少年の世界を救い、ふたたび自分自身の世界を構築しなおす旅に出たアリエッティにしても


「少女は世界を救う」


どうしてだと思われますか?


大人から見た少女たちはどんな少女でも一様に美しく、絵になるからだろうか?
欲と計算と諦観とズルさにまみれた中年のおばちゃんが世界を救うよりも説得力があるからか?(実際粛々とこの世のほころびを直し続けているのは中年のおじさんやおばさんだと思うが)

単に美しい少女の作品は売れるからだろうか。
それとも制作者が、引き止めることのできない「少女期」を愛するからなのだろうか。



レヴィ=ストロースの「サンタクロースの秘密」(せりか書房)を手に入れたのは今年の初めだった。
この本は長いこと絶版になっていて、ついに古本屋で購入したのだ。サンタクロースは一体何者なのか、なぜクリスマスに子どもたちに贈り物をするのか、ということが考察されているとても興味深い短い論文だ。


ここに印象的なくだりがある。

「だが、生者の世界の中にいて、しかも死者を体現できる者、とは一体どのような人人(ママ)なのだろう。それは、なんらかの意味で、社会集団に不完全にしか所属してない人々、すなわち、生者と死者の「微」を同時におびている者、それによって世界の「二元性」を一身に身におびることになっている、「他者性」の体現者の他には、いない。だから外国人や奴隷や子供などが、この祭りの重要なる執行人となってきた理由が、よく分かる。政治的ないし社会的な身分の低さや、年齢の低さが、彼らにプラスの価値をあたえているのだ。」


多くの社会において社会的フルメンバーとは成人男性のことである。それは「生者」を代表している。
対する子供は、社会のイニシエーションを未だ受けておらず、フルメンバーでない故に、「生者の世界の中にいて、しかも死者を体現できる者」だ。つまり子供は、生者と死者の間の橋渡し、取り持ちをすることができ、ひいてはこの二つを統合して一時的にしろ世界に「和」をもたらす力を持っているのである。

子供等が簡単にあちら側に足を踏み入れてしまうお話が多いのはそのためだ。

また、女性も歴史的にフルメンバーにカウントされないことが多かった。

つまり、子供であり、かつ女性である「少女」は生者と死者の間を取り持ち、世界にバランスを取り戻す力を強力に帯びているのである。



これがわたしがジブリ作品において常に少女だけが世界を救う構図になっていることの理由だと思う。制作している人がそう思っているかどうかは知らないけれど。


画面を食い入るように見ている12歳と15歳の少女にもそんな力が備わっているような気がした。

世の母親は同意してくれると思う。
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