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椿姫




昨日は、今シーズンのわたしのロイヤル・バレエ鑑賞の最後の日だった。

だからではないが、昼間にリハーサルを見、夜は本番を見るという、贅沢な日になった。

フレデリック・アシュトンもの3本立て

The Dream

Symphonic Variations

Marguerite and Armand


それ以外は...
集中豪雨にあった。
ティールームではとなりの席の親子が喧嘩しているのを一部始終聞かされた。
観客席で人がもめていたるのを目撃(日本では最近、横暴な老人が増えているのではないかとニュースになっていたが、英国にも一部そういう層はいるらしい)。
自分の娘の口のきき方に腹を立てたりもした。
そんなびっくりするようなつまらないことが気に障る日だったのだが(笑)、まあそういう日もありますよね!

そういう日だからこそ、バレエの美しさはもちろん、ピアノソロ(ロバート・クラークの奏でるリストのソナタ。わたしの中では「椿姫」と固く結びついているので、これ以上に美しい標題音楽があるだろうかと思う)の美しさとか、百貨店の店員さんの陽気さとか、隣のマダムに声をかけてもらったとかが心に染みわたる。


ああ、そんなことはどうでもいい。

「椿姫」はノイマイヤー版ではなく、フレデリック・アシュトン版なので、正確には「椿姫」ではなくMarguerite and Armand

話の筋自体は「贅沢を極めた高級娼婦が本当の愛を知り、しかし若い彼の将来のため自ら身を引き、彼を想いながら若くして死ぬ」で、陳腐であるにもかかわらず、わたしの「つまらない日」を洗い流してくれるような、美しくも短いマルグリットの人生そのもののような25分間の作品。

昼間はアレッサンドロ・フェリ/Alessandra Ferri(残念ながらちょっと重く雑な感じがした)とフェデリコ・ボネッリ/Federico Bonelli(彼はこういう若く悩める青年役がすばらしい)、夜はゼナイダ・ヤノウスキー/Zenaida Yanowskyと、イタリアのスター、ロベルト・ボッレ/Roberto Bolle。


シンプルで優雅で、登場人物全員がどこまでも美しく、この「誰もが知っていて、誰もが経験したことがあるように思え、懐かしささえ感じるが、実際はつくりごと」みたいな、これこそが「芸術」なのではないかとちょっと思ったりした。


(写真はTristram Kenton)
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