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Brugge Style
ケンジントン
先週、ロンドンのノース・ケンジントンの高層アパートメントで起きた火災は、今日(6月18日)の時点で死者58名以上と発表されているが、ゆうに100人を超える死者を出すのではないかと噂され、弱者を切り捨ててきた行政を非難する声が高まっている。
高級住宅街、サウス・ケンジントン(ヴィクトリア・アルバート博物館があるといえばわかりやすいだろうか。ハイド・パークとテムズ川の間)に隣接するノース・ケンジントンに観光客は足を踏み入れることはないだろう。わたしもない。
だからといって、貧しい移民が多いから住民のモラルが低いとか、そう思ってるわけでも決してない。
娘が行くと言ったら、阻止したいが阻止する正当な理由が見つからず絶句してしまう「スラムのイメージ」がつきまとう地域なのである。
英国はわたしが見た中でも最も階級差別の激しい国であり、格差も著しい。
英国人と移民の間にだけこの差があるのではなく、英国民の中にも日本人が聞いたらひっくりかえるような差別・格差がある。
わたしは今後、英国で階級が消滅するとは思わないし、ましてや人間社会から格差が消えることはないと思う。
しかしすぐに解消すべき格差もある。
格差には相対的格差と絶対的格差がある。
相対的格差は例えば、サウス・ケンジントンの友達はアストン・マーチンを乗り回しているが、ノース・ケンジントンの自分は車の維持すらできないとか、そういうことである。それは人それぞれの心の問題なので、決して解決することはできないだろう。
一方の絶対的貧困は、ある人たちが情報と機会と金から完全に遮断されているということで、即刻解消されなければならないのは当然、絶対的貧困の方だ。
サッチャー元首相によって促進されたネオリベラリズム(新自由主義)とは、グローバル化する新自由主義であり、国家間の格差や階級格差を激化させ、絶対的貧困(相対的貧困ではなく)層を増やす。
英国が市場を放任する自由主義であるのは20世紀になって始まったことではなく、英国が表舞台に躍り出たエリザベス一世の時代からのことだが、「当時の自由主義の時代は地球の裏側における奴隷貿易や奴隷制度を基盤としていたのである」。
世界システム論曰く世界中のエリアや国がどこも同時期に同レベルに繁栄することは決してない。
パイの大きさはあらかじめ決まっており、一つの国が9割をとるならば、残りの国は1割を分け合うしかないのだ。
つまり、「イギリスは工業化したのに、インドはまだ工業化していない、ではなく、イギリスが工業化したためにインドは『低開発化』され、工業化しにくくなったのである」
現在、大英帝国が世界に展開した植民地は消えたが、人が英国内に移動しただけで植民地的搾取は全くなくなっていないのだと実感した。
もちろん、サウス・ケンジントンが9割を取り、ノース・ケンジントンが残りの1割を分け合っているのである。
(引用はすべて川北稔著の「イギリス 繁栄のあとさき」から。わたし、川北先生の大ファンです。)
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